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カッサンドラ

私は子供の頃からギリシャやローマの神話が好きで

高校の頃に「グリークス」という

トロイア戦争を基に描かれた演劇を見て

ますます神話が好きになりました。


その「グリークス」で知ったカッサンドラという人。

なぜだかこの人のエピソードが胸に残って

いつもふとカッサンドラのことを考えてしまいます。


カッサンドラはトロイア王家の娘で

絶対に当たる予言をしますが、

絶対に誰にも信じてもらえません。

アポロン、という太陽の神様に

「予言の力を与えるから自分のものになってくれ」

と言われて

一度それを受け入れましたが、

力を手に入れた直後

「自分はアポロンに捨てられ酷い最期を迎える」

と予言したため彼から逃げ

そのためアポロンの怒りを買い

「予言は誰にも信じてもらえない」

という呪いを受けた、

と言われています。

トロイアの滅亡も予言したのに

家族の誰にも信じてもらえず、

戦争に負けて国は滅亡、

一家離散。

敵に陵辱された挙句に

敵の大将の妾となり敵国ギリシャのミケーネに連れて行かれます。

さらに、ミケーネで待っていた

大将の妻によって

大将ともども殺されるという

予言通り酷い最期を迎えることになります。


めっちゃかわいそう。

悲劇的な運命の象徴とされたり

約束を守らないとこういうことになっちゃいますよ、

みたいなお話にまとめられちゃいます。


私もずっとかわいそうな人だと思っていました。

うっかり呪いを受けちゃったかわいそうな人。


でも最近、なんだか違うように思えてきました。


アポロンは彼女を呪っていなかったし、怒ってもいなかったのではないか。

彼女はアポロンから祝福を受け続けていたのではないか。

「誰にも信じてもらえない呪い」

なんて無くて、

彼女の「絶対に当たる」予言に誰も耳を貸さなかったのは

彼女の予言を聞いて「耳が痛い」人々が、

現実から目を背けたからではないか。

トロイア戦争を回避できなかったのは

呪いでは無くて人々の弱さだったのではないかと。


一度は捨てたと思ってた息子が帰ってきて、

拒むことができなかったトロイアの王プリアモス。


息子の幸せな顔を見たら、

一緒に連れてきた”妻”が

「ギリシャの強国、スパルタ王の愛妻」(!)

だったとしても追い返せなかった。


なんとか事を丸く収めたいと思っていたから、

休戦中のギリシャから

贈り物だと言われて「でっかい木馬」(!)が届いても

あやしむそぶりを見せられなかった。


「絶対に当たる」娘の予言を

受け入れることができなかったのではなかったのでしょうか。


生きてると

「気づきたくないこと」

「やっておいたほうがいいけど、後回しにしたいこと」

みたいなことの連続です。

わかっちゃいるけど、やめられない。

わかっちゃいるけど、手がつけられない。

時に耳が痛くても、客観的に物事を見るということが大切なのかもしれません。


カッサンドラは誰も自分を信じないとわかっていても

予言をすることを止めなかった。

なんでなんだろう、とずっと考えていました。

もしかしたら彼女がそうしたのは

最後まで「誰かが耳を傾けてくれる」という

希望を捨てなかったからかもしれません。

かわいそうなんじゃなくて、

自分で自分の生きたいように生きたのかもしれません。


なんて、全部私の妄想ですが。



神話や昔話は

口伝だった頃

人から人に伝わるうちに

ある時代にいろんなことが変えられたり

違う解釈が通説になってしまって

「もともとの形」から離れてしまうことがあります。

もともと伝えたかったことはなんだったのか、

ちゃんと残っていないのは

はじめにお話を作った人の気持ちを思うと

なんだか切ないなあ、と思います。


現代は文字としてちゃんと残るからいいですよね。

作者インタビューとか、パンフレットとか

読み解くのにとても役立つ。


私みたいな人間からすると

「もともとの形」の部分を想像するのが楽しみでもあったりしますし、

お芝居や演劇に関わっていると、

「言葉にし尽くせない何か」

でしか伝えられないこともあるのも

理解している(つもり)なので

この辺りは難しいなあと思います。


最初の思いを大切に

大切な事をちゃんと

伝えていく人でありたいな、

カッサンドラのように

人生をかけて伝えられるかしら

と思う今日この頃なのでした。





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