見出し画像

「虫の瞳」

エリア51の「虫の瞳」を観てきました。
「“孤立"を考えるパフォーマンスアート」と題された5つパフォーマンスからなる展示です。

会場には5つの部屋があり
1つの部屋ごとに1人がパフォーマンスをしています。
どのように見ていくべきか迷いましたが、ぐるりと一周して、制限時間いっぱいぐるぐる見続けていくことにしました。

(少し話がそれますが、これは私のいつもの思考の癖と同じです。
一つのことを突き詰めて考えるのが苦手なので
いくつかのことを並行して
浅い経験を何度も繰り返すことで
対象への理解を深めようとするところが
私にはあります。)

それぞれが何らかのかたちで他者とのコミュニケーションを遮断している、またはされている、かのようなパフォーマンスをしていました。

トム キラン

ALSは、運動神経系が少しずつ老化し使いにくくなっていく病気です。

 一般社団法人日本ALS協会 Website

今まで出来ていたことが少しずつできなくなる。
当たり前だったコミュニケーションが取れなくなる。
言葉や身振りが思い通りにならないとき
人はどうコミュニケーションをとるのか?
そしてそのことは本人に、そして他者に
どのような肉体的、精神的影響があるのか?
ということを表現しているような気がする、
実験的なパフォーマンスでした。
彼(トム氏)はALS患者を演じています。
ベッドに横たわり、排泄に必要な器具を付け、
コミュニケーションのために透明なボードが置かれ、
彼は口にスティックを加えています。
来場者はトムキラン氏に話しかける事ができます。
トム氏は言葉ではなくひらがなが書かれたクリアボードを使って考えを伝えてくれます。
私も少し会話をしました。

トム氏は
「文字を指すスティックのマウスピースで口内炎ができた」と言いながらも
「孤立は孤独ではない。コミュニケーションをあきらめなければ。」ということをボードを使って伝えてくれました。

余談になりますが、
ALSの方とのコミュニケーションでは違った選択肢もあります。
現在はセンサーとPCを連動させた視線入力などが開発されていることはトム氏からも説明があります。
トムさんも本当は視線入力を使いたかったそうです。
その他ロボットを使ってコミュニケーションや遊び、仕事ができるシステムを開発されていらっしゃる方や会社もあります。

神保 治暉

部屋中を埋め尽くす電車のおもちゃ。
ぐるぐると部屋のほとんどを占める線路と
遠く隔てた場所に作られた小さな線路。
それぞれにスピーカーを乗せた電車が走っています。
スピーカーからはカフカの「変身」のセリフが流れてきます。
何度か見ているうちに大きな線路を走る電車からは
「家族」と「他人」の言葉が
小さな線路を走る電車からは
「私(グレゴール)」の言葉が発されている事がわかってきます。
これは「変身」を表現したセットの模型なのかもしれません。
この部屋には線路の他に窓際にテーブルセットがあり
反対側にプリンタが置かれています。
青年(神保氏)がテーブルに置かれたPCで何か台本のようなものを創作しており、PCのミラーリング画面がプロジェクターから投影されています。
青年は窓の外を眺めたり、聴こえてくるセリフをそのまま打ち込んだり、そこから連想された新しいセリフを作り出したり、テーブルを離れゲームをしたり、台本をプリントしたりします。
青年はほとんど来場者から背を向け、こちら側を向いていても目線を上げません。
時折電車は脱線し、空回ります。

山本 史織

この部屋は1Kのアパートのような作りになっていました。
シンクとコンロのあるキッチンとシングルベッドとラックがあり、
舞台やデザインに関するものが雑然と置かれています。
この空間は今回の展示の中で最も生活を感じる部屋になっています。
彼女(山本氏)はラジオをかけながら、
そしてお菓子を食べながら、
ベッドや椅子で漫画を読んでいます。
来場者のことはいないものとして
ずっと漫画に没頭しています。
しかしよく見ると、そんなに真剣に読んでいないようにも見えてきます。
ページを捲りながら何か考え事をしているのか、
こっそりこちらを観察されているようにも感じてきます。

中野 志保

部屋はおもちゃで溢れています。
ボールや花札やトランプ、その他縁日で売っていそうなカラフルなおもちゃが雑然と並べられています。
彼女(中野氏)の前には透明なカプセルが並べられており、カプセルの中には脳みそのおもちゃが入っています。
カプセルの山と一緒にメトロノームが置かれていて、
誰かが入ってくると彼女は自分の脈を測り、
メトロノームのテンポを調整します。
そしてカプセルを手に取り、しばらく音を鳴らしてからカプセルを入り口側に投げます。
彼女は顔をあげ、何かを見ています。
こちらに顔を向ける事もあります。
しかし来場者と目を合わせることはしません。
無視されているような疎外感を感じる瞬間と
暖かいおもてなしを受けているような瞬間が交互に訪れているような気分になりました。
この人にはこの人の法則があり、
伝わりにくいだけで実はずっとコミュニケーションをとっているのではないか、
と強く感じたパフォーマンスでした。

高田 歩

透明な四角い箱の中で、彼女(高田氏)はゴーグルとシュノーケルを身につけています。
部屋は青いブラックライトで照らされ、
さながら海の底のような雰囲気です。
彼女の前には画用紙とペンがあります。
彼女は座ったまま身体の感覚や思いついたことを書き、
時折立ち上がって箱の内側に紙を貼っていきます。
言葉が増えれば増えるほど、外から中が見えなくなっていきます。
紙にはメトロノームの事が書かれる事があり、
彼女は耳で何かを聞いていることがわかります。
他の一切を遮断することでメトロノームの音と自分の心臓の音を
聞こうとしているようにも見えました。

5つの部屋を巡ってみて
時間の経過を経て、
また何度も見ることによって
どの部屋も完全に社会を遮断しているわけではない、
と思えてきました。
目的がよくわからないように見える行動も、
じっと見ているとそれぞれ法則が有るように見えました。
そしてそれぞれのわかりやすい“コミュニケーション"の放棄には
やむを得ずそうなったり、選択してそうなったり
いろんな理由があるにせよ
繋がることをやめない、やめられない。
会話などのわかりやすい方法を使っていないだけで、何かしらの情報を発信しているように感じられました。

「ことば」をなくしても違う方法で伝えようとする人。
「文字」と「テクノロジー」だけに絞ることで
情報の劣化を防ごうとする人。
「感じない」ことを科すことで書物に集中しようとする人。
「他者」を遮断することで普段蔑ろにしてしまう「自分」と「大切な誰か」だけを感じようとする人。
挨拶もおもてなしも喜びも遊びも他の人とは方法が違うだけの人。

普段何気なく使って、とっても便利な
バーバルやノンバーバルのコミュニケーション。
でも実は、便利だからこそ、
慣れてしまってわかったつもりで
沢山の事をこぼしているのではないかという気持ちになりました。
本当のことは何もわからないから
伝えようとするし、
伝えられなくても、
伝えようとする。
分かり合えることなんてないことを忘れないように
でも
1ミリでもわかりあおうとする。
それが人間の「しゃかい」で
「人間関係」で
その方法や在り方は
ひとつではないし、型にはまらない事だって存在する。
そんな事を
私は感じました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?