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娘の日本語教育について誓ったこと

北京在住ライターのつばめさんのNOTEを読んでいて、ガツーンと頭を殴られたような感じがした。日中ハーフの息子や娘を持つ一人の父親として、無力で子供達に真剣に向き合ってこなかったのではないかという自省である。

私の場合、息子二人は日本で生まれ日本で育った為、中国語を喋る為の良好な環境になかったのは仕方ないことである。問題は、それを理解し、より多くの時間を割いて中国語で喋る機会を作ってあげられなかったことだ。せっかくハーフとして生まれてきた彼らは母親の母語を学ぶ機会すらなく大きくなってしまった。

それを挽回するべく、今たくさんの時間を割いてその埋め合わせをしているのだが、非常に骨の折れるもので、あの時しっかり教育しておけばという後悔の念しかない。妻からは「あんたのせいじゃなくて、彼らの母親がちゃんと教えなかったんだから、全く理解できないわ」と言っているのだが、私にも責任の一端はあると思っている。

“中国に住み、夫婦の会話も中国語、 日本語が分からない夫は子供に中国語で話しかけ、 中国の義父母も中国語で子供に話しかけ、 一歩外に出たらオール中国語といった環境で 子供に日本語を身に着けさせるのがどれほど簡単ではないか。 日本人の母のみが、子供が日本語で直にコミュニケーションをとる ほぼ唯一の相手となりますので、 母一人が、父と祖父、祖母、その他大勢の中国語インプットに負けない 量と質の日本語で子供に接することができるかといえば、 それがどれだけ簡単なことではないかが分かるでしょう”

私の娘は上海で生まれ、上海で育っている。妻と娘は中国語で会話をしており、マンション(小区)の中で毎日顔を合わせるママさん達やお兄ちゃんお姉ちゃんと100%中国語の環境に置かれている為、自然と言語的には中国語優位の状態にあり、私が日本語で娘に喋っても中国語で返してくるという段階に既に入ってしまっている。これは流石にまずいぞと思い、私の娘に対する方針を一切変えることにした。まず中国語で喋ることをやめた。極力日本語(というか関西弁だが)で話しかけるようにした。幸い、息子達も妹と日本語でしか会話できないので、娘は兄たちと一緒にいる時間が長くなればなるほど日本語に触れる時間が長くなるので、私も日本語で話しかける努力を続ければ自然と聞いて話せるようになると思われる。

問題は、その先だ。日本語が理解出来て喋れても、文字が読めないと意味がない。ということは、この字を理解させる、覚えさせるという教育を私自身が覚悟を持って取り組まなければならないことを意味する。

私は慌てて日本語の文字に関する絵本を集め出した。幸い、同じ小区の日本人ママさんから使い古しの絵本などを無償で頂いたりしているので当面困ることはなさそうで、有難いことだ。後は、如何に私自身が継続して娘の日本語教育を行えるかだけである。たまに日本語での意思疎通を忘れて中国語で喋ってしまうことがあるので、心を鬼にして徹頭徹尾日本語で喋りかけ「半分日本人」(国籍は日本だが)の娘を一人前に育てあげたいと誓うのであった。


今日はここまで。じゃあの。

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