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中国企業の会社と社員の関係性は今後どう変化する?

得到というビジネスマン向けに貴重な情報を発信しているAPPがあり、私は普段ここで色々な文章や中国のビジネス本等を読ませてもらっている。

iPhone等で日本のアカウントで日本のクレカで紐づけていると、直接日本円決済となるので面倒だが、私はプリペイド方式のものをタオバオで買ってチャージして使っている。中国語中級レベル以上のビジネスマンの皆さまには是非ご活用いただきたい。

面白い話があったので、少しここでシェアさせて頂きたいと思う。

未来的雇关系什么

今後の中国企業の会社と社員の関係はどうなっていくかについての話なのだが、最初の月餅を巡る話が結構ぶっ飛んでいて驚いた。

来看第一条。中秋节期间刷新闻时,我刷到一条令人哭笑不得的消息:因为公司过节没有发月饼,一名员工怒从心头起,竟然动手把领导给打了,双方还闹上了法院。这看上去好像是一个挺极端的案例,但我想起几天前,有一个金融行业的朋友向我抱怨,说他们公司今年竟然没发月饼,像什么话。你看,因为不发月饼而引起员工不满,可能还真不是特例。

要約すると、とある企業でボスが部下に対して中秋節に月餅を配らず、それを不満に思った社員がボスに手を出したという話である。おいおい、月餅ごときでそんな展開になるのか。

仔细想想,这事儿挺有意思的。可能公司想的是,现在谁还缺一盒月饼,就算发了你们也不吃,还不如直接发200块钱实惠;但是在员工看来,就算发了过节费,月饼也应该有,我可以不吃,但公司不能不发。怎么理解这种心态?为什么员工会稀罕一盒月饼?

本来であれば大して美味しくもないのでもらっても嬉しくない月餅を配ったとしても、誰も喜ばないんだから、月餅配るくらいならお金を代わりにプレゼントする方がいいと思うはずなのだが、いやそれはそれ、と。お金プラスちゃんと中秋節なんだから月餅もよこせという心理とは一体どういうものなのかという話なのだが、私もこれには全く理解が及ばない。

这是不是一种攀比?别人公司都发了,就我们公司没有,没面子。或许多少有这个因素,但我认为,不是主要原因。一盒月饼,不能简单等同于200块钱的员工福利,这是一份特殊日子的特殊礼物,是具有仪式感的。就像情人节你必须给老婆买花,而不是直接给她微信红包。换句话说,过节不发月饼,在较真的员工看来,就是“你心里没有我”,难免会抱怨。但是反过来看,公司领导应该高兴,这说明员工对公司有超越雇佣关系的情感连接。

これに対する答えの一つは、いや私の周りの人間は皆会社から月餅をもらっていると、私はない、メンツが立たないということと、中秋節という特別なイベントなんだから月餅を配るという「儀式」が必要なのに、それをしないということは、ボスであるあなたが「私」という人間を大して重要とみなしていないという、雇用関係を越えた感情論なのだという。

なるほど、そう言われてみればメンツであったり、儀式的なものを通じてボスが自分をどう思っているのかを測ろうという意図はよく理解できる。にしても殴らんでもええやろ。

中国の名だたる企業が次々に社員の福利厚生を厚くする方針を発表


今回のポイントはこれである。昔は国有企業に入りさえすればあらゆる面で福利厚生が充実しており、老後も安心して暮らせるという保証があったが、改革開放が進むにつれて、労働者の保障がないがしろにされ、不当な条件で働かされるという時期があったのも記憶に新しい。

现在的互联网大厂在员工住房问题上,开始悄悄回归“国企模式”。比如最近有消息传出,小米花7个亿成立公寓管理公司,准备自建员工宿舍,解决员工租房难、租房远、租房贵的问题。再往前,华为、京东、格力等一批科技公司都建了员工宿舍,甚至有的还承诺为员工分房。

名だたる大企業が昔の国有企業のように福利厚生を手厚くする方針に切り替え始めているという。シャオミが7億元(約100億円)をかけてマンション管理会社を設立し、自社で社宅を建て、社員の部屋の賃貸や通勤、賃料等の問題を解決することを決めたというから驚きだ。これはHUAWEIや京東(JD)、格力(GELEE)等の大企業も以前より取り組んでいることで有名である。

では、何故このような潮流になりつつあるのか、答えは2つあるという。

① 会社付近の地価が異常に高騰し、部屋を借りるにも会社からもらった手当を全て食いつくす形となり、会社としての手当の意味がなくなっている為。

② 社宅を設けることによって、社員同士の連帯感が高まり、どんなことも気軽に話し合える環境を作り出すことで、より仕事に専念しやすい環境を整えることが出来る為。

もちろん、キーポイントは社宅を作ることではないし、普段会社内で管理職と平社員がしっかりコミュニケーションをとっていればある程度解決する問題ではあるが、明らかに時代としては「社区」(一つの社会的なコミュニティ)モデルの方向にシフトしているのでは、という指摘である。(国有企業時代「家族的なコミュニティ」→改革開放時代「市場コミュニティ」(市場が条件を決める))

人はどの時代であっても、何かに依存しておきたい生き物なのであろう。それが同じ会社で切磋琢磨している仲間達と普段から一緒にコミュニティ内でコミュニケーションをとれるようになれば、心のよりどころもできるし、部屋の賃貸問題も解決出来、よりよい環境で仕事に没頭できる。通勤時間の長さで人生を無駄にすることもない。

無論、これらのことを実行できるのは超大手企業だからこそという面も否めないが、中国は今後確かにこの方向に進んでいるような気がする。

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