見出し画像

何かに夢中になれる能力って素晴らしいよな的な話

人の大切なものを軽々しく踏みにじってはいけない


今日は朝から私が妻にぶちぎれてしまった。

寒くなったので、チャリ通勤の私は手袋が必要になり、妻に手袋をだしてもらうよう頼んだ。すると妻はクローゼットを「翻箱倒柜」(あちこちひっくり返して探す)し始め、カオスな状態に陥ってしまった。(妻は整理が苦手であり、どこに何があるかを把握する能力に欠けている)

中々見つけられないことにいら立ちを感じた妻が目にした私の空手の白帯から茶帯が大事そうに保管されていることにもいらっとし、「こんなものの何が大切なのか分からない」という発言をしたのである。

私は自分の大好きなものを否定されたので思わずきれてしまった。

「お前にとってはただのゴミかもしれないけれど、俺にとっては宝物なんだよ!!この帯と一緒に一生懸命稽古してきたこと、一緒に稽古してきた仲間達との思い出が詰まってるんだよ!!お前何かに一生懸命に取り組んだことあるのかよ!?ないだろ、ない奴が俺にそんなこと言う資格ないんだよ!お前言葉を慎め!」

私がきれたことに驚いたものの、ぶぜんとした表情でその場を後にした妻。

私も私で言い過ぎたかなあと思ったが、私が大切にしているもの、好きなものを平気でダメ扱いしたり、バカにしたりする傾向がたまにある妻に私が「譲れないもの」を改めて彼女に示すことは出来たと思う。

家を出る間際、妻から「あなた、ごめんなさい。あなたがそんなに大事にしてるとは思わなかった。」と謝ってきたので、そこですぐに仲直りをした。私も少し言い方が悪かったと謝った。

我が家では喧嘩は日常茶飯事だが、お互い何を考えているのかを常に口に出して意思表示することが大切にされている。黙っていては何を考えているか分からないからだ。喧嘩になることを面倒がったりしてると、お互いうっ憤がたまりいずれどこかのタイミングで爆発することになる。その時はもう手遅れなのだ。喧嘩もコミュニケーションの手段である。


何かに一生懸命に取り組んできた人とそうでない人の違い


上述の通り、私の妻は何かに本気で熱中して取り組んできたということがない人である。この手の人というのは、飽きやすく、何をしても続かない傾向が強いと思う。まあ、よく言うと合理的というか、効率的な人だともいえるのかもしれない。

私がいわゆる「オタク」を評価するのは、何かに熱中できそれを継続できる能力があると考えているからだ。他人からすれば彼らのある特定のものであったり、人への熱意はすごいものがある。ああいうものを持っている人は強いなと思う。仕事でも彼らに見合った仕事をわたせばしっかり取り組んでくれそうな気がする。

中国での採用の際は、私は結構この点を重視している。何かに熱中したことがあるかどうかは、ある程度履歴書でも見えてくるし、面接でのやりとりでも多少なりとも見えてくるからだ。他のことは全然やってこなかった、できなかったが、これだけは本当に夢中でがむしゃらにやってきた、これがある人は本当に強い。

やりきる力 -kindle版-

できない、不向き、上手くならないと、勝手にリミットを決めて、放り出してはいけない! 僕だってアイアンマンレースを走っているときは、水泳、自転車、マラソンと続いて、ぶっ倒れたいほどに苦しい。途中で何十回とリタイアしたい衝動にかられるけれど、決してハートを折ることなく、這いつくばるほどの根性で完走のゴールを切るのだ。
 やりきったときに見える極上の景色を、僕は知っている。本当に心が震える素晴らしい景色だから、辛くてもまた、やりきろうと懸命に走り出す。
 成果が挙がらない、思い通りの現在を生きられていないと嘆く人は、やりきったときの景色を満足に見た経験がないのではないか。
 本当に、死んでもやりきるんだという覚悟で、一生懸命になっているのか? たぶん、なっていないから、平気でリタイアできるのだろう。
 誰だって本当は、時間をかけて一生懸命にやれば完走できるのだ! もしもリタイアしたくなったときには、プライドとか羞恥心なんてかなぐり捨てて、がむしゃらにゴールを目指す。そしてぜひ、その向こうに見える景色を味わってみてほしい。


今日はここまで。じゃあの。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?