いつまでも慣れない
最近、出演者の子どもたちが稽古場にいる。私はそれがとても嬉しい。
たとえば稽古中に、子どもたちが泣こうが騒ごうが何か食べてようが私はかまわないと思っているし、今までもこれからも、そうなったら必ず誰かがかわりばんこに面倒を見てきた。
今日、出演者の田村れん太さんが娘さんを連れてきた。せっかくだからと読んでもらったんだけど、長い稽古時間本当によく取り組んでくれたと思う。ちなみに、子どもの体験記は、同じ子どもが読むのが私は一番好きだ。子どもたちが考えて、子どもの身体から発せられる詩には勝てない。
最後に今日の稽古の感想をみんなで話した時、田村さんが被爆体験記に向き合う姿勢も大事なんだなと娘を見て改めて感じたと仰っていたのが印象的だった。
被爆体験記を読むということは、書いた人になるということではないと私は思う。朗読者が、手記と向き合い、その人の身体を通って、書いた人と自分の間で揺れながら声にしていくことが大切だと思っている。
そうやって紡ぎ出された声で聞く被爆体験記は、胸に詰まる。構成するために、なんどもなんども文字で読んだはずで、読みながら何度も胸を痛めたはずなのに、身体から紡ぎ出され、そこに立ち上がった体験記に、言葉を失う。
何年経っても慣れない時間だ。
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