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Fate/Revenge 9.聖杯戦争三日目・夜-①──策士たちの邂逅

二次創作で書いた第三次聖杯戦争ものです。イラストは大清水さち。
※執筆したのは2011~12年。FGO配信前です。
※参照しているのは『Fate/Zero』『Fate/Staynight(アニメ版)』のみです。
※原作と共通で登場するのはアルトリア、ギルガメッシュ、言峰璃正、間桐臓硯(ゾォルゲン・マキリ)です。
※FGOに登場するエンキドゥとメフィストフェレスも出ますが、FGOとは法具なども含めて全く違うので御注意下さい。

     9.聖杯戦争三日目・夜──策士たちの邂逅

「はっ! あんたは俺を連れたきたくせに索敵ひとつ出来やしないと、そういうわけか」
「そんなもの必要なかったわ! ライダーはわたくしを守って自ら戦いに身を投じてくれました。貴方も同じように働いてもらいたいわ」
「おいおい。どこに相手がいるかも判らんのに、どうしろというんだ。契約者マスターとして最低限の働きはして欲しいな。そうでなければ俺は梃子でも動かないぞ」
 アーチャーたるジェラール・ド・リドフォールが、どかっと深紅のソファに身体を投げ込む。白いマントがぶわんと翻り、視界を隠した後、鋭い鉛色の瞳に射られてエヴァは竦みあがった。
 エヴァはふたたびオストクロイツの娼婦宿に陣取っていた。
 アーチャーは娼婦宿が誇る豪勢な食事を平らげ──これだけでも明時がマスターである方がよかったというものだ。彼の魔力は極上でアーチャーの基礎能力値パラメータに変化を起こすほどのものだった。だがエヴァの魔術回路は貧相なものでアーチャーは魔力供給に不足を感じていた。だからといって、こんな女と寝たところで得るものなどありはしない。
 アーチャーがちりんとテーブルの上の呼び鈴を鳴らすと、扉がノックされた。大人しい黒衣の中年女性がおっとりとお辞儀する。
「御用でしょうか」
「ブルゴーニュのワインはあるか」
「はい。いろいろと揃えてございます。特級畑グラン・クリュから村名まで」
「クロ・ヴージョと鴨の脂肪肝フォアグラ、焼いた牛肉を持ってこい」
「かしこまりました」
 宿の女将がするりと消える。エヴァはアーチャーの横暴に怒り心頭となっていた。だが自分の魔力が減るのも嫌だったので、アーチャーの多少の贅沢は目を瞑ることにした。金を払うのも自分ではない。全て、あの小男が払うのだから。
 アーチャーの前にはほどなく、よく焼けた極上のヒレ肉の上にフォアグラをのせ、滑らかなマッシュポテトを添え、赤ワインのソースをかけたものが届けられた。そして冷やしたフォアグラを薄く切り、バルサミコ酢をかけたもの。もちろんアーチャー御指名のクロ・ヴージョは1923年のものが開けられた。赤い果実と菫の香りを漂わせるワインにアーチャーは御満悦だ。
 彼が食事をする間、エヴァはどうしたらアーチャーに言うことを聞かせられるか、自分が面倒な索敵作業などしないで功績をあげられるか、思案した。
 アーチャーはアーチャーで、どうしたらもっと有望なマスターに乗り換えられるか思案した。今の状態ならば、おそらく明時に変えられるだろう。それが一番望ましい。そのためには、この面倒な女を戦場に連れ出し、さりげなく殺してしまう必要がある。
 大丈夫さ。俺の隣にいる奴は死ぬんだ。
 アーチャーはフォークを置き、おどおどした独逸ドイツ女を横目で見た。
 窓の外では夕闇が迫ってくる。アーチャーは別に打って出る必要があるとは考えていない。一番いいのは自分の知らない間にバーサーカーとランサーが当たって、どちらかが死ぬことだ。強敵が減ってから出ていくのが理想的。
 だがエヴァは必死だった。
 なんとしても聖杯を手に入れなければ。そうすれば、わたくしは元の美しく完璧で崇拝されて愛されるわたくしに戻れるはずなのよ。
 彼女は自分が何のために戦っているのか、現実を見失っていた。
 だから実に簡単に右手を伸ばし、命令した。
「アーチャー、令呪れいじゅを持って命じる。さっさと敵を倒してきなさい!」
 それは、あまりにもぼんやりとした命令だった。おかしな言い方だが、思いつきで令呪を使ったカスパルの方がずっと具体的な命令を下していた。だからセイバーは抗しきれず、不本意な行動さえもとることが出来た。だがエヴァの令呪の使い方は全く的外れなものだったのだ。
 アーチャーは涼しい顔でエヴァを見つめた。ある種の焦燥感を感じてはいるが、抵抗しきれないほどのものではない。セイバーほどではないが、Bランクの抗魔力を有するアーチャーにとって、その程度の呪縛は大した威力を発揮しなかった。
 彼は優雅にワイングラスを傾け、にやりと笑う。
「敵って誰だ? 何処の誰だ? 軍令は具体的かつ正確に頼むぜ」
 彼は無精髭のあごを撫でて苦笑する。彼が身体を折ると鎖帷子がかちゃかちゃ鳴った。
「そんなもの知るわけないでしょ! ライダーはわたくしが、そんなことしなくても自分で敵を見つけました。貴方はできないのっ、そんなこともできないの」
「できませーん」
 悪びれないアーチャーがグラスを揺らしてげらげら笑う。
「索敵できる英霊サーヴァントがいいなら暗殺者アサシンと組むんだったな!」
 そしてアーチャーは不意にもう一つの策略に気づいた。
 女の手に残った令呪はあと一つ。それを使わせてしまえば、彼女はマスターではなくなる! アレルヤ! それこそ求めているものだ。さて、どう動かす?
 複雑怪奇な勢力分布を誇った中世のシリアアッシャームを渡ったアーチャー、すなわちリドフォールの勘が急所を指す勢いで女のプライドを逆撫でした。この手のタイプは馬鹿にされるのが嫌いだろう?
「あんたは令呪を使っても俺を言いなりに出来ないんだな。全く大した魔女さまだぜ」
「そんなことないわっ、令呪は絶対なのよっ!」
 エヴァはぶるぶると肩を震わせ、顔を歪めた。子供っぽく唇を歪めて睨みつける女。彼女の堪忍袋の緒は切れかかっていた。さあ、あと一押し。アーチャーはグラスに残った王者の酒クロ・ヴージョを干した。
「どう絶対なんだ。あんたは最後の令呪を使う度胸なんてあるはずがない。どうやったって俺を動かすことなんてできないぜ」
 ソファに仰け反り笑い転げるアーチャーに、エヴァは切れた。
「わたくしを馬鹿にするのは許さない! アーチャーよ、令呪を持って命じる! ランサーと戦え!」
「!」
 アーチャー自身が全く予期しなかったことが起こった。それはきっと誰も予想はしていなかったはずだ。ウォルデグレイヴもランサーも、そしてエヴァ自身は当然のこと。
 アーチャーは気づく間もなく、娼婦宿の屋根の上に放り出されていた。
 奇しくも二画の令呪はセイバーを縛りつけたと同じ呪力を発揮した。
 なんと娼婦宿の上空に赤い上衣アシートゥを逢魔が時の空になびかせる青年が浮かんでいた。
「あれ? 呼びに行く手間が省けたね。こんばんは、アーチャー」
 それはランサー──正体不明の、だが一度見たら忘れられない整った顔の青年。無邪気で屈託なく、躊躇なく人を殺す天性の戦士。彼は腕組みしてアーチャーをおっとりと見下ろしていた。
 令呪は対象がごく近くにいたが故に、本来の力を発揮してしまったのだった。
 アーチャーはすばやく屋根の上で体勢を整える。だが体勢の不利はぬぐいようがない。
「ランサー、貴様は何故ここにいる」
「僕の獲物は君じゃない。でも、御馳走の前にスープを食べるのはいいことだ」
「ちっ、バーサーカーのところへ行けよ」
「やだ」
 ランサーの目がきらりと光る。彼は瞬時にリドフォールの横に降りていた。その白い手がリドフォールの小刀を盗もうとする。舌打ちしてランサーの手を打ち落とす。ランサーはぱっと飛んで離れると、屋根の階に立って両手を広げた。
吝嗇けちだな。少しくらい貸してくれてもいいじゃないか」
「汚い手はよせ。そろそろ手の内を見せろよ、ランサー。お前は最低限の労力しか払ってねえ」
「効率のいい戦い方と言ってほしいな。マスターの指示に従っているだけさ」
英国ブリトゥン人のやりそうなことだぜ」
 アーチャーは右手で剣を、左手で盾を持ち、ランサーに対して隙を作らぬよう屋根の上方へ移動した。赤いスレート屋根は思ったよりも足場が安定している。ランサーのサンダルがふっと見えなくなった。スレートが砕け飛ぶ。
 がちん!
 アーチャーは基本に従って盾を閉じ、防御態勢をとる。同時に盾の外で剣を振り下ろした。すると予想通り、ランサーの手が左側に現れた。盾を横にずらして弾き飛ばそうとする。そこに思った以上の力が加わった。なんとランサーが同時に左手で盾を裏返してみせたのだ。
 ガラーン……!
 派手な音を立てて、盾が落ちていく。盾はさらに下の石畳に落ちて凄まじい音を立てた。階下で窓の開く音がする。だが、そんなことはどうでもいい。
「早く! ランサーを倒して!!」
 愚かなエヴァの悲鳴が聞こえる。
「あんたはもう、俺のマスターじゃない!」
 だが発動された令呪の力は絶対だった。アーチャーはくだらない命令で令呪を食い潰す気だった。だが令呪は効力を持ってしまった。すでにエヴァはマスターではないが、『ランサーと戦え』という命令は取り消すことができない。どこまで戦えば令呪の強制力がなくなるのか、アーチャーには解らない。
 とにかく令呪の力が消えるまで持ちこたえるしかないか。
 生きて、この場を切り抜ければ、聖堂教会に保護されれば、あの青年が自分と明時を結びつけてくれるだろう。そうすれば聖杯を手に入れる可能性が見えてくる。
 アーチャーはさきほどランサーが盗もうとした小刀を抜いた。右手には愛用の長剣、そして左手には櫛形の複雑な刃を持つ剣折りの剣ソード・ブレイカーを構える。
 ランサーの素早い足さばきに押されて屋根の梁を越える。
 足元も軽やかに下りたつもりが、再びランサーに上をとられる体勢になった。途端に彼は小柄な身体を活かして飛びこんできた。白い手を蛇のようにひねり、剣折りの剣ソード・ブレイカーを盗ろうとする。アーチャーは反射的に剣の柄と柄をぶつけて刃を開き、ランサーの手をかわした。
「しつこいなっ」
「見たことのない武器だ。珍しい。ちょっと手元でよく見たいんだ」
 ランサーが屋根の梁に足をかけて、右手をあげてぱくぱくと開いたり握ったりする。その目は子供のように燦めいて、殺意よりも好奇心に満ちていた。だが彼は確実にアーチャーを追いつめようとしていた。
 ランサーがアーチャーに向かって飛びこんでくる。いくら彼が恐るべき俊敏さを誇るとはいえ、二振りの剣を持つ相手に徒手空拳。その度胸は英霊の中でも並外れていると言っていいだろう。英霊たるものならば数々の戦場に望んだはずであり、場数を踏んだからこそ用心深くなるものだ。
 だがランサーには警戒心などないのではないかとさえ思わされる。
 アーチャーが重心を確保するために踏みこむと、屋根のスレートが砕けて、梁がきしむ。二振りの剣を自在に操り、アーチャーはランサーを左にかわした。通り過ぎたと思った瞬間、アーチャーの身体に後ろへ引っ張られるような力が加わった。
「なっ」
「もーらった!」
 あろうことか、ランサーが左脇にアーチャーの左腕を挟み込んでいた。彼は苦もなくアーチャーの左手の関節を外す。
「がっ……」
 痛みに身体が動かなくなる一瞬をランサーは逃さない。彼が目をつけた宝物、剣折りの剣ソード・ブレイカーをもぎ取った。そのまま、ぐにゃりと腕を曲げて走り抜けながらアーチャーを解放する。
「この野郎……小賢しい手を」
 アーチャーは左手を押さえ、すばやく腰袋から包帯を出して、ぐりぐり縛りつける。そんなことをしていられたのはランサーが屋根の端に座りこんで、しげしげと戦利品を眺めまわしていたからだった。
 アーチャーが治療にもならない治療を終え、動き出してもランサーは動かなかった。剣は両刃だが片側だけが波打つような櫛形に鍛えられていて、隙間がたくさんある。彼はくるくると手の中で剣を転がし、何度か頷いた。
「なるほど。だいたい解った」
 立ち上がりかけるランサーにアーチャーは斬りかかった。ランサーが素早く手の中の剣で応戦した。立ち上がりざまにアーチャーの剣に剣折りの剣ソード・ブレイカーをすらせようとする。アーチャーは慌てて後ろへ歩を送り、剣を退く。
「返せ。それは俺のものだ」
「うん。いいよ。僕の獲物を狩り終わったら」
 ランサーはどこまでも無邪気。からんと剣を下げて無防備に身体の前を開けている。だが踏み込めない間合いを保っている。子供のような言動だが、戦いぶりは破格。どうすりゃ、こいつを振り切れるんだ?
「そりゃ俺のことか。返す気がないのなら、力ずくで返してもらうぜ」
 アーチャー本心の考えは全く違っていた。ランサーと雌雄を決する必要などどこにもない。一旦、休戦して自分は新たなマスターを手に入れ、その間にバーサーカー、ランサー、セイバーが潰しあうのを待てばいい。あれだけの手練れが揃っているのだ。今夜一晩、戦場を空けただけで状況は大きく変わるはず。
 だが身体に残った令呪の力は、アーチャーをランサーとの真っ向勝負に引きずり出す。
 二人が睨み合っているとき、ぱかんと後ろで天井窓が開いた。
「ちょっと、あんたたちっ、他人ひとんちの屋根で何やってんだい!」
 なんと娼婦宿の女将が怖いもの知らずにも首を突き出した。それはアーチャーの真後ろだった。
 だが二人とも女将を全く気にしなかった。女将が見たのは砕け散る娼婦宿の二階の屋根だけだ。あまりに早い英霊サーヴァントの動きは普通の人間では捉えることができない。
 ランサーとアーチャーは互いに斬りあう。恐るべきことにランサーは初めて持った剣折りの剣ソード・ブレイカーを自在に操った。彼は刃の角度を微妙に変え、アーチャーの剣を捕らえようとする。アーチャーは的確に刃の角度をそらし、あるいは退き、自らの剣を守る。
 だがランサーは斬りこむ隙を与えない。
 アーチャーが飛びすさって足を止めた。女将はあっと叫び声をあげる。屋根の階にランサーが現れる。彼女の認識はそういうことだ。
「ランサーよ、お前は槍使いの身でありながら、剣にも習熟しているな。いったい、どこの者だ」
「僕はキエンギから来たんだ」
 なんとも、あっさりとランサーは答えた。その顔はにっこりと微笑んでいて、女将がぽかんと見惚れるほどだった。
 アーチャーが眉をしかめて肩をすくめる。
「何処だ、そりゃ」
「君は行ったことのない場所だ。あそこが世界の中心なのだ」
 ランサーが突如、姿を消したと思った。アーチャーは慌てて剣を構える。身体がついてこない! 左手を失ったことなど、どうでもいい。一番まずいのは基礎能力値の低下だ。ブラウエンがマスターだったときと違い、速く動けない!
 がきん!
 妙な音を立てて剣がぶつかりあう。アーチャーの真向かいで、にやりとランサーが笑った。アーチャーの剣は剣折りの剣ソード・ブレイカーの櫛の間に嵌りこんでいた。ランサーがゆっくりと身体をひねる。
 キン!
 聞いたこともない高い音でアーチャーの剣が折れた。その切っ先が女将の鼻先に吹っ飛ぶ。
「きゃああああっ」
 盛大な悲鳴をあげて、女将が天井下に転がり落ちる。
 もう知ったことか!
 魔力供給の経路パスはまだエヴァと繋がっている。アーチャーは魔力を振り絞り、屋根を踏み抜いた。
「出でよ! 『全てを破壊、撃破せよブリゼトゥ・レネミィ』!」
 ごおおおおと地響きがした。屋根がぐらぐら揺れて砕け落ちていく。娼婦宿の建物は全体が下から崩壊していった。煉瓦が砕け、柱が折れる。
 砕け落ちていく屋根の下で、エヴァが青ざめた顔で飛びかうアーチャーとランサーを見上げた。彼女は両手でムンクの叫びのポーズをつくると、ひーと、かよわい悲鳴をもらして逃げ出した。
「いやっ、死にたくない! 助けてええっ」
 彼女は鼠のような素早さで崩れ落ちてきた屋根の上に飛び乗った。ランサーの目がそちらに流れる。アーチャーの足の下には攻城機が上ってきている。とっさに手を振り抜いた。
「Feu!(撃て)」
 どご……
 不吉な音を立てて攻城機は首をもたげ、娼婦宿の屋根が両側に滑り落ちていく。砲門が立ち上がるや、目の前のランサーに巨大な砲弾を直撃させた。黒煙と夜闇の中に橙色の火花が舞い散った。ランサーの身体が二つ折りになって空を飛ぶ。彼が固執していた剣折りの剣ソード・ブレイカーもきらめきながら暗がりに落ちていく。その下の街路を哀れで醜い女、つまりはエヴァが走り抜けていく。娼婦宿は完全に崩壊し、瓦礫の山と化し、その上には黒々と月に光る攻城機が煙を漂わせた。
 ランサーは向かいの建物に身体を突っこませ、それからぽろっと地面に落ちた。
 彼の口からは血が垂れていた。だが彼はけろりとした顔で瞬きし、ぽんと街路に立ち上がった。
「なるほど。確かに魔術とは便利なものだな」
 ランサーは自分の身体を触って見回した。折れていた肋骨や破れた肺も元通り。ついでに今までの戦闘の疲労も完全回復していた。口元の血をぬぐいされば、出会ったときと何も変わらぬ彼が立っていた。
「ちっ、貴様のマスターの仕業か」
 アーチャーは消耗し意識も朦朧としていたが、理解した。これは普通の戦いではないのだ。さまざまな常識外れ●●●●のことが起きる。
 ランサーがにっこり笑い、腰に手をあてて、攻城機の上のアーチャーを指差してみせる。
「そうだよ。僕のマスターは治癒魔術が得意なんだ。いいものを掛けてもらった」
「なんてこった。これが聖杯戦争か」
 アーチャーは仕留めたと思った敵が二度も蘇ってしまい、がっくりと肩を落とした。息を切らせて低く呻く。
「信じられん。どうしようもなくルールがねえ」
「それは、こっちの台詞だ。お前のせいでエヴァって女が逃げたじゃないか」
「それがお前に何の関係がある」
「大有りさ」
 ランサーがぱっと夜空を振り仰ぐ。中天に星が瞬いている。月があってなお赤く輝く牡牛座α星アルデバラン──流血の星が昇っている。
「お前の罪を償わせるぞ。僕は少し怒っている」
 ランサーが擦り切れた赤い上衣アシートゥをひらめかせ、夜風を切って拳を上げた。
「来たれ! 我が悼みの贄、『神の雄牛リュ・イブキカ』!!」
 それは、足元から攻城機が現れた以上に非現実的な光景だった。
 ランサーの示す牡牛座の天に裂け目ができ、光るガスのようなものが吹き出した。それは雲のように地上に延び、光がつくる波濤の上を漆黒の雄牛が降りてくる。蹄を鳴らす音だけで周囲に振動が走る。牛の呻きが轟きのごとく鳴り響いた。
「なっ……」
 その牛は攻城機よりも大きかった。伝承にある雄牛の大きさは推測するに高さ15mはあろう。なにしろ角の中に入っていた油だけで250リットルもあったと言うのだから。牛の蹄が地上に触れるや、攻城機の下の瓦礫が崩れ去り、さらに攻城機は低くなった。牛は高層建築などなかった伯林ベルリンの街で、どこからでも見えるほど大きかった。夜でなければ、もっと大変なことになっていただろう。
 この光景はオストクロイツ駅の給水塔の上から、ウォルデグレイヴも見守っていた。彼はオストクロイツ一帯に一般人の目をごまかす結界を維持していたが、これには茫然だ。娼婦宿の女将は想定外の観客だったが、今の騒ぎで瓦礫の下だろう。あとは代行者たちが息の根を止めるはずだ。だがランサーの破壊の跡はごまかしようがない。たくさんの死者も。
「あー……ちゃあ。これはまあ、どうしたもんかな」
 ランサーには言っておいたのだ。エヴァさえ殺せばアーチャーなど見逃してもいいと。あの辺りは歴史的な建物も多く風雅な通りだったので、建物を破壊しないように、と。最初ランサーは言いつけ通り、エヴァを暗殺しようとした。だがアーチャーのとんでもない宝具を目の当たりにして愉しく●●●なってしまったのだろう。それに彼は暴れたくて仕方のない子供だ。
 監督役の船が少し離れたシュプレー川に浮かんでいるのが判る。だが彼らは、そこにいない。厄介なことになった。
 あの女が逃げ出したりしたからだ。
 あの朴訥で真面目な青年はヴァチカンの命を守るべく、必死でエヴァを保護に走っている。御苦労様なことだ。あんな女、死んだところで総統閣下はすぐに代わりを見つけるだろうに。
 ウォルデグレイヴはふわりと給水塔から舞い降りる。彼の身体は全く違う理で動いていて、着地の衝撃など身体に伝わらなかった。というか身体の組織が変質して衝撃を吸収してしまうのだ。つづいてウォルデグレイヴは意外な俊足で走りだした。日曜通りゾーンタグ・シュトラッセをエヴァがこちらに走ってくるのが見えていた。
 ウォルデグレイヴは駅前の広場に陣取った。
 どこへ逃げようとも無駄だぞ。
 わたしの目からは、そして遠坂の目から逃れることはできまい。
 キャスターもこれを眺めていることだろう。思うとウォルデグレイヴは苦笑してしまう。馬鹿げた話だ。あんな下らない魔女のために法王庁ヴァチカン、大英帝国、日本までもが振り回されている。魔術と何の関係もない外交問題とやらで。それが魔術の世界に何の関わりがあると?
 だが生きている以上、魔術師も人の世界で生きる以上、逃れられないしがらみがある。
 ウォルデグレイヴはすうっと指先を上げ、両手を舞わせる。すると何もない空中に魔法陣が現れた。それを地面に固定する。魔法陣は石畳に光が染みるように見えなくなる。何も知らない女の足音がウォルデグレイヴの耳に聞こえる。
 彼女は暗闇の中のウォルデグレイヴが目に見えない。
 真っすぐ走って、かの石畳に足先が触れた。
 ふぉーん……
 マイクがハウリングを起こすような音が響き渡った。エヴァの身体は凍りつき、ゆっくりと体温が下がっていく。それは一気に彼女を致命的な冷却に引きずり込もうとしていた。彼女は足先を触れた瞬間のまま止まっている。
「困りますね、先輩」
 彼女の背後の暗闇でぱちんと指を鳴らす音がした。
 ぼうっ!
 今度はエヴァの身体が明るい炎に包まれた。だが、それは現実の炎ではなく魔術的なもの──彼女の身体を生存域まで温めるものだった。
遠坂とおさか!!」
 何も知らないエヴァが固まった姿のまま氷ったり炎を吹いたりする。明時とウォルデグレイヴの魔力が拮抗しているからだ。それは、あまりにも奇妙な光景だった。
 彼女の後ろから飴色のスーツをまとった明時あきときと、神父服で茫然とエヴァを見つめる璃正りせいが現れた。
「この介入はどういうつもりだ。君は参戦していないはずだろう」
 腕組みして見下ろすウォルデグレイヴの前で明時が立ち止まった。
「いやあ、流石は先輩。手加減しすぎましたね」
 ふたたび明時が指を鳴らす。炎は適正な強さになり、エヴァは氷らなくなった。ウォルデグレイヴがさっと顔色を白くする。彼の真っ青な目は信じられないものを見るように明時を見た。
 明時は治癒魔術が本領ではない。それなのにウォルデグレイヴの術を一目見ただけで破ったのだった。複雑な術式ではなく魔力も十分とはいえないが、ウォルデグレイヴにとっては衝撃だった。
 彼は明時に正対し、ゆるく睨む。
「遠坂明時、君がそれほどの力を持っていたとは。時計塔ではもっと大人しかったじゃないか」
 天才の誉れ高い明時。しかし、その片鱗を倫敦ロンドンで見せたことはなかった。彼は優等生だった。活発で礼儀正しい生徒だった。ただ立っているだけで周囲を圧倒するような強い魔力を持っていたが、それだけだった。だが時計塔において多くの魔術師に囲まれながら属性ひとつ割り出されなかったというのは、つまり、こういうことだったのだ。
「『魔法使いの弟子』遠坂が大きな顔をしては皆さんの恨みを買いそうで。私も鼻に掛けるつもりはありませんでしたし」
 遠坂家は第二魔法の使い手キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグの弟子──おっとり笑う明時はずっと牙を隠していた。
 必ず遭遇すると判っていた聖杯戦争、つまりはこの時のために。
 ウォルデグレイヴはぱっとエヴァを手放した。彼に付き合って魔力を消耗するとランサーの行動に差し支える。彼が宝具を呼び出した以上、アーチャーを必ず仕留めさせなければ。そうでなければ魔力も宝具も使い損だ。ランサーの戦う様子がウォルデグレイヴの脳裡に伝わっていた。
 明時の後ろから璃正が進み出る。
「その女性を保護します」
「昨夜言ったことを忘れたのか、ヴァチカンの回し者」
 ウォルデグレイヴは璃正を睨むように見下ろした。
「君たちが独逸と癒着するというなら、わたしたちは黙っていない。遠坂、君も何を考えている。アーチャーの再契約を利用して監督役を出し抜くような行為は認められないな。公正フェアとは言えない」
 首をめぐらせウォルデグレイヴが目を眇めると、明時が大きく両手を広げて肩をすくめた。
「とんでもない。彼も認めた行為ですよ」
「君は監督役が知りえようがないことを知っている。言峰、君は遠坂に騙されているぞ」

Fate/Revenge 9. 聖杯戦争三日目・夜──策士たちの邂逅-② に続く


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