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縦横無尽に思ったこと

(アーカイブ視聴〔3周〕、「MUSICA」未読)

通勤のお供にいつも音楽を聴いているのだけれど、コンサート直後は聴かないでいられる。いや、むしろ聴かずに余韻に浸っていたい。だが今回ばかりは、そうも言っていられなかった。期限の短いアーカイブを視聴して、その翌日にはシングルが届くという臨戦態勢。何かしらを聴きたい気分。
…とは言うものの、何を聴いたらいいか困惑しまくった。アーカイブの脳内反復もしたいし、歩いている時間も彼の音楽を浴びていたいし。考えた末、ソロをシャッフルで。

………。

『ROMANCE』の歌…、なんだこりゃ!ぜんぜん違う。
そうだ、アルバムはデモ音源だったんだものね。
そう考えると、コンサァトではしっかりと歌いこまれて、すっかりこなれていた。アルバムのあの凄まじいインパクトをもたらした初期衝動とは対極のエモーションが、たしかにそこにあった。

アーカイブ視聴。
1回目、感激を反芻しながら無心で。
2回目、メモを取りながら。中盤あたりから曲が終わるごとに、しんどそうな表情をしていたことに気づく。
3回目、たしかにつらそうだしヘロヘロだし、でもすごく充実した達成感にあふれた表情。
現地ではわからなかった細かい動きや表情がよく見えて、胸に迫ってくる。ツボったところ、萌えポイントを書きとったものの、多すぎて書ききれないから、ひっくるめた感想を。

1.素のままで輝くひと。

照明、映像、曲から曲へのつながり、そのすべてが、精鋭のクリエイターたちが彼のために結集して精巧に作り込んだ素晴らしいショーだった。でも、なんだかいろいろもったいない気がするのはなぜだろう?

『ROMANCE』コーナー、とってもよかった。”ジョニィへの伝言” なんて、本当に素晴らしかった。繊細なのに力強い丁寧な歌声が、透明な光のなかをどこまでも広がっていく。美しかった。
そうだよ。
ミヤジは、その歌と姿と、気魄で魅せられるひと。
だから、野音のような舞台装置のないシンプルな演出で、引っ張られるより引っ張る、引きずり回して強引に進む孤高の帝王が似合うのかもしれない。伝説の渋公ライブDVDをまた観たくなる。

…そうか。
百戦錬磨のバンドの音、色彩がめくるめく光の明滅、鮮やかな映像の交錯。そこに融合していく歌声と歌い手のシルエット――を見たいんじゃないのかもしれない。それらを背負って引きずり回して、それでもなお中心で燦然と輝く発光体を見たいんだ。そうか。私の目と耳には情報量が多すぎた…。

2.このひとは、アスリートだった。

上半身がパンプアップしてる。胸板が厚くなってる。太腿も。
彼のことだ。ライブ再開が見えてきて、それに備えて鍛えたのだろうか。
バックバンドを何度も紹介し「かっこいい!」「かっこいいミュージシャン!」と何度も叫ぶ。このひと、自分は「ロック歌手」であって「ミュージシャン」だとは思ってないんだなぁ。

1曲1曲に魂を籠め、出し尽くす。倒れちゃうんじゃないかと思うくらいのパワーの放出。にもかかわらず次の曲では、さらにそれを超えてくるパワフルな歌唱だったり、シャウトの後にどうしてこんなに綺麗に歌えるんだ?!と唖然とするような歌声を響かせたり、それはもう文字通り縦横無尽だった。

実は私、ラグビーが大好きで試合をよく観る。推し選手の成長が著しくてとても嬉しい。彼らは、見上げるような大きな相手が立ちはだかっても、時にぶつかり時にかわし、這ってでも前に進む。ブルドーザーのような巨漢が突進してきても、ひるまずに止めに行く。倒されても倒されても起き上がる。追いつけないほどの点差がついても、最後の瞬間までけっして諦めない。
それは自分との戦いでもあるから。つらそうな顔を気取られたら負けだ。折れそうな心を鼓舞して、何度でも立ち上がる。応援を力に変えて。
1曲を歌い終えるたび、表情をキメた直後のほんの一瞬のしんどそうな顔に、私は彼らと同じ姿を見た。

簡単なことに気づいていなかった。
混同してたんだ、私。あの瞬間は身体的な疲労が表情に出ただけであって、気持ちの苦痛が表出したわけじゃないんだ。バックバンドと1対4のバトルに孤軍奮闘して満身創痍のように見えてしまったけれど、違うんだ。
あれはアスリートの達成感に満ちたオールアウトの顔なんだ。

3.ソロ活動の意味とは。

歌手になりたかった少年時代の憧れを実現するため。大好きな歌謡曲を歌いたい。いかした大人になりたい――。そういう部分が前面に出てきているけれど、憧れを解放するためだけじゃないはず。ソロで有名になってエレファントカシマシの知名度を上げたいだけじゃないはず。
黒シャツ黒スキニーでエレファントカシマシの代表曲を歌うミヤジは、表情も動きも、みるみる若返っていった。

そうだ。そもそも「エレファントカシマシのためにソロをやる」と言ってたんじゃなかったっけ。

バンドとソロの関係性に悩んでいた時(私が)、“ハレルヤ” の中に答えを見つけた。そして今、“sha・la・la・la” がすべてを語ってくれている。残された時間で先へ進むには、やりたかったことを実現して、憧れに決着をつけておかなければ。夢を追いかけ続けるために。


ものすごく長大な物語。
あちこちに伏線が張りめぐらされていて、それを回収しながら物語が進行していって、その過程ではるか昔に書かれた物語冒頭の意味が解明されていく。そしてそこには時空を超えて、新しくて同じあの風が吹いているんだぜ。(本当さ。)



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