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眠らないウサギ

『宮本浩次縦横無尽』アーカイブ配信を観た。

このひとは、眠らないウサギだった。


冒頭のインタビュー。
ほんの2分余りだったけれど、そこには現在地と目指す場所への意気込みが凝縮されていた。
……なんて言葉では薄っぺらすぎて恥ずかしいくらい、籠められた情熱が静かに燃えたぎっていた。

『ROMANCE』が話題をさらっていた頃、カバーを歌ってから自分の歌も丁寧に歌うようになったと仰っていたけれど、ソロの粘度高めな歌声の合間に配された "今宵の月のように" が、気張らず気負わず、淡々とナチュラルで、それはそれは美しかった。
と同時に、ガサつきと伸びやかさが絶妙に共存する若かりし日への郷愁も否応なくかき立てられて、‘もう二度と戻らない日々を俺たちは走り続ける’ という現実を衝きつけられもした。だがそれは、過ぎてしまった時間を悲しむとか悔やむとかではなく、戻れないんだから進むしかないだろ?と止まることのない時の流れへの身の委ね方を改めて教えてくれる響きのようにも聴こえた。


このひとは、なぜ歌い続けているのだろう。
例えば、これだけのキャリアと実績があったら、往年のヒット曲を携えて折に触れて公共の電波に現れるだけの大御所になってしまう手もあるし、これまでの貯えを抱え込んで隠遁生活することだってできる。実際、そういう感じの方も多い。
でも、このひとはどこまでも夢を追いかける。ひたすらに転がり続ける。
その姿が、私たちにとてつもない勇気と希望をくれる。

このひとは、何のために歌を作って歌い続けているのだろう。
若き日の彼は、内包する心の叫びをぶちまけながら、わかんねえ奴にはわかんなくていいんだ、でもこんないいものがわからないなんて世の中おかしいんだ、と苛立ちと焦燥を露わにしてシャウトする。今見るとハリネズミのようで痛々しいくらいだ。
それが、聴いてくれる人がいて、自分の音楽が届く喜びを知って、伝えたい届けたい、に変わり世の中に受け入れられてきた。その手ごたえに裏付けられて、今の輝きがある。

でもね、だからといって聴いてくれる人のために作って歌っているかといえば、そうじゃないと思うの。(いや、もちろんそういう気持ちもないわけじゃない。あるに決まっているけれども。)

歌いたいから、歌っているんだ。
表現したい何かがあって、どうしたらそれを《かたち》にできるか試行錯誤を続けて、時の流れの中で変化し続ける自分自身と対話をしながら、その《かたち》を探し求めてきた。
そしていついかなる時でも、その手段は《歌というかたち》であり、目的は《歌というかたちで表現すること》だった。
それが生きる道であり、生きている証であり、作って歌い続けている理由。
この旅に終わりはないのだ。

誰かが言ったように「ただ一切は過ぎて行く」だけと感じる。そして一切が過ぎ行くとともに、自分も朽ち果ててしまうのである。その過ぎて行く時の中を、俺は己の意志でただ歩いて行く。その方便に歌を選んだのである。
(「ただ歩いて行く」『東京の空』より)


この「誰か」とは太宰治だけれども、時間はどうあがいても行き過ぎていくし(今この瞬間も)、巻き戻すことはできないし、ならば何にも頼らない無頼の侍のように、行雲流水の如く、自分自身を杖にして歩いていくしかないのだ。

水のようなひとだと思う。
滾滾と湧き出る清らかな水は、いかなる形状の器でも注がれるまま空間を満たし、そして溢れ出て行く。
流れ続けているから、常に澄んでいて淀むことはない。
とまることない、とまるわけもない。時が流れているのだから。

 旅に出ようぜbabyこのまま
 あの船に乗ってまだ知らない国へ

          ( "passion" )

過ぎて行く時の流れをわたる船であるその歌が、人々に求められ、人々を救っている。
自分の目指す道を追い求めるその姿が、その道程で生み出されるものが、誰かの力になる。なんて素敵なことだろうか。
その事実がフィードバックされてさらに意欲につながり、新たな作品が生まれる動機となり、生まれたものがまた聴き手に希望を与え、その喜びが還ってまた創り手のパワーの源となり、そしてまた…、
この、魂のコールアンドレスポンスが描く円環は、無限のスパイラルだ。


イソップ寓話「ウサギとカメ」が頭をよぎる。
天性の速い足を持っていることを過信して、うたた寝をしてしまったばっかりに、鈍足のカメとの競争に負けてしまうウサギのお話。どんなに優れた才能を持っていてもそれに驕って怠けていたら、こつこつ積み上げてきた努力に負けてしまうこともある、という教訓は、「もしもしカメよ、カメさんよ」の童謡とともに誰もが知っている。
その通りだと思う。
どんなに得意なことでも油断は禁物だし、不得意なことでも、このカメのように地道に頑張っていけば成果が出ると信じて、苦手なことにも取り組むことができる。

でも、この世界には稀に、眠らないウサギがいる。
己の天賦の才能を信じて、居眠りをしないで走り続けられるウサギが。
どうしたら今よりも速く走れるかを思い悩むウサギが。
本気で走ったら、もうカメはおろか同類のウサギだって追いてかれるし、追いつけない。
そんなウサギが、ここにいる。


2021年8月27日、待ちに待っていた嬉しいお知らせがあった。
このウサギが、できたてのアルバムを引っ提げて、日本列島を駆け抜けるという。
日本全国を縦横無尽に、禍を吹き払う風と共に、洗い流す水の如く。

それは
ウサギがウサギであるために、
カメではなくウサギであることを証明するために、
故郷の里へ帰るために、
成し遂げなければならない夢なのだ。

どうか、どうか無事に完走できますように。



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