見出し画像

悲しみとやさしさ

ものすごく長大な物語で、あちこちに伏線が張り巡らされていて、それを回収しながら物語が進行していって、その過程ではるか昔に書かれた物語冒頭の意味が解明されていく。

そのひとつの章として、“悲しみの果て” から “P.S.I love you” ヘのストーリーを読み解いてみたいとずっと思っている。《悲しみ》と《やさしさ》を全歌詞から抽出して解析してまとめるつもりで、書きかけのままであたためていた。
それが、昨夜のコンサート(宮本浩次 TOUR2021~2022 日本全国縦横無尽 栃木)で、 “P.S.I love you” をむせび泣きながら歌う姿を目の前で見てしまって、とにかく一旦かたちにしたいという衝動が抑えられなくなった。



悲しみの果て” と “P.S.I love you” のジャケットは似ている。
背景のサーモンピンク、植物。
たどり着いた悲しみの果てには、こんなにも明るくて静謐な部屋があったんだ。
P.S.I love you” のMVを初めて観た瞬間に、そう思った。


《悲しみ》と《やさしさ》という言葉は、歌詞の中で対になって書かれることが多い印象。《愛》の対義語は《夢》、という記事をどこかで読んだ記憶があるが、《悲しみ》の対義語は《やさしさ》なのではないかと考えている。
1番で《悲しみ》だった部分が2番では《やさしさ》と歌われたり、対のようになっていたり。

ああ 夜明けはやってくる 悲しみの向こうに


ああ わたしも出掛けよう わたしの好きな町へ
会いにゆこう わたしの好きな人に

……

ああ 夜明けはやってくる やさしさの向こうに

ああ わたしも旅立とう あたらしい明日に
会いにゆこう あたらしいわたしに

“夜明けのうた”

教えて 教えて 悲しみを いつの日にか
やさしさに変えちまう そんな日を
あなたとふたり 生きられりゃ

“孤独な太陽”

そしてその《やさしさ》は感覚的に湧き上がってくる感情ではなく、

ああ お前のやさしさ 頭に思いうかべて

“やさしさ”

「頭に思い浮かべる」のだ。「心に」ではなく。

月の影あなたの面影が
見えたような気がした

“孤独な太陽”

面影が、見えたんじゃない。見えたような気がしたんだ。

それは《悲しみ》にも言える。

ただ あなたの顔が
浮かんで消えるだろう

”悲しみの果て”

何気ない自然な表現のようだけれど、実はものすごい核を内包している。
あなたの顔が、浮かぶだけではない。浮かんで、消える。
普通だったら「浮かんで、消えないんだ…」とか歌いそうなものだ。それが、浮かんで、消える。
過去にすがって面影を追い求めるのではなく、受け流して先に進むのだ。


本当の悲しみというのは、
自分で慣れていくことしかできないんじゃないかな。

『新録・宮本語録集』p.170


悲しみには果てがある。
「悲しみの果て」はグッズのTシャツで「end of sorrow」と英訳されているけれど、私の感覚だと(と言っても英語はよくわかりませんが)「horizon」とか「furthest」とかが近いような気がする。「end」というと行き止まりな感じがするけれど、そうではなくて、そこを過ぎるとその先は未開の荒野、というような《果て》。
なぜなら、《悲しみ》に行き止まりはないから。
意味的には「beyond」や「over」なのかもしれないが、そうすると日本語では「果て」ではなく「向こう」になる。「悲しみの向こう」はそう、 “P.S.I love you” で歌われる歌詞だ。


僕等は行くよ どんな悲しくても

“恋人よ”

僕はひた走る
どんな悲しい思い出も
全て後ろにして

“赤い薔薇”

悲しみに行き止まりはない。
その地点を越えて先に行くことができる。

悲しみは乗り越えるとか、戦うとか打ち負かすとか、そういうものじゃない。そうすることで消えてなくなるものじゃない。影のようについてくる。だから抱えて生きていくしかない。

雨の日傘をさすように 歩いてゆこう

“P.S.I love you”

それでも、抱えきれないほど押し寄せることもある。受け止めきれなければ、

尽きない悲しみ振り払いゆけ

”shining”

人は、悲しみを乗り越えるから強くなるんじゃない。
悲しみを抱えて、それでも生きて行こうと立ち上がろうとするから強くなるんだ。



なぜソロのコンサートでエレファントカシマシの曲をやるのだろう…と考えて、

 ・(ソロからファンになった)ご新規さんへのバンドの紹介、挨拶
 ・曲のポテンシャルを試してみたかった
 ・ソングライター、歌手としての自分を知ってもらいたかった

など、これまであれこれと考えた。
悲しみの果て” の曲としてのポテンシャルを試したかったのではないか、という思いは、エレファントカシマシ新春コンサートを経たソロコンサートで改めて聴いて、再び芽生えてきた。
……名曲。
そして、“P.S.I love you” へと地続きで浴びると、人には悲しみから立ち上がろうとする力があり、それは夜明けを待つ気持ちであり、それこそが生きる力であり、それを歌っているのは、ソロ次でもエレ次でもなく、宮本浩次なのだという思いがこみ上げてきた。


P.S.I love you” のMV。
たどり着いた悲しみの果てには、こんなにも明るくて静謐な部屋があった。
神々しいまでの光と静けさに満ちた部屋。
この部屋に、宮本浩次#1 の歌声が朗々と響き渡る。
……でも、静かすぎて寂しすぎはしないか。
宮本浩次#2 が手紙にひと区切りつけて立ち上がり、電球を投げつけた時にそう感じた。
静かすぎる。寂しすぎる。
そうだ、光を。光を動かそう。
大きく揺れる光源によって、シルエットで表情の見えなかった宮本浩次#1 が照らされると、……彼は目を剥いて歌っていた。
そう、この部屋は静かすぎる。殺風景すぎる。
この部屋に、

花を飾ってくれよ

“悲しみの果て”


そうやって、いつもの部屋から立ち上がって、出かけて行くんだ。
悲しみの果てにたどり着いたこの部屋で、ココロを整えて、再び立ち上がれ。
立ち上がれ、がんばろぜ。悲しみの向こう。
バカらしくも愛しきこの世界の、果敢なくもうるわしきこの世界の、

悲しみの果ては
素晴らしい日々を
送っていこうぜ

”悲しみの果て”


宮本浩次の歌は、誰もが抱える悲しみへのやさしさに満ちている。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?