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俺の歌よ届け 現在地について16

これが、フェスのエレカシか…。

いわば
勝つか、負けるか。
食うか、食われるか。

あるいは
領土拡大のための戦場。
《非ファン》すなわち《未ファン》を《新ファン》として獲得するための。
戦い続けるために、恐ろしや世間の風の中で我が身の立ち位置を確認するための。

世の中の事象や人生の重大な事柄をわかりやすい(が意味深な)単語になぞらえるのは、このひとの思考センスの表れなのだろうと思う。これは単純化しているわけではなく、理解を助けるための置き換え。文学や芸術への造詣の深さが為せる技。

だが、「フェスは戦いの場」という表現は、何の比喩でも言い換えでもなくそのままの意味だった。

《戦う》とはこういうことか…!
《安住しない》とはこういうことか…!
文字どおりの《勝ちに行く》姿を目の当たりにしたロックフェス春の陣だった。

2023年4月30日(日) ARABAKI ROCK FEST. 23
2023年5月3日(水) JAPAN JAM 2023
2023年5月6日(土) VIVA LA ROCK 2023

1. ドビッシャー男(1996)
2. デーデ(1988)
3. 星の砂(1988)
4. 悲しみの果て(1996)
5. 珍奇男(1989)
6. so many people(2000)
7. RAINBOW(2015)
8. 俺たちの明日(2007)


今この瞬間の、ありのままの自分達の音を鳴らすことに、全身の気迫を籠め、全霊を注ぐ。
今宵の月のように” のない、“yes. I. do” すらない、徹底した攻めの気概。

若いバンド、ノリの異なるバンドに囲まれた四面楚歌の中、《伝説の孤高のロックバンドたる佇まい》なんて全く意識していないだろうに、そうした《風情》が自ずと立ち上る。
そして、この《貫禄》はもしかして35年前から変わっていないのかもしれない…と《時空の歪み》に墜とされる。

「たられば」を言ってもしょうがないのは百も承知だが、過去の凄まじく重苦しい歌があるから、不遇の時代があったから、《今》が活きているのだろう。デビュー当初から近年のような歌を作っていたら、今の状況はなかったかもしれないし、最新がキャリア絶頂なんてこともなかったかもしれない。
それはきっと、彼ら自身が一番よくわかっている。
だからこそ、苦楽を共にした昔の歌が愛おしくてたまらないんだろうな…、と思う。
その大事な大事な歌たちで勝負できる日が、やっと訪れたんだ。。。


昨夏の有明サンセットのセットリストと比べると、曲順は異なるもののラインナップはほぼ重なる。だが、最初と最後の曲目が違う。

1曲目は “地元のダンナ” ではなく、“ドビッシャー男”。
「ボクはひとりで連日連夜いろんなものと戦ってゐる。最近じゃ自分の歴史とも。ああ、まだまだ行かなきゃならないんだ。」
このエレカシ史上最高最強(ムル比)の強迫観念&承認欲求ソング、スピッツが対バンならともかく、他流試合であるフェスには、
「俺たちは、俺たちは、ああ、ドビッシャー男ぉ〜〜〜!」
このわけのわからなさで殴り込むのが、王道にして覇道。

そして締めの1曲。
ファイティングマン” ではなく、“俺たちの明日”。
売れるための、いや「売れたい」という己の気持ちの発露としての曲作りに心を砕いてきた日々。ひとりでも多くの人に届くように、わかりやすい言葉を、キャッチーなメロディーラインに乗せ、メジャーなプロデューサー/アレンジャーに味付けをしてもらう。
この手法で曲を世に出すにしても骨格を作るのは、フロントマンにして歌係、総合司会の彼だ。だから、与えられたお題に答えるミッション、やりがいと背中合わせのプレッシャー…、さぞかし孤独な戦いもあったのだろう。
その臥薪嘗胆 It's only lonely crazy days の末に行き着いたのが、「がんばろうぜ!」というベクトルなのかもしれない。

かつては、演奏したい歌で勝負をしたために、聴衆が呆然唖然として棒立ちになったり、帰ってしまったり、野次を浴びたり、という傷つく経験もあったと聞く。
星の砂” 、「耐えろ…! 耐えろ…!」と広大な会場を指差し、狂気の高笑いで睥睨する姿に胸が詰まった。

今はもう、歌いたい歌で真っ向勝負をする。それができる。

フェスで客層を広げたいのなら、知名度の高い歌をセットリストに入れればいい。
そんないわばご挨拶が、このラストの “俺たちの明日” に籠められていた。
強気の戦闘モードならば、締めは “ファイティングマン” でもよかったかもしれない。
でも、そこにこの大人の応援歌を持ってくるあたりがまた、例によって「みんな聴きたいかな、と思って」という、サービス精神っつうかお愛想っつうかやさしさっつうか。

……いや違う、
コロナ禍を乗り越えたフェスでこそ。

いや……、
いついかなる時でも。

俺たちの明日” は、あらゆる挫折と輝きのめくるめく艱難辛苦を泳いできて、人生経験によって具体性を伴って再構築され、多くの聴衆に届いて熟成された “ファイティングマン”。この《ご存じエレファントカシマシ》を締めにぶっ込んでくる痛快さたるや、、、泣けるじゃないか…。


35年を経た今、フェスでぶちかましたいのは、ゴリゴリの《エッセンシャル・エレカシ》。
白昼にカラスまで歌わせ、巨大アリーナを残響で沈黙させた “珍奇男”。
圧倒的な存在感で「それが俺さ」と度肝を抜き、メジャーでキャッチーな歌を期待した輩を置き去りにしておいて、
「ようこそ!…って俺のコンサートじゃねえけど。俺のコンサートにも来い!」
って、、、かっこよすぎるじゃないか…。


これが、35年かけて手にした、《今》のエレカシ流の戦い方。

「35年目にして、ようやくスタート地点に立てましたよ。」

そう言って目を輝かせる宮本の姿を思い描く。

その目に、今、隅田川のキラキラは見えていますか。



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