俺の歌よ届け 現在地について16
これが、フェスのエレカシか…。
いわば
勝つか、負けるか。
食うか、食われるか。
あるいは
領土拡大のための戦場。
《非ファン》すなわち《未ファン》を《新ファン》として獲得するための。
戦い続けるために、恐ろしや世間の風の中で我が身の立ち位置を確認するための。
世の中の事象や人生の重大な事柄をわかりやすい(が意味深な)単語になぞらえるのは、このひとの思考センスの表れなのだろうと思う。これは単純化しているわけではなく、理解を助けるための置き換え。文学や芸術への造詣の深さが為せる技。
だが、「フェスは戦いの場」という表現は、何の比喩でも言い換えでもなくそのままの意味だった。
《戦う》とはこういうことか…!
《安住しない》とはこういうことか…!
文字どおりの《勝ちに行く》姿を目の当たりにしたロックフェス春の陣だった。
今この瞬間の、ありのままの自分達の音を鳴らすことに、全身の気迫を籠め、全霊を注ぐ。
“今宵の月のように” のない、“yes. I. do” すらない、徹底した攻めの気概。
若いバンド、ノリの異なるバンドに囲まれた四面楚歌の中、《伝説の孤高のロックバンドたる佇まい》なんて全く意識していないだろうに、そうした《風情》が自ずと立ち上る。
そして、この《貫禄》はもしかして35年前から変わっていないのかもしれない…と《時空の歪み》に墜とされる。
「たられば」を言ってもしょうがないのは百も承知だが、過去の凄まじく重苦しい歌があるから、不遇の時代があったから、《今》が活きているのだろう。デビュー当初から近年のような歌を作っていたら、今の状況はなかったかもしれないし、最新がキャリア絶頂なんてこともなかったかもしれない。
それはきっと、彼ら自身が一番よくわかっている。
だからこそ、苦楽を共にした昔の歌が愛おしくてたまらないんだろうな…、と思う。
その大事な大事な歌たちで勝負できる日が、やっと訪れたんだ。。。
昨夏の有明サンセットのセットリストと比べると、曲順は異なるもののラインナップはほぼ重なる。だが、最初と最後の曲目が違う。
1曲目は “地元のダンナ” ではなく、“ドビッシャー男”。
「ボクはひとりで連日連夜いろんなものと戦ってゐる。最近じゃ自分の歴史とも。ああ、まだまだ行かなきゃならないんだ。」
このエレカシ史上最高最強(ムル比)の強迫観念&承認欲求ソング、スピッツが対バンならともかく、他流試合であるフェスには、
「俺たちは、俺たちは、ああ、ドビッシャー男ぉ〜〜〜!」
このわけのわからなさで殴り込むのが、王道にして覇道。
そして締めの1曲。
“ファイティングマン” ではなく、“俺たちの明日”。
売れるための、いや「売れたい」という己の気持ちの発露としての曲作りに心を砕いてきた日々。ひとりでも多くの人に届くように、わかりやすい言葉を、キャッチーなメロディーラインに乗せ、メジャーなプロデューサー/アレンジャーに味付けをしてもらう。
この手法で曲を世に出すにしても骨格を作るのは、フロントマンにして歌係、総合司会の彼だ。だから、与えられたお題に答えるミッション、やりがいと背中合わせのプレッシャー…、さぞかし孤独な戦いもあったのだろう。
その臥薪嘗胆 It's only lonely crazy days の末に行き着いたのが、「がんばろうぜ!」というベクトルなのかもしれない。
かつては、演奏したい歌で勝負をしたために、聴衆が呆然唖然として棒立ちになったり、帰ってしまったり、野次を浴びたり、という傷つく経験もあったと聞く。
“星の砂” 、「耐えろ…! 耐えろ…!」と広大な会場を指差し、狂気の高笑いで睥睨する姿に胸が詰まった。
今はもう、歌いたい歌で真っ向勝負をする。それができる。
フェスで客層を広げたいのなら、知名度の高い歌をセットリストに入れればいい。
そんないわばご挨拶が、このラストの “俺たちの明日” に籠められていた。
強気の戦闘モードならば、締めは “ファイティングマン” でもよかったかもしれない。
でも、そこにこの大人の応援歌を持ってくるあたりがまた、例によって「みんな聴きたいかな、と思って」という、サービス精神っつうかお愛想っつうかやさしさっつうか。
……いや違う、
コロナ禍を乗り越えたフェスでこそ。
いや……、
いついかなる時でも。
“俺たちの明日” は、あらゆる挫折と輝きのめくるめく艱難辛苦を泳いできて、人生経験によって具体性を伴って再構築され、多くの聴衆に届いて熟成された “ファイティングマン”。この《ご存じエレファントカシマシ》を締めにぶっ込んでくる痛快さたるや、、、泣けるじゃないか…。
35年を経た今、フェスでぶちかましたいのは、ゴリゴリの《エッセンシャル・エレカシ》。
白昼にカラスまで歌わせ、巨大アリーナを残響で沈黙させた “珍奇男”。
圧倒的な存在感で「それが俺さ」と度肝を抜き、メジャーでキャッチーな歌を期待した輩を置き去りにしておいて、
「ようこそ!…って俺のコンサートじゃねえけど。俺のコンサートにも来い!」
って、、、かっこよすぎるじゃないか…。
これが、35年かけて手にした、《今》のエレカシ流の戦い方。
「35年目にして、ようやくスタート地点に立てましたよ。」
そう言って目を輝かせる宮本の姿を思い描く。
その目に、今、隅田川のキラキラは見えていますか。
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