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初めて椎葉村を知るあなたへの“椎葉の教科書”

菓te-riは、宮崎県北部のずっとずっと奥、山あいの秘境の地・椎葉村にあります。宮崎県民でさえ、その名は知っていてもなかなか足を延ばすに至らないという人が多いのが、この椎葉村。

そして、訪れた人のほとんどが口にする言葉があります。
それが「想像以上でした」という一言。

それは、想像以上の「山奥」なのか、「田舎」なのか、はたまた「神秘の地」なのか……いずれにしても、椎葉村に一度足を踏み入れれば、ここが「秘境」と呼ばれる理由をなんとなく実感してしまう。そんな場所だからこそ「想像以上」という言葉が出てくるのかもしれません。

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まず知っておきたい椎葉村のこと

椎葉村は、岐阜の白川郷、徳島の祖谷いやと並んで、日本三大秘境の一つに数えられます。

九州山地のほぼ真ん中、熊本県との境にあたる宮崎県の最北西端に位置しており、面積は東京都23区に匹敵するほど。そして、その96%が山林です。そんな環境の中に、現在約2400人が暮らしています。

日本三大秘境といわれるだけあって、迫りくるようにそりたつ山々に囲まれた山間地椎葉村での暮らしは、「田舎暮らし」というより「山暮らし」と言った方がしっくりときます。

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暮らしそのものが「世界農業遺産」

このような険しい山々に囲まれた厳しい環境の中にも、わずかな平地を切り開き、営みを続けてきた先人たちがいました。その面影を、現代の暮らしの中でも感じられるのが、椎葉村の特長です。

これだけの奥地で並々ならぬ厳しい暮らしを強いられながらも、その中で培われてきた椎葉独自の文化や知恵。それらは常に、山の神様への敬意と共にあったといいます。

そういった精神は、季節の行事や神楽、狩猟、焼畑農業など、長い年月を経た今もなお絶えることなく、村の人々の生活の一部として暮らしの中に息づいています。

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このように、日本の原風景ともいえるような暮らしのあり方が認められ、2014年に椎葉村は『日本で最も美しい村』連合へ加盟しました。

さらに、2015年には高千穂郷・椎葉山地域が『世界農業遺産』にも認定。それは、この時代まで脈々と受け継がれてきた椎葉の人の暮らしそのものの価値が世界に認められたともいえるのです。

世界農業遺産(GIAHS) 高千穂郷・椎葉山地域
そのほとんどが傾斜地であるという厳しい環境の中、農業と林業を複合的に行って森林保全と活用のバランスを図り、棚田などの美しい景観や、民俗を今に伝える神楽などの伝統文化を保持し続けてきたことが評価され、高千穂郷・椎葉山地域は2015年に世界農業遺産に認定されました。
椎葉村では特に、日本で唯一の貴重な事例となっている焼畑農業が高く評価されています。
出典:世界農業遺産 高千穂郷・椎葉山地域

広い村の合言葉は「かてーり」

椎葉村はとにかく広い。
あっちの山も、こっちの山も、その奥の山も見渡す限り全てが村と言っても過言ではありません。端から端まで移動すると、車でゆうに2時間はかかります。

そんな広さですから、椎葉村にある全10地区は、同じ村といえどどこか雰囲気が違います。それぞれが山に隔てられている環境もあってか、地区ごとに景観や言葉、人の性格にも特徴があるほど。神楽の装いや舞も地区によって様々です。

そんな個性豊かなそれぞれの地区にも、世間話をしていると端々に出てくる合言葉があります。それが「かてーり」です。

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「昔は、どこの家も焼畑をしちょったから、かてーりし合ってねえ」

「田植えもみんなで順番に家を回って。そうしたら早いでしょう」

厳しい環境の中で生きる人々がともに”お互い様”の心を持ち、田植えや農作業を互いに手伝ったり、人々が寄り添い支え合ってきた椎葉村民の精神である「かてーり」。

今では自分の家族が食べるほどの作物だけを作る人が増えているので、農作業の「かてーり」は昔ほど頻繁ではないようですが、それでも、暮らしの中で大変なことや困ったことがあれば、できることは互いに手伝い合ったり、加勢し合ったり。それは今でも変わらない文化です。

そして、この「かてーり」の精神こそが、椎葉独特の文化や風土を築きあげ、今の時代まで繋いでこられた一番の理由なのかもしれません。

最後に、もうお気づきかと思いますが、「菓te-ri」というお店の名前も、この「かてーり」から由来しています。

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毎日の、ほんの些細な瞬間に「自分は周りの人に支えられている」という実感を持ちながら。

それが、椎葉村の暮らしでもあります。

執筆・中川薫(https://note.com/kaoru_nakagawa/


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