椎葉村の観光スポットvol.5 鶴富屋敷に面影残る平家落人伝説に、歴史への思いを馳せる
鶴富屋敷は、椎葉村の中心部・上椎葉地区にある、村で最もポピュラーな観光名所の一つです。平家落人伝説の残る椎葉の地で、源氏方・那須大八郎と平家方・鶴富姫の恋物語の舞台として知られる鶴富屋敷。別名・那須家住宅として、昭和31年に国の重要文化財に指定されました。
大きくて太い木材を使用しており、家屋前面に縁を横一列に長く配置しています。平地が少ない椎葉の土地で傾斜をうまく利用した独特の建築様式は「椎葉型」と呼ばれています。元は茅葺屋根でしたが、火災防止の観点から昭和38年に銅板葺きの装いに変更されました。
この鶴富屋敷(那須家住宅)の歴史は、遥か800年以上前にさかのぼります。壇ノ浦の戦いに敗れた平家の人々は命からがら各地に逃げ隠れ、その一部が山深き椎葉の地へ辿り着き、住み着きました。しかし、戦を終えてもなお平家残党の追討の手をゆるめなかった源頼朝の命を受けて、那須大八郎が椎葉へ派遣されます。
そこで大八郎が目にしたのは、かつての華やかさからはかけ離れ、農耕に汗して細々と質素に暮らす平家の人々の姿でした。その様子に胸を痛めた大八郎は、「平家残党の討伐は果たした」と幕府に偽の報告をし、さらに椎葉の地に屋敷を構えて留まりました。
その後、この地に平家の守り神である厳島神社の分社を建て、彼らに農耕の法を教えるなどして助けながら、互いに協力して暮らしたといいます。
やがて、大八郎は平清盛の末裔である鶴富姫と恋に落ちました。そうして3年の月日が流れた頃、大八郎に都へ戻るようにとの命が下ります。その時、鶴富姫は子を宿していました。
敵の子孫である鶴富姫を連れ帰ることはできず、「生まれた子が男なら私の故郷へ、女ならこの地で育てよ」と言い残し、椎葉の地を去った大八郎。鶴富姫は、生まれた女の子を椎葉で育て上げ、後に娘婿をとり、夫大八郎の「那須」姓を名乗らせました。そして、代々その子孫が椎葉を支配したと伝えられています。
現在は、鶴富屋敷の隣に旅館が併設されており、宿泊することもできます。ちなみに、経営されているのは那須家の32代目です。
鶴富屋敷を訪れ、ここに伝わる伝説に思いを馳せてみると、長い歴史のロマンだけではなく、その時々の人々の思いが現代へと確かに繋がっているような趣をきっと感じていただけるのではないでしょうか。
執筆・中川薫(https://note.com/kaoru_nakagawa/)
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