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「ヤン・ヴォー ーォヴ・ンヤ」       歴史と記憶の痕跡を可視化し、 「現実」を宙吊りにする静かな復讐                      :2020/06/02~2020/10/11      国立国際美術館

 昨年末あたりから騒がれ始めた流行り病が、ここまで長引き世界を一変させるほどの影響をもつことを誰が予想しただろうか。確かな情報も対処法もない状況でのパンデミックの本当の恐怖を、SFでもなんでもなく、徐々に肌感覚で感じ始めた人生初の体験を経て現在に至っている。

 このnoteはコロナ禍が主題ではない。社会全体に及ぼす影響の大きさはアート界にも様々な位相で現れ、展覧会やアートマーケット等の中止、延期、縮小から作品の提示方法や制作手法そのものまでに至る意識と手法の変革、思考のアップデートが現在進行形で促進されているが、その影響と、その先の世界の捉え方を先見したような美術展について、つたない所見を書くことがこのnoteの目的だ。

 4月頃は、地元京都の<京都市京セラ美術館>のリニューアルオープン記念展「杉本博司—瑠璃の浄土」をもってnoteデビューを目論んでいた。私の心の本拠地たる仏教から引用したタイトルや、杉本氏の作品展示の集大成となる内容に魅かれ、過去作のカタログやウェブで情報を収集して準備万端で臨むもコロナ禍で大幅に開催延期、次々と開館が伸びて、皆さんも同じだと思うが、心がちりぢりして少し亀裂してしまい、置き所のない感覚に不確実性の名の下にハックされてしまった感じが続いた。

 そうこうしているうちに、以前から気になっていたものの、あまりのシンプルで、断片的な作品に困惑し続けていたDanh Vo(ヤン・ヴォー;以降ヴォー)の初の美術館個展が大阪で開催された。日本では2008年のヨコトリ、2015年PARASOPHIA、2017年岡山芸術交流、Take Ninagawa(ギャラリー)など、少なからず見る機会はあったが、ある程度の規模の会場で、彼本人が現場で納得できる構成をしないことには理解が難しいことが、今回よくわかった。領域横断的で、流動的な展示を好むことも理解できた。

 この展覧会も2ヶ月遅れで開催、予期せぬ事態はヴォーには吉と出たようで、彼自身が美術館でじっくりと1ヶ月間、展示構想を練る時間が与えられたことが作品の歴史性と奥行きを隙なく明示できた。ヴォーの全貌を見ることができる(担当の植松由佳主任研究員談)初の機会は、私には歴史、伝統、家族、アジアと西洋、戦争と贖罪、許しと復讐など、自分の身体として絡まってくる重いキーワードが、小さな記憶から大きな物語まで連結して心に定着した。それも、穏やかに、詩的に美しく。

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https://www.nmao.go.jp/exhibition/2020/danh_vo.html

 1975年ベトナム生まれで4歳で家族と脱出、その後は難民キャンプを経てデンマーク、ドイツで美術教育を受け、現在ベルリン、メキシコ・シティを拠点に活動。歴史と個人史を「イメージ」と捉え、文化的、歴史的なアイコンや宗教的事物、家族、友人たちと直接的・比喩的に関与する事柄と事物を丹念に掘り起こし、それらの切断と再構成による、場を活かした独自のインスタレーションが特徴だ。父親の手作りボートで脱出、写真一枚とて持ち出さず、過去の話は一切しない環境で育った彼は、実はそのことをあまり気にしていない(本人は「日和見主義者です」と語る)。人生のある時点で歴史的背景に興味を持ち(何が起こったのか?!)、以降は深く掘り下げることになる。作品制作で共働し、作品の題材ともなっている父親はまったく過去は語らず、ヴォー自身は深くは気に留めず聞き出すこともしなかった。美術で歴史の埋め合わせをするのは安易なことだが、そこには組しない。他作家のキュレーション(フェリックス・ゴンザレス=トレスの個展『Specific Objects without Specific Form』(2010)など)も行い、執心し尊敬するゴンザレス=トレスの作品を通じて、鑑賞者としての行為とその矛盾を認識したことが、その後の作品展開に強く影響している。大きな歴史と親密圏の物語とそれぞれの痕跡を、「穏やかに」提示できる稀有なアーティストなのだ。

ヤンヴォー

 さて、展示のタイトル:「ヤン・ヴォー ーォヴ・ンヤ」は転写された鏡文字で、展示内容を引導している(それは見てのお楽しみ!)。歴史の不確実性と記憶の空白を召喚し、ある種の「必然性」と共に世界を宙吊りにして深い内省へと導くー世界の出来事は異なる角度から見たら全く別の視点を持てることを明らかにする。一言で言えば「歴史と記憶をこんなに穏やかに、シンプルに表現できるのか!」という驚き。彼は声高な問題提起も糾弾も解答も発する気はない。だが、世界の出来事を様々な角度から提示しないわけにはいかない、自分の視点だけを基点に、誠実さを守り通して作品を作るということを。それこそ完璧な復讐だと彼は語っている。

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 「Danh Vo, untitled」(South London Gallery)2019  photo:Nick-Ash

   昨年開催された「Danh Vo, untitled」(South London Gallery)とほぼ作品が共通しており、40作品ながら歴史と記憶の痕跡と仄かな輝きが美しい。South London Galleryを持ちだしたのは、ほぼ同じ作品ながら、会場の建築的相違をも作品の要素に取り込む彼の作品の特質がよくわかったからだ(South London Galleryは篤志家の自宅を改装したクラシックな空間で、天井からも燦々と光が入る「明るい部屋」だ)。日本と英国(;ヴェトナム/インドシナは中国と対立する英国を支えるために作られた)では歴史背景が異なり、文化も嗜好もまったく異なることに注意を払い、その場、その時に呼応するインスタレーションを成立させる。コロナ禍を表象するかのような「セントラル・ロトンダ/ウィンター・ガーデン」は、豪華なシャンデリアが輸送用クレートに梱包されたままの作品として、歴史の擬人化と移民の流動的な生や労働力の輸送—「コロナ禍の状況下における美術輸送」の問題をも体現しており、見入ってしまった。

 何度も同じ作品を使い、幾十にも史実や個人史を振り返る方法で、血と地と知が長い歴史と不確かさによって宙吊りされた世界観が、地政学的な視点と現在のヴォー自身の(複雑な)立ち位置のあわいの中で組み立てられていた。個人の宗教性、思想、感情などを前傾させることなく、テキストなくして理解は不可能だろう(PARASOPHIAでの展示も、本展最高額の作品と言われて何回見てもさっぱり分からずだった)。なお、映像作品はなく、「流動」へのまなざしは、曖昧さを回避する態度と重なっていると解釈した。

 歴史と個人史、心性をこんな手法でアート作品にした作家と出会うのは初体験だ。ところどころに「おとり」(ヒント:空瓶、とか)が仕掛けられており、やはり、キリスト教文化と西洋哲学、ベトナム戦争やアメリカ社会の知識が皆無では理解が難しい。杉本博司が古代の遺物や仏像類をコンテンポラリーの場に置くのと同質の企み、仕掛けの巧さを感じた。デュシャンは意識されておらず(;あまり彼への知識はないと語っていた)、レディメイド論で括るのは早計だ。例えば、導入としての最初の部屋。歴史の空白と残酷と復讐が交錯する、一番過激さを感じたカリグラフィーとブロンズのキリスト十字架像+古代ローマ時代の(裏返しにされた)アポロ像は、次に続く展示の、裏返しにされた史実とメタファーにつながっていくのだ。アポロ像はベトナム戦争時に開発に大金と知性と労力が注がれた「アポロ計画」に。

展示金継

 《天の川銀河の闇の奥にある巨大なブラックホール》(2012)では、グリム童話(シンデレラ)やLiberty islandのショッピングバッグなどが使用済みダンボールに金箔で刷り込まれ、歴史の検証者のように我々が仰ぎ見る。金箔は「金」が意味する直裁的なものだけではなく、別室の「金継ぎ」作品にも連結され、この金継ぎに着目したセンスが秀逸だ。何か日本と接続するものを探していたのだろう、事物ではなく技術や日本人の感性として愛用されている金継ぎを、大きな歴史と個人の関係性にさりげなく繋げていく手法には脱帽した。

 ベトナム戦争時に、キッシンジャー国務長官の「あのバレエ公演は素晴らしかった」だの、「このコンサートの席は取れますかね?」なんて能天気なホワイトハウス透かし入りの手紙が何通も裏返しの視線で巧みに演出されて展示されていた。それ以上に衝撃的なのは、同じく当時のマクナマラ国防長官の一人息子との交流から生まれた作品だ。ご子息は現在、持続可能な農業のパイオニアとして農場を営み、この展覧会ではその農場から「銃床の素材としての使用が決まっていた」ブラック・ウォールナッツの木材が贈られ、最小限の加工が施されて様々なオブジェとして展示されている。マクナマラ家旧蔵のケネディ政権閣議室の椅子は解体、破壊されてオブジェ展示されており、この奇妙な対照が心に刺さった。

 敵対性もまやかしもなく、イサムノグチの照明が似合う静謐としか言えない佇まいの中で伝わるヴォーの複数の視線は、ベトナム戦争、難民やゲイなどの当事者でなくても、すべての人々に重なるものであることが実感できる。美学的には、美術館を含む「サイトスペシフィック」についてのあらたな認識と知見なども大きな発見となった。


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