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隠れた才能を見つけて、それを伸ばすこと

人にはそれぞれ備わった才能があると信じています。
その才能は、必ずしも人生の中で発揮されているものばかりではありません。
もしも、自分でも気づかない才能にスポットライトを当ててもらい、それを伸ばしてくれる人がいたならどんなにいいだろう。
そう考えていた若かりし日々がありました。

私の人生においては、そういった他者からうまく見出されたという経験よりも、どちらかというと自分が持っている才能を磨くだけ磨いて精一杯アピールして生きてきた感があります。

家庭教師という仕事に出会い、生徒さんの才能を発掘できたり、またそれを伸ばしていくことがいつしか喜びの1つになっていきました。
また、その事自体が、この仕事の本質の1つであることを自覚しています。

隠れた才能を見出されるという出来事は、おそらく人生の中でそうあることではなく、素敵なことだと思います。
その経験が、将来の職業や夢につながっていけば、なお嬉しいことです。

私がみさせて頂いた生徒さんは、必ず、いくつかのそれを見つけ出し、本人が気づくまで丹念に伝え続けます。
また、自らの才能に気付いた人間というのは、水を得た魚のように行動が変わっていきます。
学習指導での成果は、ほんの一端で、その先の人生の広がりをみせていくきっかけづくりになるものだと思っています。

また、隠れた才能というのは、往々にして、苦手だと思い込んできたことや、避けてきたことの中に出現します。

発見段階では、こんなに才能があるのに何故結果が出ないの?
というところから始まり、結果が出せない理由となっている箇所を丹念に見つけて、取り除いていく作業に入っていきます。
すると、ある段階から飛躍的な伸びを見せ出します。
それがいわゆる才能という代物です。

具体的な例を挙げますと、例えば数学で、指導中、話していても数学的思考が明晰なのに答えがなかなか導き出せないでいる生徒さんの中での多くが、
途中式が曖昧なことが見られます。
私の数学指導の中心を占めるもの、それは途中式を正確に書くことです。
この件については、また他の項で詳しく書きますが、途中式をしっかり書けない生徒さんは伸びません。これは断言できます。

そこで、途中式を正確に書くことの大切さをしっかりと説明して、理解させていきます。途中式をしっかり書けない、書かないということは、大いに癖のものですので、すぐにはなかなか直らないことが多いので計算をやっている姿をじっくりと観察して、その都度指摘して直させます。
何度も指摘し続け、どこかで意識が変わり、自分からそこに気づくようにもっていきます。
数学で成果を上げられないでいる生徒さんの多くは、ここをいい加減に考えていることに起因します。
教育に携わっていない方は、何だこれだけのことかと思われたかも知れませんが、そこを整えてあげるだけで、取ってくる得点のベースが変わってきます。

才能って何だ?とふと思う時がありますが、立ち止まっているところ、改善点がそれぞれあって、本当にちょっとしたところが改善されれば、そこから飛躍的に結果を出していく場面に家庭教師をしているとよくよく出くわします。学習指導の先に自分でも信じられないという良い点数を獲得して、目を丸くしている生徒さんの姿を何度も見てきましたが、そのような生徒さんのほとんどが、私の指導を受けるまで最悪の点数の教科です。
教育において結果が全てとは言いませんが、良い結果というのはそれまでの思考を変化させ、大きく前進させる糧となることが多いです。
臭いものに蓋をせず、苦手教科に反転攻勢をかけることは、他の教科にも良い影響を及ぼしていきます。

私の人生における理想とすることの1つに、
持っている才能を出し切って人生を全うすることがあります。
私の親しい友人たちには、才能豊かな面々が、ずらりと揃っています。
画家、ギタリスト、ミュージシャン、世界中に盆栽を売る人、何ヵ国語も話せる人、会社社長などなど、いずれも才能を発揮して活躍しています。
その姿に私自身、いつも励まされています。

私は、他者の才能に対して、素直に認めて応援したくなる性質で、その個性や才能に触れることが好きです。
家庭教師という仕事に巡り会えて、生徒さんの才能を見つけて伸ばすことができる立場と能力が備わったことは、とても幸せなことです。
天職と呼べるものになるまで、この職業を持ってこられたのは、私の性質そのものに起因するところは確かに大きいです。
それと同時にこの歳になっても、まだまだ自分の中に眠っている才能があるのではないかと本気で思い続けて生きています。
自分の可能性を信じ続けるしぶとさも大切にしています。





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