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藤原不比等 -古代日本を決定づけた大政治家で俯瞰力をつける-

藤原不比等は、飛鳥時代後期から奈良時代初期に活躍した人物。この後、奈良時代・平安時代、それどころか婚姻関係だけであれば大正天皇まで、天皇家に深く関わり続ける藤原家の基礎固めをした傑物です。
 
彼の活躍期間を西暦で表すと、680年代から720年まで。この頃、中国(唐)では最終的に中国史上唯一の女帝となる武則天(則天武后)による統治が行われ、唐は本格的に科挙(試験)による官僚採用など、律令体制が強固に整備されていきます。朝鮮半島では、長らく続いていた高句麗・新羅・百済を中心とした三国志のような状態が終わり、新羅による朝鮮半島統一が実現。オリエントでは、強力なイスラム国家であるウマイヤ朝ができ、今のスペイン・ポルトガルあたりにあった西ゴート王国を滅ぼすなど、勢力を広げていきます。西ヨーロッパでは、今のフランス・ドイツ・イタリアになっていくフランク王国があります。

特に、唐・新羅による中国・朝鮮の統一は日本(ヤマト朝廷)にも大きく関係していて、663年に百済と共にこの2国に挑んだ白村江の戦いで大敗したこともあり、朝廷は政権基盤を安定させるために中央集権化を加速させ、国力を強くしていく必要がありました。

古代の国家運営の基礎を固める

そんな時代に活躍したのが不比等です。彼は少なくとも持統天皇ら4人の天皇の側近として政を司り、この時期のヤマト朝廷が実現した

  • 律令制度によるロジカルな統治体制の整備(大宝律令など)

  • 長期安定型の都の造設(藤原京・平城京)

  • 30年途絶えていた唐との国交復帰(遣唐使の再会)

  • 国内外に天皇中心の統治体制の正統性を示す歴史書編纂(古事記・日本書紀)

といった事業に深く関わっている人物とされています。

一方で、自分の娘を天皇の夫人にして、史上初めて皇族出身者以外で(事実上の)皇后とさせることに成功し、今後藤原氏が権力に居座り続けるための基本戦略となる「天皇の外戚」作戦をつくる。天皇だけでなく藤原氏が側近として権勢をふるう正統性も主張するために、日本書紀で数々の歴史改変を行うなど、権力欲を感じさせる行動も多いことから、歴史家・歴史愛好家からは以前から嫌われ者扱いされることも多く、『竹取物語』で最も胸糞悪い役回りである車持皇子のモデルが彼とも言われています。
 
さて、日本史上トップクラスの政治家とも、権力欲に燃える希代の策略家とも評される、まあ要は絶賛する人もめちゃくちゃアンチな人もいる藤原不比等。そんな彼を、今回は様々な資料をもとに虚構と真実を検証し、誰も見たことのない新しい藤原不比等像にはもちろん迫りません。なぜかというと、そんな研究力は私には無いからです。

藤原不比等×歴史メンタリティ

彼が日本書紀に込めたこと、彼の功罪などは、今も数多くの専門家が様々なアプローチ・切り口から考察を続けており、きっとこれを書いている今も、新しい発見が行われていることだと思います。そこは、優れた専門家に任せておきましょう。
 
ここではあくまで、この藤原不比等という“歴史”を使い、彼が1人の人間として生きていく上で行った様々な役割や歴史的背景などを知ることで、現代に生きる私たちが人と関わる上で重要な

  • 人には様々な側面があって、その全てがその人となりである(私に見せている姿がその人の全てではないし、私に見せていない姿がその人の本質でもない)

  • 人の言動には必ずたくさんの背景がある(本人にすら自覚があるか分からないような連綿と連なる使命や価値観で、人は動いていることもあるから、目の前の行いや言動だけでその人を決めつけない方がいい)

といったことなどを意識して、自分の目の前で繰り広げられる誰かの言動に対してもネガティブな感情に囚われず、怒りや絶望感をコントロールして、どんな相手にも一定の共感と距離を保って接せられるような「生きづらさ改善メンタル」を身につけていけたらと思います。

次回

不比等は出てきません!


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