枯渇
とめどなく流れ溢れ出ていたものが枯渇していく様を見るくらいならばいっそそんなもの最初から無い方がよかったなどと。
帰ることも変えることもできない過去に責任を負わせるようなことをすることでしか安心も安堵もできないのです。
果たしてその過去が本当にその姿であったかさえ分からないというのに、呆然と立ち尽くす幼い私を叱責することでしか私は私を保つことができない。
あなたが悪いのよ。あなたが。
私は私をなじり続け、泣き喚く私の姿を見て初めて許しを手に入れるのだ。
どんなに突き詰めたところで全ての根源は自分自身の中にしかないことを覆い隠そうとも、それが無くなることは決してない。
見えないことと無くなることが同義ではないことくらいわかっているはずだろう。
ある人は「逃げ」だと言い、またある人は「定め」だと言い、またある人は「エゴ」だと言った。
さすれど、「ある人」など在るはずもなく。
何人の人間を飼えば気が済むというのか、その一人も管理することができないというのに。
手にできた「はず」のものは、あくまで「はず」なのであって現実でもなければ想像にも遠く及ばない。仮定の中でしか形をなし得ないものにいつまで縋り付くつもりなのか。
夢と現の狭間であればまだしも、夢と夢の、あるいは現実と現実の狭間を揺れ動いたところで結局は同じことなのだから。
ほら、握りしめた手、開いてごらん
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