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犬たちと小さな焼き芋

※実話を元にしたフィクションです。


ろくでなしの母親を持った。
わがままで、無責任で、それでいて寂しがりで、世界の全てが自身を愛していないと気が済まない人だった。
実父は名前も知らない。同級生らしい。
それでも、それなりに幸せに育った。母が結婚して実家を出るまでは。
最初は、母も努力していたと思う。温かい夕飯とお風呂があって、ちゃんとした布団があった。養父となった男も、そこそこに優しかったと思う。少なからず愛されていた。

しかし、半年もすると綻びが出てきた。
母は、ずっと男の悪口を言っていて機嫌が悪く、夕飯も冷凍食品からパン一枚へと変わっていった。
男は、理由のわからない事に激昂し、何時間も中身のない説教を続けた。
お腹が空いて、パンや米を勝手に食べると「出されたもの以外食うな」と怒られた。
給食だけが栄養源となった。
時々見える優しさに縋って、顔色を伺いながら生きるようになった。
暴力が怖くて、誰かに助けを求めることもできなくて、ただひたすら時を過ごしていた。
そのうち、男から性欲をぶつけられるようになった。おかしいと思っても、嫌悪感を抱いても、無力な少女に成す術は無かった。
母がそれに気づいた時、激しい憎悪を向けられるようになった。救いは無いのだと絶望した。

しばらくして、母が犬を貰ってきた。ダックスフンドっぽい犬が二匹。母は可愛がるだけだった。私はご飯をあげて、散歩をして、躾をして、お風呂や爪切りなどの手入れも欠かさなかった。
一匹は活発で、ボール遊びやアジリティ、芸を覚えることが大好きだった。一匹は内気で、膝の上に座って人形を抱いているのが好きだった。どちらも可愛くて可愛くて仕方なかった。
彼らは私の孤独を埋めて、心を守ってくれた。
母の愛を受ける犬が、羨ましくなかったと言えば嘘になるが、それを犬に向けるほど幼くもなかった。

母と男は、家に帰ってこなくなった。
男は浮気をしていて、母は夜勤と称してホテルに泊まっていた。たまに帰ってきて、イライラとお金を置いて出ていく。私はもう、母に愛されることは無いんだと感じた。
どんな時も、ドックフードや犬用おやつは途切れなかった。しかし、いつ途切れるかと思うと手も出せなかった。犬のご飯であって、私のものではないと、犬にひもじい思いはさせたくないと思っていた。
僅かなお金を節約して、給食と合わせて食いつないだ。長期休みは地獄だった。
母が家に帰ってくる頻度も少なくなり、置いていくお金も減った。男は夜中に帰ってきて、朝方に出ていく。私はリビングで犬たちと寝るようにして、身を守っていた。男は、給料日に何十万と下ろしてくる人だったので、二枚ほど盗んだこともある。それでも食糧事情は悪い。

その内、お金が無くなった。
電気が止まると、酷く寒かった。犬に服を着せて、一緒にお湯を飲んだ。
畑の端に転がってる、小さなじゃがいもを盗んで蒸して食べたりもした。
ハエが、飛んでるタンパク質にしか見えなくなって、ついに犬のご飯に手を出した。
犬たちは、私がドックフードを食べても怒らなかった。それどころか、大好物のさつまいもスティックや、ビスケットを分けてくれるようになった。優しい子たちだった。

どうにか食いつないでいたある日、母が昼間に帰ってきてビニール袋を放った。
「犬たちにあげな。」
中には、片手で包めるほどのさつまいもがいくつか入っていた。私の脳内は「炭水化物!炭水化物!」と大騒ぎだった。それを知ってか知らずか、母は念を押して言う。
「犬たちに、あげなさい。」
大きく鳴りそうなお腹を抑えて、私は頷いた。
「はい。」
母は訝しげな顔をしながら、再び出て行った。

さつまいもの調理方法など知らなかったが、じゃがいもと同じようにすればいいかと、冷たい水で洗って、アルミホイルで巻いて、魚焼きグリルに入れた。
犬たちと毛布に包まりながら、わくわくして待った。
かなり長いこと経ったと思う。
待ちくたびれて眠っていた犬たちを起こして、箸でアルミホイルを開くと、真っ白な湯気と甘い香りが広がった。
「わーお」
思わず声が出る。
犬たちも、ピーピーと鼻を鳴らしながら尻尾を振って目を輝かせた。
アッツアツの皮を剥いて、黄色に輝く実をほぐす。指で触っても大丈夫なぐらいに冷ましてから、犬たちの皿に乗せた。
よだれを垂らしながら、おすわりをして待つ犬たちの前に置く。
「よし」
私の声に、一斉に食べ始めた。
クッチャクッチャと食べるのを眺めながら、さっき剥いた皮を食べる。
「美味しいねぇ」
フリフリと、おしりごと尻尾を振る。
可愛い。
あっという間に食べ終わると、おかわりを要求してきた。
「もう一つ食べちゃう?」
「ワン!」
「ワフッ!」
「よーし、食べちゃうかー!」
私は、もう一つを同じようにして皿に乗せた。
「よし」
しかし、食べない。
二匹で顔を見合わせてから、私を見つめてくる。
「え?熱い?」
触ってみるが、さっきより冷めている。
「どうしたの?よし。」
「クーン」
物言いたげに鼻を鳴らす。
クンクンと匂いをかいでは、座り直して私を見上げる。内気な方は、わざわざ懐に来てお腹を出した。
「どうしたのー?」
なでなでと二匹を撫でる。
「食べないと食べちゃうぞー」
冗談で言うと、活発な方がニパーと笑った。「?」と内気な方を見ると、クネクネと胴をくねらせる。
「食べていいの?」
まさかと思って呟くと、飛んでいきそうなほど尻尾を振った。
ごくりとつばを飲み込む。美味しそうな焼き芋を、少しつまんで口にいれる。優しい甘さが口いっぱいに広がって、ほっぺたが落ちそうになる。
胸が苦しくなって、ボロボロと涙が溢れた。二匹が驚いて私の顔を覗き込み、身体をくっつけてきた。ぎゅっと抱きしめる。
「だいすき」
泣きながら、焼き芋を口に入れたまま、絞り出した。純粋な優しさが身に沁みた。凍えそうな寒さが、小さな二匹の思いやりで和らいでいた。

時が経ち、私は家を出た。
母は離婚し、犬たちは母の元で暮らしている。ご飯は食べているだろうか、遊んでいるだろうか、寒くはないか暑くはないか、爪や毛はちゃんと切ってもらってるだろうか…彼らのことを考えないことはない。
特に、秋になって焼き芋が並ぶようになると、あの時の優しさや、惜しみなく注いでくれた愛情が蘇る。
母が犬たちに、ご飯をあげないという事はなかったし、犬たちも母の事が好きだったから、そんなに不便はないのかもしれない。経済力も体力的余裕もない私に、無理に連れ出されたらそれはそれで不幸だろう。それでも、案じることはやめられない。
今はただ、ひたすらに彼らの幸せを祈っている。

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