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No.001

冷たい風が吹く夜、少年が業火を見つめ、拳を握りしめた。
「絶対に復讐してやる。」
澄んだ翡翠の瞳は憎しみを宿し、鮮やかな金髪は炎を反射して赤く染まった。
世界の歯車が、大きく動き出す。

教師が黒板に文字を連ねていく。
「20年前、当時の首相であったハイドンが失脚。その理由は何かな?」
子どもたちが競うように手を挙げると、教師はひときわ元気のいい男子を指名した。
「唯一神ウィータ様を貶したからです!」
自信満々の解答に、教師も微笑んで頷く。
「その通りだ。ウィータ神を信仰していなかったハイドンは、異教徒としてウィータ神の裁きを受けた。その後、デレック・グラフと、神皇ハンツ・トールキンが次期首相として争ったが、ウィータ神の加護を受けトールキン神皇がスーチェを治めることとなった。」
チョークを置いた教師は、黒板の上に掛けられたウィータ神の肖像画とトールキン神皇の写真を示して、力強く続ける。
「以来、スーチェは戦争で勝利を納め続け、国内の情勢も安定している。ひとえに、ウィータ神とトールキン神皇のおかげであることを忘れずに、日々感謝し続けなさい。」
「はい!」
子どもたちが元気に返事をした瞬間、凄まじい爆音と共に教室が揺れた。悲鳴の向こうから、緊急事態を知らせるサイレンが鳴り響く。教師の誘導で全員が避難し、空になった教室で、トールキン神皇の写真が落ちてひび割れた。

死ぬってなんだろう。生きるってなんだろう。命ってなんだろう。
数多の悪意と殺意の中で、言葉に出来ないほど命を奪っても、私には分からない。永遠に分からないかもしれない。
私は死ねない。どんな苦痛に晒されようと、死にたいと切に願っても、誰も私を殺してくれない。殺せない。
亡骸を埋めながら、私は考える。
永遠の命は果たして命なのだろうか。死の無い生は、生なのだろうか。
生きたいと叫ぶ彼らの気持ちを、理解できる日がくるのだろうか。
不意に、肩を叩かれる。
片目が覆われた翡翠の瞳、返り血で固まった金髪、悲しみと高揚の狭間で複雑な顔をしている男。
「ルツェ…もう終わったの?」
「ああ。俺等の勝利だ。スーチェは終戦を条件に国土の割譲に同意した。」
「そっか。」
ノア・シュワルツェネッガー。トールキンの圧政に反旗を翻し、軍関係者と弾圧されていた民間人と共にスーチェと争っていた革命軍を率いるリーダー。隣国シャロの支援と、彼の天才的な頭脳のおかげで、スーチェとの戦争は1ヶ月で終わった。両者ともに被害は大きい。革命軍は多くの同胞を失った上、リーダーのルツェは片目を失明した。それでも、進み続けなくてはならない。
「長かったよ。やっと始まるんだ。」
ルツェは死者の手をそっと握る。
この終戦は始まりに過ぎない。彼の、彼らの、大いなる目的のための一歩だ。
私には彼の気持ちは分からない。でもきっと、大切な人を傷つけられたら…ルツェが誰かに殺されたら、私もその人を殺したいと思うだろう。それしか分からない。
ルツェと、静かに埋葬を進める。
敵も味方も関係無く、ただスーチェ人である彼らの冥福を祈り、土に返す。
埋め終わったあとも、彼はしばらく立っていた。無数の墓を見て何を想っているのだろう。ルツェの気持ちが知りたくて、彼の隣に立ってみる。
「なあ、モルス。この先には何があると思う?」
どこまでも広がる荒野と、規則正しく盛られた墓。赤く染まった空は、煙と土で薄汚れている。死者と血の臭い。
「海。」
私の答えに、ルツェは笑った。
「そうだな。確かに、海の方向だ。」
間違いだったかな。でも、よく分からない。
「行こう。みんなが待ってる。」
墓に背を向けて歩き出した彼に、小走りで付いていく。
いつか、貴方のことを理解できるだろうか。貴方の問いが分かる日が来るだろうか。それで、いつか…
『死者を殺すことは出来ない。死にたいなら生きろ。』
いつか、生きれる日がくるだろうか。

先日、シャロの支援を受けてスーチェに勝利した革命軍が、スーチェから割譲された土地に自治領を作った。軍人も多くいるとはいえ、大した事ないだろうと思っていたが、意外と上手く行っているらしい。
まあ、シャロ軍の下っ端士官にはあまり関係ない話だ。そう思っていたのに、突然上層部から外交任務を命じられた。軍学校を出ているとはいえ、前線で狙撃手として働いている俺になぜ…。
しかし、シャロでは上層部の命令は絶対である。
ライフルをペンに持ち替えて、みっちりと外交官教育を受けたあと、妻と子どもに別れを告げて、自治領シュラハトへと旅立った。

ドンッと机に写真を叩きつける。
なんということだ。まさか、エリアスが生きていたなんて。
全身が震える。怒りか、恐怖か。とにかくどうにかしなくては。あの子が居ては、ウィータ神の加護を受けられなくなるかもしれない。
殺したはずだった。20年前、デレックの館に火を放ち、彼らを消した。スーチェのために、そうするしか無かった。敗戦後もウィータ神の教えに反し、国民を苦しめ続けたハイドンを始末したのに、デレックがウィータ神を信仰すべきだという私の考えを否定したから、ウィータ神の怒りでスーチェが滅ぶ前にそうした。
礼拝室に走り込み、ウィータ神の像に跪く。27年前、ここでウィータ神からお告げを受けた。
『神の意志に反し、世界を破滅に導く者が現れる。食い止めなさい。さもなくば、そなたもこの世界も終末を迎えるだろう。』
そのお告げに従い、それまで以上にウィータ神を信仰しその教えを広めてきた。政権を握ってからは、異教徒を始末し、ウィータ神の意思に従うように導いてきた。しかし、神のお告げは不穏を増していった。他国も制圧し、この世界から異教徒を消す計画を立てていたというのに…。
まさかデレックの子どもが生きていたとは!エリアスは恐ろしい子だ。人知を超えた才能を持っている。敵になった今、彼がこの世界を滅ぼす悪魔になりえる。それだけは止めなくては。
「ウィータ様、どうか我らに力をお与え下さい。悪魔は必ず我らが倒します。世界の平和のために、どうか、お願いします。」
ふと、身体が硬直した。お告げの合図だ。
『力を持つ使者をもたらした。黒百合を持つ子に従え。』
ありがたい言葉に涙が溢れた。ウィータ様はまだ我らを見放していない。必ず果たして見せる。
「黒百合を持つ子を探せ!今すぐに!!」

この世界を愛してるかと聞かれたら、きっと答えられない。
私はただ、かつての仲間を想いながら、永遠の罰を受けているだけだもの。
この世界が終わらなければ良い。
偽りの神として、世界に縛られた私に出来るのは、器の形を変えていくことだけ。流れる水がこの世界を壊さないように。

親衛隊に取り押さえられ、傷だらけになった隻眼の男が呟く。
酷烈な人生を歩む子どもたちへ、ただ1つ願う。
「エリアス、シュテファン、ユリア、生きなさい。生きて、生きて、生きて、生き抜くんだ。」
どんな形でも良い。生きて、いつか笑ってほしい。理不尽にも不条理にも負けず、強く生きてほしい。この世は、悪意だけではないから。
命が尽きるまで、男は願い続けた。

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