見出し画像

「強制連行」「強制労働」という表現に関する閣議決定(21年4月27日)を検証する                 その2:答弁書が使う「移入」という表現に表れる日本政府の「本音」

 2021年4月27日、日本政府は、「衆議院議員馬場伸幸君提出『強制連行』『強制労働』という表現に関する質問に対する答弁書」を閣議決定した。原文は以下のURLで閲覧できる。
 https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/204098.htm

 「その1 この答弁書は『強制連行』を否定しているのか」に続き、答弁中に使われている、朝鮮人労働者の「移入」という表現について考えてみたい。答弁書は、以下の文章から始まっている。

 御指摘のように朝鮮半島から内地に移入した人々の移入の経緯は様々であり、これらの人々について「強制連行された」若しくは「強制的に連行された」又は「連行された」と一括りに表現することは適当ではないと考えている。

「移入」という言葉を使っている。「移入」とはどういう意味をもつ言葉だろうか。デジタル大辞泉で見ると、「移し入れること」「一国内で、ある土地から他の土地へ物を移し入れること」とある(https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E7%A7%BB%E5%85%A5/)。

 通常、人について「移入する」という言い方はしない。にもかかわらず、前述のように朝鮮人について移入という語を使うのは、朝鮮人を人として尊重せず、単なる「モノ」と見なす姿勢の表れと言ってよい。

 実は、戦時期には日本帝国政府は「朝鮮人集団移入」といった用語を使っていた。答弁書が「移入」という単語を使ったのも、これに依拠したのかもしれない。だが、その語を21世紀に「人」に対して使うのは適切ではない。

 にもかかわらず、この答弁書では「移入」という、人に対しては「不適切」な単語を使っている。草案段階で疑問を呈する人も、政府内にはいなかったようだ。これでは「日本政府は朝鮮人労働者をモノ扱いしている」というメッセージを堂々と出してしまったことになる。

 繰り返しになるが、「移入」という言葉は「モノ」に使われる言葉であるから、「移入」される側の主体性や判断といったものは考慮されることはない。「移入」される朝鮮人に主体性が認められることはなく、あくまで動かされる客体に過ぎないということになる。

 日本帝国が本人の意思とは関係なく朝鮮人を動かして日本内地の事業所に配置した、ということを認めているようなものだ。労務動員で日本に連れて来られた朝鮮人について、「募集に応じただけ」「単なる出稼ぎ」と主張する人々がいるが、少なくともこの答弁書は、当時の朝鮮人は主体的な「出稼ぎ」ではなく、日本政府によって「モノ」のように「移入」されたのだと公言しているのである。

 今回の答弁書は、その言葉遣いによって日本政府が最低限の人権感覚すら持たないことを明らかにした。同時に日本政府が、朝鮮人の戦時労務動員が本人の意思とは無関係の「移入」だったことを「本音では」理解していることを、はしなくも示したものとも言えそうだ。