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名優・三國連太郎が残した言葉

(1937年、日本人手配師の来るのを待つ朝鮮人労働者であふれる釜山駅前で)
「ある時、意味不明な怒号を耳にして立ち止まると、1人の朝鮮人を、日本人の手配師が『ナップンノム、カマニイッソ』『ヨボ、カマニイッソ』と叫びながらステッキで打ちのめしていた。その言葉は半世紀たった今も耳にこびりついて忘れられない」
「(労務動員された日本の)炭鉱では拷問や事故で朝鮮人がどれだけ命を落としたか、数えきれない。このことを学校できちんと学ばなかった若い人たちにはショックかもしれない。でも、目を背けないでほしい。そこから戦前、武力を盾にした政治勢力が何をしてきたかを理解する糸口をつかんでほしいと思う」

(出典:朴日粉『過去から学び、現在に橋をかける』梨の木舎、2018年)

●解説
 三國連太郎は、1923年生まれ、戦後日本の映画界で活躍した名優、2013年に亡くなっている。晩年の「釣りバカ日誌」シリーズの社長役で記憶している人も多いだろうが、1995年に公開された「三たびの海峡」では、主役の強制連行された朝鮮人役を演じている。その三國は、1937年頃、朝鮮にいたという。また、晩年、朝鮮と沖縄の戦後史についての本を執筆するつもりで、強制連行の体験者の証言を聞き取っていた。

 上記の言葉は、三國にインタビューした在日朝鮮人の記者が聞き取ったもの。「ナップンノム、カマニイッソ」「ヨボ、カマニイッソ」は朝鮮語で、「悪い奴め、おとなしくしとけ」「てめぇ、静かにしていろ」という意味。労働者を連れてくる日本人にとっては、朝鮮人労働者など、ところかまわずステッキで叩いてもいい存在だった。
 三國が釜山で見た光景は、戦時労務動員が始まる前のものだが、労務動員が始まった後も、こうした状況は変わらなかった。