生と死と純度と

幸宏さんの時は手紙みたいなことを書きました。
幸宏さんはわたくしにとってこういう存在でした。

YMOチルドレンという言葉があって、自分自身は他の言葉で言い表せないなぁって思うくらい、本当にそうなんだよって思います。

教授は、だから、私にとって当然そうなんです。
あなたがいなかったらどんな自分になっていたかわからないんです。
幸宏さんも当然そうだけれど、例えばわたくしは幸宏さんが好きだと言ったものを自分も摂取してそれで自分が形成されていったと思っているけれど、
教授に関してはそういうことはありませんでした。
教授が提示されたものが難しすぎるせいというのもあったけれど(苦笑)
そういうことをする対象ではなかった。

だから幸宏さんの時とはまた違った感情があります。
幸宏さんがすっごく影響受けて大好きだったお母さんみたいな存在だとしたら、
教授は、大きすぎて尊敬しすぎて近寄ることができなかった偉大なお父さんです。
(じゃあ細野さんは???)

幸宏さんがソラへ行ってしまったから迷子になったわたくしは
教授まで行ってしまわれて、ウロウロしていた足を止めて
立ちすくんでいるところです。
涙も、出てこない。
そしてここ数年のことを思い返します。

*

「レヴェナント」を観たときに流れてきた教授の音を耳にしたとき、
映画館にいた自分が別の世界へ入り込んだのを感じ、鳥肌がたちました。
そして出たアルバム「async」はさらに鳥肌ものでした。
音数が少なく静かなのに豊かさに満ち満ちていて、(レヴェナントの時同様)その世界へと没入してしまうほどでした。
ああ、教授はご病気を経て音への世界がこんなに拡がったのかと感動したものです。
その後、よくなられたと思った矢先にまたご病気に。
そして最後のコンサートを配信し、「12」の発表。
「12」は「async」をさらに純化させ、もはや音楽という名の結晶みたいなもののようでした(あくまでわたくしが感じたことです)。
教授の今までの音楽をひとつの音の結晶にするとこれになるのだろうかと思いました。
そして、死をはらんだ生がそこにありました。
生きることも死ぬことも等価であることの尊さがそこにありました。

そして、教授は息をひきとりました。

「12」の中にあった死を見据えたような、でも確実に生命を感じさせる息遣いが消えたとき、

ここ数年、文藝での連載、コンサート、最後の最後まで社会へ言葉を投げかけ続け、最後の最後までその時の純度が高い状態のご自分の音をを生み出していかれたこと、
生も死もご自身も、全てを「表現」として世に放っていかれたことの
見事さにうち震えました。

こんなすごい方と同じ時代を生きられたことと、もうそうではないことの衝撃の大きさに、ただただたたずむしかないです。
でも
あまりに偉大すぎる教授という音楽を、わたくしはこれからも耳で拾っては
その輝きを眺め続けていこうと思います。
そして、教授も幸宏さんもいない世界を、わたくしはやっぱり
純度を高めながら生きていくしかないのです。


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赤裸々な告白とかではありません。

齢50を過ぎた女が自分の愚かさと間違いとまあいっかをつぶやく日記

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