8/18の滴り「きみの地獄わたしの地獄」

引用された別の方々の発言も含めて
書かれていることに圧倒的に肯定します。

私はこの方に比べると貧困というほどではなかったです。
友人知人も私より貧困という家庭はなかったけれど、比較的同じ層の人たちだったかなという感じ。
母子家庭で育ったものの
バブル期だったことと母親がものすごく頑張ってくれたおかげで
貧困という認識はあまりなかったし、それを卑下したことも嘆いたことはありませんでしたが(住んでいる都営を馬鹿にされたり、他にもあれこれイジられたことはあったけどさ)。
でも大人になっていって
生まれたときから自分と家族はもちろん、親戚一同も比較的裕福で学歴や地位もしっかりした方々に囲まれてきたという人と出会うにつれて
なんというか、価値観が

全く違う・・・!

と思ったり、格差なるものをしみじみと感じることはありました。
だからどうということはないけれど。

それに加えて私はちょっと特殊な経験もしていて
過去には「わたしってかわいそう」子ちゃんになっていたこともありましたが、
今、私が自分の経験をわざわざ口にするっていうのは、
ヒオカさんもおっしゃっていますが、


「特殊なものではなく、とても身近なもので、健康で文化的な最低限度の生活ができない人たちが、想像よりはるかに多くいることを知ってほしい。そしてその光景に慣れないで欲しい。
この日本にも、食べるものがない人がいる。寝る場所がない人がいる。進学を諦める人、若くして介護を担う人、病院に行くお金もない人。
そんな人たちに、少しでも思いを馳せて欲しい。
そんなことを思う。」

というような気持ちに似ているんですよね。

裕福なご家庭に育ってきた方でも地獄を見た方もいらっしゃると思う。
ヒオカさんがおっしゃるところの
「人には人の地獄がある」というのも私もいつも思うことだ。
「家庭環境もよくて努力家でなんでも持っててみんなからすごいとおもわれている人」が
自分より闇が深い・・・・と思わされたことも何度もあるわけで。

だからこそ、口にしようと思うのだ。
私の地獄は私のもの、あなたの地獄はあなたのもの、
それぞれが知らない地獄に思いを馳せるために。

乙武さんは「マイノリティマッチョになってはいけない」とおっしゃっていてご自身も常に気をつけていらっしゃるのだと思います。
「自分が頑張って努力してできたんだからお前も甘ったれたこと言ってないでやれよ」という考えから
自己責任論に発展してしまいがちだけれど、
(そういう方々の努力はすごいことだと思いつつも)
他人の地獄に思いを馳せる想像力を忘れないようにしたい、と
自戒をこめて思いました。

同情じゃない、他人の地獄と同調するわけでもない、ただ自分の価値観や観念でその苦しみをなかったことにしたくない。

努力をすればきっと、ある程度環境は変わる。景色は変わる。
しかしその速度には個人差がある。乗り越えなければいけないハードルの大きさも。埋めなければいけない穴の深さも。
持っているカード、巡り合う人。
私たちは選べるものと選べないものの中で生きていく。
弱者が目の前にいるなら、そっと手を差し伸べて、寄り添いたい。

自分にできることなんてないかもしれない、
あるのならしたい、苦しんでいる人たちが前向きに生きていけるにはどうしたらいいのか考えることもしたい、
なにをできなくとも
少なくとも自己責任論みたいなことを投げつけて
苦しんでいる人を傷つけるようなことはしたくない。

そんなことをあらためて思いました。

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