1/3真鶴記「夏への約束」

1/3、姉の最後の地である舞鶴へと向かう。
今日が姉の命日だということをすっかり忘れていた。
命日といっても遺体が発見された日が1/3だというだけで正式な日にちではない。

ここ数ヶ月、不思議な夢を見ることが多くなった。
大抵、悲しくなるような映像を見せられたり意味がわからない言葉だったりが
短い時間に夢として出てくるが
恐らく、いや、絶対にこれは姉が見せているものだと確信があった。
そして当日の朝は昨日と同じ、
やはり悲しくなるような内容の夢を見たのだった。

夢を引きずることはなく、
それはもう、ある種あきらめみたいになっているので平常心で真鶴へ向かう。
あきらめるっていいのか悪いのか。
「いい」と思っていないとやってられない。

しかし、真鶴へ近づくにつれて
今まで夢としてしか出てこなかった映像や言葉が頭の中を駆け巡るようになった。
なんだろう、これは。
お姉ちゃん、私に何をさせたいの?
こんな映像は何度も見たくないし、そんな言葉は何度も聞きたくない。
知らなければ知らないでよかったんだよ・・・・。
でも、「まだわかってないでしょう」「わかれ!」とばかりに私を覆い尽くす。

そしてたどり着く。
鬱蒼と茂った木々の中に足を踏み入れる。

ザクザクと枯葉を踏みながら海の見える場所を目指しつつ
姉の最後の地点を探る。
枯葉を踏みしめる音が好きだ。
その音に丁寧に耳をかたむけながら歩いているうちに無心になる。
次の瞬間、一気に映像と言葉と情報が渦巻いて嵐となって脳の中を占領した。

お姉ちゃん、お姉ちゃん
ひどい。
どうしたらいいの?
だとしたら私が選択できることはひとつかふたつしかないじゃない。
そして私が選ぶ選択を、お姉ちゃんはわかってる。
それは意地悪だよ。
でも、本当はそれが一番わたしにとっていいんだってことをわたしも知ってる。

わたしは自分が盗人であり
今、何かを望める立場ではないことを自覚しなければいけない。
泣いたり苦しんだり寂しがったりすることすら、おこがましいことなんだ。

罪悪感は持たない。
過度な謝罪もしない。
起こったことは片方だけの問題ではないのだし、
運命の流れというものや、糸や意図もありそういったものが複雑に絡み合ってこういうことが起こったのだから。
でも、それと自分が何をしたのかということや、自分の立場を見ないのは違う。
同じ結果が待っていようと、どういう過程を経るのかは自ら選択できるはずだ。

今は
ただ目の前に差し出された愛を享受して感謝することと、
夏への約束を信じることしかできないのだ。

木立の隙間から海が見える。
キラキラ光る海面が「大丈夫だよ」と言っているようで涙があふれそうになるけれど
もうずいぶん前に、わたしは泣かないと決めたのだから泣きはしない。

お姉ちゃんは「幸せになって」と言ってくれていた。
わたしは幸せにならないといけない。
その幸せへの道はお姉ちゃんや愛する人やたくさんの人たちが敷いてくれたものだけれど、
わたし自身がその道を選んで歩かなければそうなれない。
以前の私のように、震えて怖がって結局切り離し壊してしまうようなことは決してしない。


つづく





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