Smile! Practice should be enjoyable

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(こじょうゆうやさんがイケメンだったので思わず描いてしまいました)

22日、ベトナムの禅僧・ティクナットハン師が旅立たれました。
無宗教ですがとても尊敬していたし影響を受けた方だったので
寂しいです。
脳出血で倒れられてからも活動されていらっしゃっていて、
いつもどうされているか気になってプラムヴィレッジのサイトなどで確認していましたが・・・・。
静かにあの世にお帰りになられたようです。
ご冥福を心からお祈り申し上げます。



先日、星の坊主さまことこじょうゆうやさんの「三十三次元堂」という会にZOOMで参加していて「は!」となったこととハン師のことで思い出したことがあったので書きます。

会の中で個人的に「は!」となったのは、こじょうさんの
「真に受けない」
という言葉でした(内容は控えますが)。
加えて、会の後にメールで質問したお答えの中にあった言葉
「真面目で優しい方は、どこか修行癖がある気がするので
修行ループにはまらないようになさるといいかもです」


そうなんですよね・・・LOVEMYSELF運動を絶賛実施している中で
「あれ?これってどうなの?」「こんなことが起こったけどどう捉えたらいいの?」となって考えて考えて「こんなんじゃまだまだ自分を愛せてないじゃん」「これは自分の投影だからもっとこうしなきゃ」みたいになって・・・・・シリアス「プレイ」をしてしまうことが多い、というかそんなのばっかりです(苦笑)
こじょうさんが「修行癖」という言葉を使われたけれど、
ホントある意味、「自分を愛するための修行」みたいにしてしまっておりました、ハイ。

そこで思い出したのが禅僧の藤田一照さんがハン師に出会ったときに言われた言葉です。
「Issho,Smile! Practice should be enjoyable」
一照さん、笑顔ですよ!修行は楽しいものでなければいけません。

修行っていうとイメージとして眉間に皺寄せて難しい顔をしながら苦しいことや辛いことに耐えて自分に鞭打って一生懸命頑張ってという感じです。
硬いというか重いというか深刻というか。
こじょうさんがおっしゃる私(たち)の「修行」というのも同じように
学ぶにあたっては「こんな私ではダメ、まだまだ頑張らなきゃ真剣に深刻に問題に取り組まなきゃ成長しなきゃ」という重ーい感じです(苦笑)
一照さんが
「(その頃は)苦労して修行することに自分のアイデンティティを置いていた」
とおっしゃっていましたが、私たちってみんなそそういうところありますよね。
汗水たらして苦労を耐えて得たものの方が価値があると思っているし「そんな自分がすごい!」って思いたいからより苦労することを選んでしまうし、そうじゃない人をジャッジしたりして。
一照さんも「そういう自分をハン師に見抜かれたんだろうな」とおっしゃっていました。

「自分を愛する」のに修行なんて必要ないし、もし修行だと思ってもそれは耐えたり深刻になったり自分をジャッジしたりするものではなく、やっぱりもっと楽しく笑顔でやりたいものです。

自分を丸ごと愛する運動なのに、なんで自分をいじめるみたいにジャッジしてダメ出ししてるのかしら?という話です(´ー`)
そんな自分もまあ笑ってすまそうと思います。

真に受けない、深刻にならない、笑顔で、楽しく、軽やかに。

今の私は全てのことにおいてそれを意識しています。





 

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赤裸々な告白とかではありません。

齢50を過ぎた女が自分の愚かさと間違いとまあいっかをつぶやく日記

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