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父の本棚

 実家には、父が買った大量の本と本棚がある。本人はそんなに読み返している風でないし、買ったきりに見える本も多い。もったいない、家が狭いし図書館で借りればいいのに、と子どもの頃は思っていた。
 大人になり、借りに行ったり期限内に返したりが面倒だけど読みたい気持ち、読む余裕や速度が減る一方で読書欲は減らないことが分かり、気づいたら、自分も積読癖の人間になっている。
 荷物が多いから広くて安い部屋をさんざん苦労して探し、引っ越し前後にはやや改心して本を減らしても、スペースあるやんとついまた増やしてしまう悪循環。今住んでいる町は図書館が充実していない上に遠く、だけどなぜか読書欲が増しているので、随分蔵書を増やしてしまった。親も今の場所に落ち着くまではよく引っ越したようだけれど、よく子ども達と本の山を抱えてマメに移動したなと、感心する。

 父の読書の守備範囲は多岐に渡っている。特に児童書がかなり充実していたのはありがたかった。父は読み聞かせも好きで、そのかいあってか、私達子どもは皆本好きに育った。読んでもらって覚えているのは、田島兄弟や五味太郎、長新太、谷川俊太郎などの絵本、宮沢賢治、心配性の『ふくろうくん』のお話しなどだ。

 家の本で、自分で読めるようになってから読んだものは、ダークファンタジーや、妙にリアルな物語が多かった。今思うと、父はちょっと怖い話に惹かれるタイプなのかもしれない。
 例えば、上野瞭 の『ちょんまげ手まり歌』。農民の足を刀で傷付けて移動しづらくし、夢の実(麻薬?)を作らせて管理する、ディストピアの話。やまんばも出てきた。
 天沢退二郎の「オレンジ党」シリーズは、子ども達が放課後に探偵団のように活躍する話だ。と言うと普通そうだけど、そこら辺の大人や子どもが、左派っぽい善(オレンジ党)と右派っぽい悪(暴力的な公権力と別世界の支配者層)に分かれて、生死をかけて戦う、妙に思想的なダークファンタジーだ。各家庭設定も、1人親で子どもが料理していたり、家族の内の1人は敵だったりとリアルで、怖くて美しくて面白かった。作者はフランス文学の教授で翻訳家、今は詩人。
 あとは、灰谷健次郎の『太陽の子』を読んで、沖縄戦や出身地差別の存在を知ったり、知里幸恵の『アイヌ神謡集』も、分からないながらも少し読んだ。『ガンバの冒険』で宅地開発について考えたり、『ゲド戦記』や『指輪物語』のシリーズ、エンデの代表作も読んだ。突然『少年ケニア』シリーズを大人買いして来たこともあった。内容の記憶はないが、わたしがまだ小さかった頃、家族内で『ヘンタイよいこ新聞』が流行った時もあった。
 漫画もあった。水木しげる数冊、『じゃりン子チエ』、『浮浪雲』、映画化前から『三丁目の夕日』シリーズを買っていた。私達用に日本と世界の歴史学習まんがセットもあった。誰かから借りてきた『明日のジョー』『ドカベン』シリーズが一気に現れて、家族で回し読みしたこともあった。
 父の本は子ども部屋も占領していた。何となく手を出さなかったものも多いけれど、タイトルはよく眺めていたので、父の本が私の思考の一定部分を作った感じがある。

 父方の祖父は、家族を連れて満州に渡った後に出征し、戦後シベリアに数年間抑留されていた。その間祖母は、父を含む子どもらを連れて38度線を越え、どうにか満州から引き揚げた。父は幼かったけれど、満州では大人達が現地の人へおかしなことをやってると思って見ていたそうだ。引き揚げ後に逆に受けた差別もあるだろう。おそらくその経験が差別と福祉について考えるよう父を導き、父の本棚を作り、本棚はわたし達子どもを育んだ。
 母によると、父が若かった頃、再就職の面接の一環で、人事の人が家の本棚を見に来たことがあるそうだ。今では考えられない思想への踏み込みだけれど、全共闘の少し前のその当時には普通に行われていたのか、過激派でないかの点検だったらしい。父はただの変わり者で過激派ではなかったが(そもそも規制の多い集団行動には向かない)、本棚は子どもが見ても左寄りだったので、こねもなくなぜ就職できたのやら少し不思議だ。量が幸いしたのだろうか。

 母も自称文学少女だったらしいが、わたしが物心つく頃には、小説などはほとんど処分して持っていなかった。母の実家から持ち出したらしい『家なき娘』という童話だけは、大好きだと言って残していた。同じ作者による『家なき子』と似た設定の、女の子が森で食事を作るシーンが、美味しそうで印象に残るお話しだった。その他の母独自の読書傾向について、わたしはあまり知らない。

 わたしは小学生の頃からずっとインドア派で、遊ぶ相手が見つからない時は、ひたすら図書館や家の本、あと姉の少女漫画コレクションを読んで過ごした。物語を体で感じるくらいに集中して読み、呼びかけられても気づかない勢いだった。
 一度、社会見学か遠足かの際、休憩場所にあった絵本に夢中になり、集合に遅れて探しに来られた記憶がある。同じ班の子が声をかけてくれた時「後で行く」と言ったそうだけど、全くの無意識での返事だったので、読み終えたら1人きりになっていて茫然とした。1日1冊は読み切っていたあの頃の集中力が今あったら、とよく思う。
 わたしの希死念慮が始まったのはたぶん小学4、5年頃だ。図書館で借りた怪盗ルパンシリーズで、隕石に当たって死ぬ女性の話を読んだ時には、これは楽で羨ましい、なんて思ったりしていた。
 父の本棚には、自殺した小学生の詩集があった。岡真史『ぼくは12歳』。父は民族差別に関心があるから、作者の父親が在日2世の作家だから買ったのかもしれない。しかし、思い返してみると、他にも読まなかったけれど『ぼく、もう我慢できないよ ある「いじめられっ子」の自殺』だとか、高見順『死の淵より』など、自殺や死に関するものを、子ども部屋にやけに無造作に置いていた。
 『ぼくは12歳』は、ある意味では私を延命したのかもしれない本だ。「ひとり ただ くずれさるのを まつだけ」などの詩がただ哀しく美しくて、そして彼の境遇はわたしよりずっと深刻で、美しい詩も残せない、中途半端ないじめしか受けていない自分に死ぬ資格はない、と思ったのだった。それで一応生きてきた。(もちろん本だけが理由ではないけど。)
 わたしは、人生について考えこみがちな割には、形而上的な話を読むのが苦手だ。父も同じ体質なのだろう、専門書はあっても哲学書は家には殆ど見当たらなかった。人生に悩んだ時は、自殺した人の話を父も読んでいたのかもしれない。基本的には自己肯定感が強すぎる人だけれど。

 母からは、本に逃げるな、目が悪くなるから夜は本を読むな、などと言われていたけれど、布団の中に本と懐中電灯を持ち込んでこっそり読んで、結局本当に近視になってしまった。やがて身についた活字依存は今も治らず、本の代わりにネット記事を読み漁る日々である。
 最近になって、昔読んだ児童文学を読み返したくなったけれど、実家のめぼしい本は、父がどこかにあげてしまったり、埃と紙魚で手に取れなくなったりしているので、少しずつ買い直していて、ますます部屋が狭くなった。新しい本を読む楽しみはまだあるけれど、私の脳はどちらかというと反復を求めている。読み返す楽しみの為の積ん読が加わって、部屋はますますにぎやかになった。
 父方の祖母は戦争体験を書いた自分史を残したし、父も素人ながら趣味の研究書を出したりしていたのだが、ひねくれ者で年中反抗期だった私は、それらを読まなかった。読もうと思う時には、本は(紛失して)無し、という感じになっている。実際の本棚は半分埃にまみれているけれど、父の本棚の思い出だけは、静かに私を温め続けている。

 ヘッダー写真は、逗子の海とトンビに似た鳥。

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