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甥と出会って自分の中にしっかりと愛情があると分かったとき、嫌いな人とは徹底的に距離を置く(さける)べきだと思った。

私の中でこんなに人に愛情を向けられるものなんだと分かったとき、嫌いな人とは徹底的に関わらないようにする方が良いんだと思いました。


それは、なぜか。

なぜなら
「わたしが絶対守りたい存在は、他人が絶対に守ってくれる存在ではないから」

それをはっきりと認識したから。


↓以下、この理由を思い出せずにいたときの長々とした記事を書いています。


もちろん以下の記事も本心で、真剣に考えて書いていますので、読んでくださるとよりこの結論<嫌いな人とは徹底的に距離を置く>に至った理由が分かると思います。

---------------------------以下、結論に至るまでの記事--------------------------

こう思った理由が明確にあったはずなんですが、その理由を忘れてしまいました。


甥に向けられる愛情がしっかりとあると分かった

↓ から

嫌いな人とは徹底的に関わらない方が良い


までの結論に至ったまでの理由が自分の中であったんですが、忘れました。

すごく簡潔な理由だったと思うんですが…(;´д`)


なので、なんでこの考えに至ったのかを散々考えて書き出したものがあるので、それを記事に書いていきます。もちろんこの文章も全て本心です。

少しでも共感・納得されるものがあると嬉しいです。


甥に向けられる愛情があると分かる→嫌いな人とは徹底的に関わらない

なぜ自分に愛情があると分かったら、嫌いな人と関わらない方が良いと思ったのか。

それはもう単純に、甥といる時がめちゃくちゃに幸せを感じるからです。

「あなたの嫌っている人は、誰かの大切な人だからうんぬん…」ではなく。

そんなの全く思いません。
そうじゃなくて。


甥が大切に思えたからといって、
他の人も大切に思えることはありません。

現に前から「地獄に落ちろ」と心の底から思っている人間はいましたが、その気持ちは今も変わりません(あまり思い出さないようにはなっていますが)。

今まで私は、誰も大切に思えるような人はいなくて、友達も恋人もいたことありません。好きな人がいたこともありません。

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だから、平等が良いと思ってました。特別がいないので。
私は誰にでも同じ対応をとるようにしていました。

人によって態度を変えることが悪いと思っていたから。

でも、確かに自分の中で、この人とは話しやすいなとか、この人は怖いなとか、この人といるとすごい気分が悪くなるなとか感じ方が違うのは分かっていました。でも、無視していました。


その時の自分の感情をまったく大事にしませんでした。


みんなについて「全員良い人なんだ、嫌だって思う自分が悪いんだ」と思い込むようにしてました。


はっきり言って、とてもしんどかったです。


今この考えがある人には、すぐにやめてもらいたいです。何も得られるものはありませんよ。事実、なんも成長してません。むしろ退化していきます。進んで悪口を言うのが好きというなら、おススメしますが。


しかし、甥が生まれて。

「え、側にいるだけでこんなに幸せを感じられるもんなの?」


と思ったので、
そりゃあ好きな人・モノを最優先に大事にするよなあと実感できました。とくに何とも思ってない人を助けたりするわけないよなって感じです。


嫌なこと・人なんて気にかけたり、優しくしたりしても何の意味もないんだなと感じ始めました。


また徹底的にさけるとは無視をするとかじゃあなく、無視をするという選択肢さえも出さない環境に身を置くのが良い(嫌いなもの・人がいない環境)ということ。(難しいのは分かっております。でもこれが一番最善)


だって甥を傷つけるような奴らは、全員殺したくなると思います。そこに子供がしたことだからとか、偉い人だからとか関係なくムカつきます。当たり前です。


好きなこと・好きな人のことを考えるとき、
客観視とか他人の気持ちを考えることってジャマしかしないなと。

(あれはあの人の大事なものだし…、でもあの子は近所の子だから波風立てたくないし、とか。←自分(または大切な人)が嫌な思いをしているにも関わらず、いろんな事考えて我慢するという)


要は自分があれば、自分の大事に思うものがあれば、それを第一に考えろ、それで脳内を占めろということを言いたいのです。

嫌なことに頭を使うな、エネルギーを消費するな。


甥と一緒にいるとき、わたしってこんなに幸せなんだと思えました。

なんで私はわざわざ嫌いな人と一緒にいることを選ぼうとするんだ?嫌なのになぜこんな嫌いな人のことを考えてしまうんだろう、と。


初めてこんなに自分の中にも愛情があるんだ、ちゃんとあると分かったとき、あの人たちって本当に嫌いだったんだなと改めてはっきりと自覚した。

誰とでも仲良しこよしなんて無理。
それは平和でなく、ただの理想の押し付け。


甥が生まれて、愛情の有無がはっきりと分かるようになった。

これからは自分の感情を大事にして、
好きなモノ・人を最優先に考えて行動していこうと思う。

好き・嫌いを自覚することって、自分にとって大事なんだと今更になって気づきました。平等は愛するものの中で心掛けたいと思います。

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嫌いな人は徹底的にさけるというより、区別をつけるべき。

「嫌い」って思っているということは、絶対大事には扱えないから。愛情が向けれる子はこんなに大事に出来るって分かったんだから。

自分が大事に思っている人は、「誰かにも‘‘絶対に‘‘守られる存在」じゃないってことも分かった。

だから自分の幸せを最優先に考える。それがだれにとっても一番良いんだと思いました。


甥への愛情を認識したとき、嫌だなと思う人には何の善意・好意・行為も生み出さないとはっきりと分かりました。今までの私がそうだったからよく分かった。

自分にとって嫌なものは何も生み出さない。
これが分かったから、
関わる必要性がなくなったから
もう私は嫌いなものは徹底的に関わらないように生きていく。

これが私の結論です。

読んでいただき、ありがとうございました。


散文

何も生み出さないんだと分かったから。与える愛情がまったくないと知ることが出来た。本当にどうでもよかったんだ。どうでもいい人だったんだ。この人のために何かしたいと全然思わない。むしろ不幸になれとしか思わない。ちゃんと嫌いっていう感情で合ってた。誰にも愛情がないと思ってたのにあったんです!もうこれから、相手を嫌う自分が悪いと思う必要がなくなった。好きな人は「大事だと思う心」があったから。嫌いだなと思う人やモノに関わって、今まで私は成長してこなかったんだと実感したから。自分にも相手にも得られるものは皆無。嫌な思い出や人と関わることによって、行動が制限されるということが分かった。だから徹底的にさける。もう変えた。

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