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ショートストーリー『何と親父は戦っていたのか』

親父が何の仕事をしているのか僕はまるで知らなかった。親父はいつも酒臭くて、たまに正気に戻ると僕に延々と小言を言う。そんな印象しか僕にはなかった。


お母さんがいればなと僕はいつも思っていた。親父は世間一般で言うと駄目親父だろう。親父は自分では面倒を見切れないと思ったのか、僕が四歳の頃から、親父の弟夫婦が僕の家に住んで僕の面倒を見ていた。母は僕が三歳のときに亡くなっているので、僕と父の二人暮らしは一年間だけだった。


親父は仕事をしていなかったのかもしれない。僕が学校から帰ると、親父はいつも家にいたからだ。親父は僕を見るたびに、挨拶をちゃんとしろとか勉強をちゃんとしろとかうるさかった。そんなえらそうなことを言うわりに自分はいつも酔っ払って、ぐでんぐでんになっていることが多い。だから僕は親父をあまり好きにはなれなかった。


そんな親父も僕が小学校二年生になったときに交通事故で亡くなった。僕は両親を失ったわけだけど、もう親父がなくなる前から面倒はおじさんたちが見ていたので生活に変化はなかった。でも、好きではなかったのだけど、親父がなくなったとき、とても悲しくなったのを覚えている。


思い出してみると、親父が交通事故に会う前日、僕は初めて一緒に居酒屋に連れて行ってもらった。そのときに親父は言っていた。

「息子と一緒に酒を呑みたいと思ってたんだ」

もちろん僕はまだお酒は飲めなかったけど、ジュースで乾杯して焼き鳥を食べた。とても美味しかったのを覚えている。

親父は焼き鳥を食べている僕を見て「美味しいか?」と聞いてきた。その顔がすごく印象に残っている。親父は笑いながら涙していた。とても不思議な顔だった。


おじさんたちに子供が生まれて従兄弟と言う弟が僕にできた。小学校三年生のときだ。僕は新しくできた家族がうれしかった。今までは減ることしかなかったけど増えることもあるんだと新しい発見をした思いだった。

弟の名前はショウと名づけられた。
ショウが生まれたからと言って、おじさんたちは僕に対する態度は変わらなかった。
 

僕は自分で言うのもなんだがショウの面倒をよく見た。ショウが四歳ぐらいになると公園でよくキャッチボールをしたものだ。両親は違うけど、僕とショウはとても仲の良い兄弟になれた。
 

僕が高校二年生になりショウが小学校三年生になった。
最近、僕は変な夢を見る。ショウが交通事故に遭い大怪我をするというものだ。生々しい夢でまた事故が起こる日にちも不思議とわかっていた。僕は二日連続でその夢を見たのでその夢が起こる日はショウを家から出さなかった。だからその夢が当たっていたのか良くわからない。

そのことをおじさんに話した。するとおじさんはタンスから手紙を出し僕に渡してくれた。それは親父の遺書だった。

親父の遺書があると知って僕は驚いた。親父は交通事故で亡くなっている。まだ二十八と言う若さで死ぬことを考えて遺書を残している人はどれくらいいるだろうか。ともかく僕は遺書を読んでみた。

『この遺書を読んでいるということは、恭一は俺の才能を受け継いでしまったというわけだな。うれしくも思うし、悲しくも思う。恭一には黙っていたが、うちの家系にはたまに不思議な力を持つものが生まれる。俺はその才能が特に強くて、自分で言ってしまうが天才だった。
 

俺はありとあらゆることが予知できた。競馬の結果や株の値動きなんてのは当然で人がいつ死ぬかも正確にわかった。何でもわかる俺は、何でもできる気がした。そのうぬぼれのために恭一には迷惑をかけたかもしれない。
 

俺は妻の京子の死も予知していた。だから助けられると思っていた。でも人の死だけは、どんなに努力しても変わらなかった。状況は多少の変化があれ死ぬ運命が確定しているものはどうやっても死ぬことを知った。
 

そして俺は自分の死も予知していた。俺は二〇〇五年の五月六日に死ぬだろう。京子のときに散々と無駄な抵抗をしたので死ぬことはわかっている。俺は自分が死ぬのを受け入れらなかった。正気ではいられず毎日酒を呑んだ。
 

一応、俺が死んでも恭一が不自由なく暮らせるように準備はしたつもりだ。まだまだお前と一緒にしたいことがあったのだが駄目なんだ。一日一日死が近づくのにおびえて、まともに生活できなくなっていた。俺は弱い人間なんだ。
 

最後に父親として忠告させてもらう。恭一も俺と同じように予知ができるようになっても人の生死だけは予知してはいけない。人は必ず死ぬのだ。それさえわかっていればいいじゃないか』
 

僕はそこまで読んで涙をぬぐった。焼き鳥屋の笑顔で泣いていた親父の顔と、焼き鳥の味がじんわりと心に浮かんでいた。


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