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「語ルシス」って何者?

皆さん、初めまして。語ルシスの世界へようこそ。

突然ですが、皆さんは『思考』について考えたことはありますか?

多くの人が「思考って考えることでしょ?」と即答するかもしれません。

確かに辞書的な意味では「考えること」かもしれません。しかし、そこで回答を終了してしまうのは非常にもったいない!と、横槍を入れてくるのが『語ルシス』です。

あなたが今「思考とは考えること」と出した結論は、まさにあなた自身が『考えて』出した結論です。とどのつまり我々は『思考』について考える時も『思考』しなければならない。人間と思考は、切っても切れない鎖で繋がれているわけです。

わけがわからなくなってきました。なんかスピリチュアルなことを言い出したかと思われそうです。しかしここで思考を辞めるわけにはいかない。もう少し考えてみましょう。

例えばあなたが死について考える時や、幸せについて考える時、必ず『思考』という過程を通りますよね?『思考』せずに答えは出せない。人間は日常において、息を吸って吐くように無意識の『思考』を繰り返しています。ならば我々は、仕事や学校、はたまた人生のために表面上のスキルや自分を磨くより、根本的な『思考』と対峙するのが懸命ではないでしょうか。

そんなこんなで、居ても立っても居られず実験的に立ち上がったのが、『語ルシス』という組織(25歳2人)です。早稲田大学を卒業しメディア業界で奮闘するワタクシ思考帝と、地方創生NPO法人ミライキカク代表ニセ=ソクラテスの二人は『思考』に人一倍関心があります。『思考』する楽しさに魅了されてしまいました。

「テクノロジーは人間から大切なものを奪っていないか」「この時代は昔よりも”良くなった”と言えるのか」「なんで彼はあんな発言をしたのだろうか」「この何の価値もない石を売るにはどうしたら良いだろうか」「そもそも何で我々は語ルシスなんてやっているのだろうか」。一見社会問題から日常的な問いまで、取り上げる領域が広すぎるように見えます。しかし根本にはすべて『思考』が必要とされます。こんなこと考えていたらキリがない。そうなのです。『思考』とは当たり前を再定義する行為なので、話題に事欠かないんですよ。

「2人で考えてるのももったいないし、せっかくならアーカイブに残そうぜ」そう決意し始めたのが「語ルシス」という番組です。インスタライブでの隔週配信を始めとし、Youtubeにも投稿しています。我々の目的は解を得ることでも正論を主張することでもありません。『考える』ことです。私の主義主張は私の中に留まる限り私にとっての「絶体的正論」です。しかし、いったん外に出し、考えに考え抜くことでその正論は「考える対象」へと変化します。その変化を楽しむ。「面白いことなき世の中に面白く」。それが我々の目的です。あわよくばこうして第3者に発信することで、より思考の幅を広げられたらと思い、こうしてブログにしたり配信してみることにしました。

「語ルシス」の方向性など決めていません。なんなら何について『思考』するのかも不透明です。しかし、そもそも方向性など必要ないのかもしれない。『思考』とは生ものみたいなもので、その時々の知識量や主張によっていかようにも変化する。その即興性や偶発性も楽しんでいただけたら語ルシス冥利に尽きますね。

ちなみに『思考』は哲学の領域なので当然星の数ほどの研究がなされ、蟻の数ほどの学術書が出ています。それでもやっぱり答えが出ていないのが『思考学』の面白いところ。思考欲求の強い我々はより日常ベースで、より親和性の高い「思考学」を展開してまいります。

そんな前途多難な「語ルシス」の旅路を皆さんと共に進んでいけたら良いなと思っています。

どうぞゆったりとおくつろぎください

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