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第1回「思考とはインプットとアウトプットのパイプライン」

こんにちは、思考帝です。

先日第1回語ルシスをradiotalkにて配信しました。一応アーカイブに残していますが、聞くの面倒くせえ!という方はこちらのブログを拝読ください~

記念すべき第1回語ルシスではチャンネル概要をお話しました。

思考帝「語ルシスとはシンプルに精神を浄化するという意味合いのカタルシスと語るを掛けています。」両者「我ながらシンプルに好きなんすよねこれ」

また、1回目ということもあり手探りながら少し興味深い話をしました。

思考帝「思考についてどう思います?」

ニセ「思考とはインプットとアウトプットの間に存在する概念だと思うんですよね。何か知識を得ただけでは思考ではないんですよね。どう変換してアウトプットするか、その変換部分が思考なんですよね。」

なるほどなあ。ニセはインプットとアウトプット、どちらに偏っても思考は効力を損なうと指摘した。インプットしたものを反芻するだけでは”処理”になってしまう。それはスマホに録音する行為と何ら変わらないということだ。変換作業そのものが思考であるため、どちらかが欠けているとベストな思考はできない。一見当たり前のことだが、思考を定義するには充分だろう。

思考帝「つまりブラジルから”情報”という名のコーヒー豆を輸入したとして、”思考”することによってその豆は安い缶コーヒーにもなるし、スタバのフラペチーノにもなるということですね?」ニセ「まさしく」

ちょっと何言っているのかわからない。

ともあれ、もしこの理論で突き通すなら、上司の言葉一つとっても「あ、この人は飲みかけの缶コーヒーレベルしか思考していないな」「この人の言葉はスタバのフラペチーノだな。のど越しが良い(訳:スッと言葉が入ってくる)」と感じるわけです。フラペチーノ理論は置いておくにしても、頭が良い人の言葉は入ってきやすいと思いませんか?それはおそらく思考上手な人とも言えるのでしょう。

と、このように雑談を交えながら記念すべき第1回語ルシスを終えました(雑談ベースでしたが...)。何となくお気づきかと思いますが、我々は答えを必要としません。思考そのものを楽しんでいます。なのでこの記事を読み少しでも思考に興味を持ってくれたのなら、ぜひradiotalkへ遊びに来てください!

今回はたまたま思考について話しましたが、今後は我々を取り巻く様々な形而上学的事象について話していきますので乞うご期待ください!!!

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