サッカーを通じた次男くんの成長
先日ジュニアユース(U15)年代最後の大会を終えたことで、中学生としては引退となった次男みずき。まだまだ彼のサッカー人生は続くと思うけど、ひと区切りついたタイミングでもあるので、これまでのことについて、印象的な部分を中心に振り返ってみたいと思う。
実は、まだ終わった気がしていなかったんだけど、これまでのことを文章にまとめることで、気持ちの整理ができるだろうと思って。
ようやくそんな気分になれたから。
サッカーをはじめたきっかけ
みずきがサッカーを始めたのは小学校1年生のころ。当時、錦織圭選手の影響で、ほんとはテニスがしたかったみたいだけど、小4になった兄がようやく近所のサッカークラブに入ることになったこともあり、そのタイミングで一緒に入団。1-2年生のころは、ほとんど試合がなかったかな。だけど、3年生になって、ようやくU10の5人制の試合とかに参加できるように。
初ゴールのことは今でも覚えてるし、動画も残ってる。
はじめての大きな決断
その後色々あって、3年生が終わるタイミングで今のチームに移籍することになった。そのとき、僕ら夫婦が大事にしていたのが、本人に決めさせること。もちろん、提案というか選択肢を伝えてあげて、それぞれの選択がどういう意味を持つかなど一緒に考えた上で、みずき自身がどうありたいかを考えてもらい、そのためにどの道を選ぶのかって感じで決めてもらった。
その結果が、移籍だった。
あと、その時期には親としてもいくつか選択肢を模索していたんだけど、すっかりサッカー好きになった嫁さんがバルサアカデミーの存在を発見。それで色々調べてみると、熊本で1泊2日のキャンプが開催される情報を発見。ちょうどエントリー期間だったため、みずきに話してみて参加の意思を確認。行ってみたいってことだったので、即申し込み。
ってことで4年生の始業式直前にバルサアカデミーキャンプに参加。本場のコーチ陣によるトレーニングを体験できて、本人にとっても凄くいい刺激になったみたいでした。
その後1〜2ヶ月経ったある日のこと。トレーニングキャンプの主催者より1通のメールが。
なんと、みずきがエリートプログラムメンバーに選出されたとのこと。簡単にいうと約10日間のバルセロナ遠征メンバーに選ばれたってこと。その時は、鳥肌が立つほどビックリした。その日の夜、早速家族会議。
僕も嫁さんも考えは一緒で、お金はかかるものの、本人にとってはかけがえのない超貴重な経験、一生物の財産になるから是非参加させたいと思っていた。とはいえ、それは本人が決めること(意思表示すべきこと)だと考えていたので、とにかく本人に考えさせた。遠征プログラムの内容やルールとか、親は同行しないこととか、どれくらいのお金がかかるとか、参加する意味とか、色々話したうえで意思確認すると、「行きたい」とのこと。
本人からすると、両親ゴリ押しで「YESかハイ」って言わされた感もあったかもしれないけど、それは違う。僕らは一言も行きなさいとは言っていないのでwww
これはあくまでも、本人の決断。我が家はいつもそんな感じwww
#決断が人生を豊かにする
とにかくサッカーを楽しんでいた頃
移籍先のチームは、市のU12リーグやU11リーグに参加していたため、公式戦の機会がたくさんあった。だから、週末は兄の中学サッカーとみずきのサッカーが重なることも多く、夫婦揃って大忙しだったw
ありがたいことに、4年生のときからU12の試合とかにも結構出させてもらえてたので、なおさらに観に行きたくなるという感じだった。で、やっぱり触れておきたい初ゴールのこと。
そのチャンスは突然やってきた。チームのエースがPKをゲットした際、なんとキッカーをみずきに譲ってくれたんです。このチームって、とにかく下の子に優しく、下の子にチャンスを渡すみたいなことが徹底されていたこともあり、そうしてくれたんだと思う。観てるこっちが緊張。突然のことで訳がわからないみずきは、チームメイトがボールをセットしろって言っている意味もわからなかったようで、自分でボールをセットすることもなく、なんか変な感じでレフリーの笛とともに助走開始してキック。
キーパー真正面。。。
これは結構ひきずるかなぁーなんて思ったけど、次の試合でも同様の場面があり、再び蹴らせてもらうことに。今度は先輩たちのアドバイスを理解し、自分でボールセット。そして、落ち着いて狙いを定め、笛のあと、自分のタイミングで助走を開始し、見事初ゴール。チームメイトの心意気というか心遣いがとても嬉しかったな。
その後、4年生から5年生にかけて、たくさんの試合に出させてもらうなかで、最初のころは体格差に苦労する場面もたくさんあったけど、持ち前の負けん気の強さで徐々に馴れていき、先輩たちのお膳立てもあり、バンバン点をとってた気がする。
さあこれからっていう瞬間からの…
もうすぐ6年生。いよいよ自分たちの代。ようやく同い年の相手とガチでやって力試しができる。そう思った矢先のこと。
コロナ。
チーム練習の機会も制限され、予定されていたはずの様々な公式戦も中止になることが多く、とにかくモヤモヤした1年だったな。
とはいえ試合が全くできなかったわけでもないし、そんな中である程度の結果も残せていたので、次のステージで頑張ろうって感じだったと思う。
そして、中学にあがるタイミングで選択のときが。このままクラブチームでやるか、中学の部活でやるか。当時部活の顧問をしていた先生は兄の恩師だったので、以前からお互いに知っていたし、みずきも懐いていた。だから、その先生のもとでサッカーすることにもかなり惹かれていたようだ。けど、彼の出した答えは、そのままクラブチームで続けるという選択。
胆力を試されたモヤモヤ期
中学にあがってからは、彼にとって悔しすぎる時間が待っていた。小学校卒業を機に、他チームからたくさんのメンバーが入団したことで、1年生だけで20名前後になったからだ。当初は1年生だけでも試合ができるほどに人数増えて嬉しいっていう感じだったけど、その裏には、自分は試合に出れるっていう自信というか過信があったんだと思う。GWあたりまではTRMも結構あってたけど、そのほとんどが途中出場。同学年で2つに別れる際はいつもBチームって感じだし、人数が少ない1つ上世代中心のU14の試合なんかもほぼベンチ。起用法にとやかく言うつもりは全くないけど、本人も僕ら夫婦も、ほんとに何で?って感じで、試合のたびにどんよりした気分になっていた。このときの僕のテーマソングはYOASOBIの「群青」とback numberの「水平線」。どうでもいい情報かもしれんけどwww
その後、コロナによる行動制限がかなり厳しいご時世となり、GW以降は自主練の日々となった。このままじゃマズイってことで、コーチにお願いしてオススメの基礎練習メニューを教えてもらい、そのメニューをひたすら毎日こなしつつ、あわせてダッシュ系の走り込みを一緒にやっていた。その時点での彼は、基礎練の重要性についてあまり理解できていなかったこともあり、毎回ブーブー言いながらも、なんとかこなしていた感じだった。今となっては懐かしい話だけど、この時の積み重ねがあとあと効いてきたと思う。
#腐ることなく愚直に続ける #飛天 #基礎は大切
この経験が彼を強くした
秋頃になると、一時的に色々できるようになり、公式戦も実施されるようになった。そこから、少しずつ出場の機会を与えてもらえるようになり、本人のモチベーションもあがってきたし、観てる僕らも久しぶりに試合観戦を楽しめるようになった。だけど、その矢先に、その後のみずきのサッカーに対する考え方や姿勢を大きく変える出来事が。
U14の公式戦で、後半から出場、ある1つの怠慢なプレーによって10分後に交代。。。これは相当キツイと思った。もちろんコーチはその理由をすぐに本人に説明してくれたみたいだし、本人もやってしまったっていう感じのことを言ってたかな。ただ、僕らはこの交代に感謝している。まさに喝を入れるための交代だと思えたし、本気スイッチを入れるために敢えて厳しい姿勢をとってくれたと思ったから。帰りの車の中で本人にもそう伝えた。
この日を境に、みずきの目の色が変わった。
もうこんな悔しい思いは二度としたくないってことだと思う。それ以降は、僕と一緒にやっていた自主練でも、全く文句を言わなくなったし、積極的に取り組むようになった。
#スイッチオン #悔しさをバネに
変化と準備の期間
2年生になるタイミングでチームの体制が色々と変わった。チーム名称、コーチ陣、ユニフォーム、月謝w
それはさておき、2年生になったタイミングで新しくはじめたことが。ジュニア時代からお世話になっているコーチの紹介で体幹トレーニングのパーソナルジムに通うことになった。週1回1時間。
中学生年代の場合、学年が1つ違うだけで体格差がだいぶあったりするし、サッカーを続けていくうえで、今のうちから体幹を整えておくこと、その方法を理解して自らやれるようになっておくことは、今後のプラスになるってことではじめた。もちろん本人の意思で。(現在は細マッチョ的にかなりムキムキになって、よく鏡をみてうっとりしてる 笑)
1つ上の代の人数が少ない状況は変わっていなかったので、U15の試合に2年生が半分近く出してもらえる状況ではあったけど、相変わらずほぼベンチだったり後半の後半に出場みたいな感じだった。でも、1年生のときとは違っていた。悔しい気持ちは変わらずあっただろうけど、出れたら何かやってやる、そのために日頃からしっかり準備しておくっていう具合に。だから、途中出場したときの雰囲気が、いかにも何かやってくれそうな感じで、観てて頼もしかった。そして、以前はあまり走り回る感じではなかったものの、ポジションやチームの要求にあわせて走り回ることも厭わないプレーヤーに変わりつつあった。
あと、だいぶ省略するけど、これからっていう時に何度か骨折などの怪我をしたこともあって、日常的に身体のケアを自分でしっかりやるようになったかな。
#意識の変化
エースナンバー「13」を背負って
1つ上の代の最後の大会となるクラブトーナメントが終わり、いよいよ代替わり。2年生のときに3年生中心の対戦相手にもまれたメンバーが多いため、どこまでやれるか楽しみだなっていう感じだった。
しかし、現実は。。。
2年生のときは県の3部リーグにいて、最終順位的に例年ならば残留というところだったものの、九州リーグから県リーグに2チーム戻ってきたため玉突き事故的に支部リーグ降格となっていたことが判明。このことは、とても残念だった。県リーグにいれば、今年度はホーム&アウェイで80分ゲームを18試合もできたのに、支部リーグだと試合数も半分、試合時間も60分。これは大きな差だと思った。けど、仕方がない。そこで圧倒的に全部勝つみたいな目標に切り替わった。
最初の支部リーグは1位。そして、上位リーグでも1位。みずきは、ほぼ毎試合得点してチームの勝利に貢献。そして、入れ替え戦でも勝利して、来季は再び県の3部リーグに昇格することに。卒業してもういないけどねw
とくに印象に残っている試合は2つ。
1つは、中学校の恩師が移動した先のサッカー部との支部リーグ最終戦。前日に色々あってメンタル的に大変な状況のなか、ハットトリックを宣言して試合にのぞみ、見事有言実行。恩師に成長した姿をみせてくれただけでなく、僕らにとっても、嬉しい結果となった。
もう1つは、高円宮杯の県大会出場権獲得にむけた決定トーナメント初戦。ジュニア時代からずっと一緒にやってきたキャプテンでGKのチームメイトが負傷して試合にでれないため、戻ってくるまで勝ち進むしかないっていう状況。自分のゴールでチームを勝たせるって言って試合に臨んだところ、シーソーゲームだったけど、終了5分前にみずきがハットトリックを決めて4-3でリードし、劇的勝利と思いきや、追いつかれてPK戦。結果敗退。試合後に呆然としながらも、4点とってチームを勝たせる存在にならんとダメだって言っていた姿が印象に残ってる。
中学生最後の試合
2023年度第38回福岡県クラブジュニアユースサッカートーナメント大会。
負けた時点で最後の試合となる大会。
1回戦、2回戦、3回戦と勝ち進み、ベスト8進出。みずきは3試合ノーゴールだったので、ベスト8の試合では強豪相手だけど、ゴールしてくれるのを期待していた。しかし、残念ながらノーゴール。しかも完敗。
前半早々に足首を痛めたみずきは、思うような全力のプレーができないまま完敗したため、なんとなく悔いが残ってると思うし、超悔しかったと思う。ただ、観てる側としては、兄のときとはちょっと違う感覚だった気がする。よく頑張った!とか、出し切ったね!とか、あーこれで最後なのか、みたいな感覚がなく、今回は、なんかフワッとした気分だった。中学の部活と違って、これで即引退みたいな感じではないからかもしれないけど。
とはいえ、保護者への挨拶のあとに悔し涙を浮かべながら、ひとり天を仰ぐ姿をみた瞬間は、やっぱり最後なんだってウルっときた。
ありがとう
わかる人にはわかると思うけど、我が子の試合って日本代表戦と同じくらい、もしくはそれ以上に熱くなれる。ジュニア時代からの6年間、活躍したときもそうでないときも含め、我が子の試合観戦という最高の時間を味あわせてもらえて、本当によかった。そして、サッカーを通じて少しずつ成長していく姿をそばでみせてもらえて本当によかった。一緒になって親子で一喜一憂しながらも前を向いてサッカーに向き合うことができた時間は、家族にとって大切な宝物だとも思う。
こうして、彼のサッカー人生を現時点で振り返ってみると、それなりに色々な試練があったし、決断を強いられる場面も結構あったと思う。でも、それを1つ1つクリアしながら着実に成長してくれたことは、親として、とても誇らしい。もちろん、まだまだな部分もたくさんあるけどね。
そして、次のステージがどうなるかは、まだわからないけど、彼ならきっと大丈夫だと思う。
みずき、ありがとう。
これからも、頑張れよ!
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