見出し画像

僕の教育観の根底にあるもの

今日は、大学生にとって4年間の集大成となる、卒業論文の提出〆切日ということで、今年も色々と考えさせられることがあったので、自分自身の教育観について書いてみようと思う。

そもそも、学生時代までの僕は、同級生とはもちろんだけど、先輩とご一緒する機会も多く、ありがたいことに、結構可愛がってもらっていたので、先輩方とのお付き合いは得意なほうだった。その一方で後輩との接し方があまりわからず、ちょっと苦手でもあった。
その後社会人になってからは、ゼネコン時代もシンクタンク時代も職場の中では自分が最年少という状況がほとんど。だから、当然ながら、部下がどうとか、そういう経験を積むことが全くできていないまま30代を迎えることになった。
そして、そのタイミングで大学教員になり、その3年後には地域創生学群が設置され、ガッツリ人材育成の仕事に携わることになった。


見様見真似で必死に

地域創生学群は、地域の再生と創造を担う人材の育成を目指し、実践と理論の両立を図るという教育理念を掲げて新たにつくられたため、設置当初は全国的にみても珍しいことをやり始めた学部だといえる。だから、当然お手本となるようなものはほとんどなく、設置準備の段階から、教員一同手探りで試行錯誤する日々の連続だった。

一期生が入学し、卒業するまでの4年間は、今振り返ると本当に特別な時間だったと思う。僕にとっては教育に関する仕事も初めてだったので、経験ある先輩教員のやり方をつねに横で見ながら真似てみたりして、試行錯誤しまくっていた。それと同時に、学生たちと一緒に汗をかきながら、学生たちに向き合う日々だった。

準備された答えがあるわけではなく、こういう人材を育て上げるためにはこんな方法が必要なんだっていう一種の仮説のようなものをもとに、それを信じて、それを証明すべく必死に頑張っていた感じ。

塩梅の難しさに直面した時期

最初の4年間は、とにかく新学部での新たな取り組みを定着させて軌道に乗せるため、とにかく一致団結して進める必要があり、また、地域での実践を必修科目にしているので、対人マナーや規律みたいなことを、学部としても特に重視していたため、我々教員も学生たちにかなり厳しく接していた部分はあった。

ただ、いつの間にか規律重視の部分のみが強調される感じになり、本来ならば3年生くらいから主体性を発揮し、地域で新たなチャレンジをする学生がどんどんでてくることをイメージしていたにも関わらず、実際はそんな感じにはならなかった。
ざっくりいうと、1-2年次にシメすぎて、結果、学生たちが主体性を発揮しにくい環境というか雰囲気になってしまった。

そして、その後は、一旦学生たちに任せる方向で進めてみたものの、そうすると、今度は規律の部分がおろそかになってしまう感じになった。
これらのことから、塩梅が難しいって話になった。
実際、個人的には規律重視の部分を意識しすぎたために失敗したなって思う部分もたくさんあったことだし。

で、余談になるけど、今思うと塩梅というより順番かなって思っている。
以前ザキオカ先輩から教わった「指導スタンスの変化」をうまく組み込めていればよかったのかなって。言うは易く行うは難し、だと思うものの。
規律(強制)&友情的 → 合意形成型 →  委譲

ある瞬間の気づきで迷いがとれた

こんな感じで、初期段階では色々なプレッシャーを感じながらとにかく必死、そして、なんとなく自分自身の外側に何かしらの答えのようなものを求めている感覚もあった。そして、もともと後輩と接することに苦手意識をもっており、社会人になってから部下をもった経験もないため、学生たちと接する様々な局面において、振る舞い方も含めて色々と悩んでいたところもあった。厳しく言うのも苦手だったし。

そんなある日のこと。何かの瞬間に「これって子育てと同じじゃない?」っていう感覚が降ってきた。
例えば我が子を叱る瞬間のことを想像してみてほしい。僕の場合はこんな感じだった。
そもそも我が子のことを、めちゃくちゃ可愛いと思っていたけど、躾として子どもがダメなことをしたら即叱る。その子のためにならないから、心を鬼にして、怖い顔もつくって。
その瞬間はこっちも辛い。目の前でしょげた顔した可愛い我が子を見ると、心の中では泣けてくるんで。
だから、叱ったあとは、決まってギューって抱きしめてあげてたな。そのことで、子どもは安心してたと思う。
この一連のやりとりの根底にあるものは何か?
それは「愛」なんだっていうことに、とある時気づいた。

そして、「そうか、学生と接する際も、この感覚でやればいいのか!」って感じで腹落ちした次第。

この感覚こそが、僕の教育観の根底にあるもので、それ以降は迷いがとれて、自分なりに気負わずやれていると思っている。とくに当時の実習やゼミの運営面において。

その後は、様々なご縁がきっかけで知り合った尊敬すべき方々からの教えによって、僕の基本スタンスが磨かれていくことになった。

無限大の可能性をもつ若者たちを信じること

まずはコレ。どこかで「若者の可能性は無限大」っていうフレーズを聴いて、なるほど、たしかにそうだなって思った瞬間から、この言葉を使うようにしている。そして、この前提は本当に大事だと思っている。

その後もいろんな場面でいろんな話を聴く機会があったんだけど、その中でもとくに心を揺さぶられたのがこのお二方からのお話。

「世の中には若者に対して『どうせ無理』っていう大人がいる。はっきり言って、それは若者の可能性の芽を摘んでしまう最悪な言葉だ。だから、そんなことを言う大人の話は聞かなくていい。」
これは、ザキオカ先輩(岡崎正信さん)が、うちの1年生向け特別講義のなかで、おっしゃっていたこと。この話を聴きながら感情移入して震えたのを覚えている。と同時に、これは肝に銘じたいって思った。

そして、オガールシンポジウムのなかで日笠先生に教えていただいたこと。「子どもが心を動かす瞬間を」
「カッコいい大人にならないと子どもはついてこない」
「日頃からの信頼関係が大切。他に任せない。」
「決して裏切らない」
「胸をはって卒業させる」

どちらのお話からも、根底にある深い愛情を感じることができるし、若者のもつ無限大の可能性を大切にしている感じが伝わってくる。

そんな教えもいただきながら、僕自身の教育観が現在進行形で磨かれ続けている。

ただ、現実として、それを貫いていくためには、かなりの覚悟と胆力が必要なわけで、いまだに時々それが揺らぎそうになる瞬間があるから(昨日もあったw)、僕自身まだまだ修行が足りんなって思うし、発展途上だと思っている。
だからこそ、色んな挑戦をして、色んな経験を積んで、そこから学び続ける必要がある。
その姿勢に基づいた行動を続けることができてこそ、僕の言葉や文章が説得力をまとい、挑戦の一歩を踏み出そうとしている学生たちの背中をそっとおすことにつながるんだと思う。

いまのところ、そんな感じです。

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?