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禁断の果実


「ごめんなさい、遅れたかしら」
約束の時間通りにやってきた彼女は、学校にいる時とはまるで別人のようだ。


夏休みは長すぎる。
そう思って始めた短期のアルバイトも終わり、自分には似合わない金額を開設したての預金口座に持て余したまま、約束の日になった。

思えば、2年前から気になっていた。
学校というつまらないコミュニティにおいて、ひときわ存在感を放つ彼女にはさすがの自分も心を奪われた。
低い身長から放たれる想像通りの高い声と、想像もできないような強気な姿勢、そして、なんといっても白く透き通る整った顔。
彼女に話しかけられた男子は、わかりやすく声のボリュームが上がっていた。

そんな彼女との交際が始まったのは、3年生になってすぐだった。
同じ校内にいるだけで、途方もないような距離を感じられた彼女は、今年から同じ教室にいる。
それをきっかけに少しずつ話すようになり、少しずつ距離が縮まり、今は僕の隣にいる。
今日は夏休みになってはじめての"デート"だ。

子どもっぽすぎると思われないかとか、デートにかかる金額の相場とか、最近の流行りとか、色々考えて悩んだ結果、「水族館デート」という子どもから大人まで楽しめるであろう無難なプランになってしまった。

いつも通り、人目を気にしながら歩く。
彼女は水族館に入っても、サングラスとハットはつけたままだ。
指示されたルートの通りに水槽を巡る。
同じ水槽に色々な種類の魚がいるって、よく考えたらすごいよなと考えていると、屋上に着いた。
予約していたイルカショーが始まる。

「イルカは可愛いけれど、いつかきっと淘汰されるわ。
動物のショーなんて、時代が合わなくなるから」

彼女は時折、その一面を見せる。
学校では見せない、その一面。

「レストランでディナー」
自分に似合わない予定が近づいていることに気が付く。
あまりに考え過ぎたせいで、アンバランスなプランになってしまったかと不安になりながらも、先日予定を伝えた時の彼女はどこか嬉しそうな表情を見せた。

インターネットで調べた通りに料理が運ばれてくるので、インターネットで調べた作法で対応する。
どれもこれも、見たことのない料理が少しずつ運ばれてくるので、予習をしていてよかったと心底思う。

彼女は慣れた手つきで食事を口に運ぶ。
もしや彼女も予習してきたのだろうかとも考えたが、きっと彼女のことだから、この程度は難なくクリアできるのだろう。

メインディッシュはラムのステーキ。
ラムとは何か調べながら、いつも通り会話が進む。

「美味しいけれど、代わりがでるわ。
命を食べるなんて、時代が合わなくなるからよ」

付け合わせの野菜には手をつけずレストランを後にした。

水族館もディナーも、楽しんでもらえたのだろうか。
冷たい声と裏腹に、彼女は拒んだ事がない。

禍々しい言葉を飲み込んだまま、僕は彼女に顔を埋める。

これも、いつも通り。

3年生の冬休みは、とても短い。
期間は変わらないはずなのに、待ち受けるイベントが体感速度を上げる。

初めてのレイトショー。
友達と一緒では体験できない夜10時以降のイベントも、彼女と一緒なら可能だ。
そのほうが、都合がいい。

上映時間も相まって、物議を醸した問題作を見る。
彼女はむしろ、嬉しそうだから良かった。

「刺激的だけど、いつか規制されるわ。
もう、時代が合わなくなるから」

上映開始と同時に繋いだ手は、まだ冷え切ったままだ。

いつも通りの彼女。
それを知ることができるのは、自分だけ。
いつからか、彼女の矛盾を指摘することはしない。
僕に少しの利点もないから、なんて。

「そうだね」と微笑み、スクリーンに目を向ける。


思えば、2年前から気になっていた。
学校というつまらないコミュニティにおいて、ひときわ存在感を放つ彼女にはさすがの自分も心を奪われた。
低い身長から放たれる想像通りの高い声と、想像もできないような強気な姿勢、そして、なんといっても白く透き通ったような整った顔。

入学式で教師として僕らの前に立った彼女は、あまりに輝いて見えた。


でも、想ってはいけない。
この気持ちを選ぶと、何かが失われる。
だから、僕はいてはいけない。
この気持ちを諦めると、何かが守られる。

初めは、自分より遥か先をいく大人に対する純粋な感情だった。
平等に流れる時間を彼女と踏み越えていくうちに、真逆の感情を孕んでいった。

愛しさが憎しみに変わり
尊敬が軽蔑に変わっていく。

それでもまだ、この禁断の果実から手を離すことはできない。
こんなことなら、端から知らなきゃよかったんだ。

好きだけど、在ってはいけない。
僕らはきっと、会ってはいけない。

制限の中で失っていくもの。
制限の中で守られたもの。

わかっていても、拒めるほど大人じゃないし、
壊れるほど繊細じゃない。
君のように壊れられたら、どれだけ楽だっただろうか。

でもきっと君が消えるまで、
僕はずっと、これを持ち続けるのだろう。


おわり


<あとがき>


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