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高吸水性ポリマー男の独白

「……分かった!俺がオムツになる!オムツになるから!」
 それが俺の最後の言葉となった。
 あれから8年。俺は使い捨てのオムツとして生き続けている。店は俺を売り、親は俺を買い、俺を赤ん坊に履かせる。
 生まれたてのケツを包む気持ちがわかるか?やつらのケツはみんな同じだ。ハリがあって暖かい。海豹の腹に俺は張り付く。最高だ。
 だが、それも2分も持たない。生まれたてのケツは俺に太陽も見せれば月も見せる。すぐに俺の体はほかほかの液体と泥に包まれるんだ。こういう話をすると、お前は顔をしかめるかもな。でも、案外悪くないんだぜ。
 オムツの俺には鼻がない。あるのは高吸水性ポリマーだけ。臭いは昔の記憶が感じている。それ抜きでも、感覚はハイだ。
 関係ないんだよ。モノが何かなんて。あるのは無理やり全身に浸みてくる暖かさ。抗えない暴力に似てるな。ああいうのは、逆らおうとするから不快なんだ。委ねて、液体に蹂躙させる。するとどうだ。俺の体はむくむくと膨らんでいく。細胞が随喜の涙を流しやがる……。午睡の時間だ。
 俺が浸るのもせいぜい3分が限界。履き主は馬鹿みたいに泣き喚く。
 考えるに俺が喜ぶのが、大嫌いなんだ。生まれて一年経たないくせに蔑む心は一人前。反吐が出る。オムツになって一番の発見だよ。人間が最初に持つのは喜びでも悲しみでもない。軽蔑だ。
 それでどうするかって?どうにもならないさ。
 3年まではテープを固めて貞操帯になってやろうとやきもきした。
 でも、意味ないんだよ。紙の俺が親の握力に叶うはずがない。無力に俺は開け放たれる。努力むなしく中身を晒す。まるで犬がチンチンするみたいに。
 最悪だった。外気に触れると女も男も親殺しに会った顔をする。
 履かせたのはお前だろ?いつも真っ先に思う。あまりにいらつくと、俺は赤ん坊の腰を摩って液体を顔にぶちまけさせてやった。
 だけどな、そんな俺が改心する出来事があったんだよ。衝撃はオムツのアイデンティティを確立するに至った。
 早口にまくし立てるのが得意な女の家に来た時だ。女はいつも男の帰りの遅さに腹を立てていた。男は決まって深夜に帰った。すると女は屠殺前のニワトリの勢いで詰め寄るんだ。男は言い訳をする。どっちも南米出身だから、何言ってるかなんてのは分からない。でも、決まって男は「Si,Si」しか言わなくなって部屋に閉じこもる。女はため息まじりに、履き主のオムツを変える。俺は棚から見下ろしてた。
 その日も同じだった。
 深夜に男は帰ってきた。
 今日も女は責め立てる。おっと花瓶が割れた。ただ事じゃないぞ。女はどうやら昼に来た電話が頭にきてるらしい。信号機みたいな目玉がガン開き。男が弁護に動けば、噛みつきかねない。宙を舞う絵皿、馬の磁器。
 男は「Si, Si」を繰り返す。女は男の頬を張る。
 女は疲れたのか、十何度も平手打ちすると、男を解放した。男は何も言わずに部屋に吸い込まれた。
 履き主はただ事ならぬ空気に狂ったように叫び、疲れて眠っていた。
 俺は履き主に塗れてた。女は他の奴らにしてたのと同じ動作を俺にしようとする。
 俺を邪魔するな!今、暖かいケツに浸ってんだ!
 俺に触れるな!ポリマーの盛り上がりが見えないのか!
 今日も手放されるのか。無理やり喜びを取り上げやがって。俺は抵抗する。女が手間取る。
 爆音。
 女が締め上げニワトリになるとまた爆音。俺に抱きついてきた。
 足音が遠ざかる。また爆音。重たい肉がぶつかる音が続いてそれっきり。履き主が喚いても騒いでも何も起こらない。
 最高だったよ。終わらない夏休みが来たと思った。やっと神は永遠にケツに浸らせてくれる……。
 そう思えたのは4日までだ。
 ケツはどんどん冷たくなった。冷えたケツを当てられてことはあるか?あれは悲しい。惨めな気持ちと無念さが同時にくる。
 やがてケツはグズグズの豆腐になって俺に収まりきらなくなった。俺は俺の役目すら果たせなくなった。気づかないうちに月日は流れていた。
 次に光が見えた時、警官が履き主を見下ろしていた。顔には何の色もなかった。俺はその時気づいた。感情は混ざり合いすぎると見えなくなる。南米の見知らぬ二人の制服はそれを俺に教えてくれた。
 再度オムツになった俺は、もう抵抗しなかった。嫌な顔をされ、ハングルで罵声を浴びせられても、髭面の親父が顔を擦り付けても、何も感じなかった。無言でテープを外す。ゴミ箱。全てはシステマチックだ。
 だが、ビニール袋に詰められても南米女と警官は絶えず頭を巡る。冷たいケツが俺を追いかける。
 俺は暖かいケツに惚けようとした。血の通ったぱつぱつのケツを締め上げた。溢れる泥も液も余さず身に宿した。そうして膨らみきった身体を俺は見回す。「まだ大丈夫」と言いきかせた。
 幾度となく生産されても、冷えたケツは常に俺に触れていた。
 諦めた。俺は冷えたケツも取り込んでいくんだ。死んだ人間が生きるのは生きた人間の記憶の中しかない。あの南米女も履き主も俺は永遠に留める。
 それは俺にしか務まらない。
 俺はオムツ墓になった。



 円卓には異形が腰掛けていた。革張りの黒椅子に並ぶのは、白くごわついた皮膚で覆われた面々。環形動物を思わせる桃色の触手がはっし、と肘掛けを掴んでいる。
 中心には男が糾弾されるように立っていた。
「この文章はあなたが広めたというのは本当ですか?」
「はい」男は取り乱さず答える。
「はい、じゃないんだよキミ!」
「国連に任せるべきだった!」
「予測は出来たんじゃないのか!」
「ご静粛に」
 異形たちの非難を一際大きい異形が止める。
「あなたはご自分の行ったことがお分かりですか。あなたが行ったのはジアペール種への冒涜です。人間の糞尿に塗れて喜ぶマゾヒズムの塊としてジアペール種を書いた。これは如何なる理由があれど許されません。削除と30年間の監視義務を科します。良いですね?」
 男は依然異形を正視する。ゆっくりと右に振り返り、異形種たちを見回す。
 再び男は前を向く。ワイシャツのボタンに手をかけた。ぷつぷつぷつ。下へ下へと着実に外していく。肩があらわになる。タンクトップを脱ぐ。
 ベルトのバックルに手をかける。金属音と革とスラックスの布地が擦れる音が会議室に響く。ジッパーの音。男は緩んだスラックスをずらす。
 白くごわついた異形の皮膚が現れた。
「俺はジアペール種に罰された者だ。水田で会ったあなた方は、俺を情報切断刑に処した。情報生命体として何度もオムツとして漂流させたな。」
「バカな」
「これは全て実話だ。ジアペール種が人の思念を孕んだ姿。それが俺だ。」
 異形たちは口々に罵った。
「一度広まった言葉は風に乗り、芽吹いていくだろう。人よ、ジアペールよ、さようなら、さようなら」
 残ったのはスーツと加齢臭。
 高吸水性ポリマーだけが膨らみきっていた……。

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