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16ビートの神楽

「2010年、カリフォルニアを中心に活躍するダンスチーム「Soulectrics」は、武道館でショーケース「Funk Escape」を行った。今でも過去一番のショーケースに「Funk Escape」を挙げるファンは多い。それはなぜか……」

国木永康「Soulectricsを追え!」、『Funky Feet』第 25 号、2019 年 9 月、15 頁


 「Funk Escape」の3日前、羽田を出て高速道路を車が飛ばしていた。狭い車内だった。後部座席に4人詰めている。背中をかくのもままならない。もっとも、それは助手席から狙う銃口のせいでもあった。
 銃を握る老人は油断がない。がっちりと視線で俺たちの動きを掴んでいた。
 俺は右隣のJJを見る。口髭が汗で濡れ、減らず口は鳴りをひそめていた。
「金か?」
 左隣でポッピン・バズが老人に問いかけた。元ギャングの男が慌てる様子はなかった。
 老人は何も言わない。空気がピリついた。
「申し訳ない」
 運転手が流暢な英語で言った。
「私は本田。医者をしています。隣の彼は文治さん。猟師です。確認ですが、あなた方はSoulectricsで間違いないですね?」
 バズが頷いた。
「あなた方に頼みごとがあります」
「待てよ。それならフランクに言え。俺たちは降ろせ」
 JJが俺を指差し、まくしたてた。言葉が通じて勢いづいていた。文治さんの猟銃がJJに向いてもお構いなしだった。
「JJ」
「黙ってろバズ。これはれっきとした誘拐だぜ? なんならこの車から飛び出てやっても──」
「やめておけ」
 座席の左端。ブガルーゼムが言った。俺たちのボスはこの状況でも変わらなかった。
「この男は折り込み済みだ」
 本田はバックミラー越しに禿頭を撫でた。俺は後ろを振り返る。俺たちが乗るのと同じ車が2台、一定の距離をあけて走っていた。
「頼みとは?」
「ダンスで死者を鎮めてほしい!」
 本田の真剣な顔に気圧された。
「私たちの村、青海村では湖に沈んだ町から死者がやってきます。その度巫女が鎮めているのですが……」
 文治が写真を渡した。写真には白眼を剥いた灰色の人間がフェンスに掴まっていた。
「今年はあまりに多い。巫女の鎮めも間に合わず、なんとか凌いでいる状態です」
「俺たちにシャーマンの役は務まらない」
「できます」
 本田は断定した。
「巫女はこれまで青海神楽で死者の魂を鎮めてきました。いいですか。あなた方のダンスと神楽が組み合えば最高のグルーヴが生まれるんです」
 JJは首を傾げ、ポッピン・バズは事実を見極めるように聞いていた。ブガルーゼムは沈黙している。
「青海神楽は危機に瀕しています。若い人は出ていき、継承者は一人になってしまいました」
「カグラをあんたも覚えればいい」
 JJが言った。
「挑戦したけれど誰にもできませんでした。だからこそ、あなた方が必要だ」
「報酬は?」
「2000万円」
 グローブボックスから文治は札束を取り出す。
「前金で一人200万円。死者全員で残りは必ず」
 ブガルーゼムのスマホが鳴った。何度目かの着信だった。文治が本田に目配せをし、確認する。通話にすると、主催者の怒声が俺まで聞こえた。
「おい! 今どこだ!? 迎えのバスに乗ってないだろ!」
「少し観光に出てからそっちへ行く」
「少し!? 今すぐだ!」
「また後で」
 ブガルーゼムは電話を切った。
「期間は3日だ」
「ボス。マジでやるんです?」
 俺はブガルーゼムを見た。
「死人が客のショーケースなんて歴史上初だろ? アがらないのか?」
 ブガルーゼムは深紫のハットをあげてニカッと笑う。目元に皺が寄り、普段の強面からは想像もできない笑顔だ。
「……本当に仕方ない人だ」
 しばらくの沈黙の後、ポッピン・バズは首を振って笑った。
「もらっちゃったし、仕方ねえな……」
 JJも首をすくめて笑った。
「Soulectrics「Dead Escape」だ」
「勝手に名前つけてんじゃねえよ」
 JJが俺を小突いた。
「ありがとうございます」
 本田が会釈した。文治は銃を下ろすと、バッと頭を下げた。
「すまないッ」
「あんたが撃たないのは分かってた」
 バズは文治に言った。
「だが、俺はあんた達みたいな気持ちのいい男を信じられなかったのが申し訳ねぇッ」
 文治の実直さに車内は笑いに包まれた。

  陽が傾き、木々の間から赤と青の空が見えた。羽田を出て4時間たっていた。車は高速を降り、狭い山道を進んでいる。山道はカーブが多い。見通しが悪いなか本田は難なく運転する。
 道なりに進むと、横断幕のかかった木製の門にたどり着いた。英語で「青海村にようこそ!」とある。本田が住民に教えたのだろう。集落の周りにフェンスが設置されていた。
 本田が右手を窓から出す。二、三度、手を振ると門は開いた。
「あれを」 
 本田が指さす先に、フェンスにぶつかる人影がいた。
「学校周りにはもっといます」
「まじかよ……」
 門をくぐると、後ろの車が散っていった。
 車は坂を登る。駐車場に着くと、ブレーキをかけた。外は湿気を含んだ風が吹いていた。林の木々が音を立てる。
 目の前には大きな赤いオブジェが立っていた。本田はそれを「鳥居」と教えてくれた。その向こうには石畳が続く。俺たちは本田についていった。
「あっ!」
 文治が叫んだ。
 石畳の向こうに、木造の厳しい建物がある。こちらにくる人影があった。ひとりはTシャツにスウェットパンツの老婆だった。もうひとりは、心配そうに老婆の周りをうろちょろする老人だった。
「村長、これは?」
「すまん。本田くん。きよさんが神楽をするって聞かなくて……」
「きよさん。まだ動いちゃダメです」
 老婆の右足に包帯が巻かれていた。
「心配症だね! アタシはこの通りピンピンさ!」
「ダメです! 朝言ったダンサーの方々もきましたし……」
 ぐるっと首を回し、きよさんは俺たちを見た。目を細め、端から全員にガンをつける。しばらくして、鼻で笑った。
 JJが舌打ちすると、きよさんは首がねじ切れそうなほどの速さでJJを見た。つかつかと歩み寄り、踵を上げて顔を近づけた。
「カリフォルニアの常識は通じないよ小僧ォ」
 JJときよさんが睨みあった。
 俺がふたりの出方を伺っていると、ブガルーゼムのスマホから音楽が聴こえた。最大音量でザップの「Dance Floor」が流れてくる。
「きよさん。まずは自己紹介といこう」
 俺たちはビートに合わせてきよさんの前に出る。俺たちのダンスはポッピングだ。筋肉に一瞬、力を入れて弾き、身体からビートが放たれるように見せる。
「フランク!」
 2×8のソロパートだ。俺以外の三人が動きを止める。ビートに合わせ、脚を別々の生き物みたいに暴れさせる。
「JJ!」
 JJはパントマイムを組み込んだソロを見せる。
「おおっ!」
 村長が声をあげた。JJが飲んだくれにもカカシにも見えたのだろう。
「ポッピン・バズ!」
 入れ替わるように、ポッピン・バズが動きだす。彼は身体中の筋肉を自在に動かせた。指先を曲げて波をつくる。首を通り、胸から膝までシンセに合わせて波が通る。
「おおっ!」
 文治さんが叫んだ。ポッピン・バズが文治さんにウィンクする。
「ブガルーゼム」
 ブガルーゼムは流れるように膝や腰の関節をロールさせる。身体を弾きながら、彼の魅せる膝のロールでズートスーツが豪快に揺れる。ドープだ。俺が憧れる男は異国の地でも自分のムーブを貫いた。
 今度は4人で踊る。スネアを弾くたび、全身がグルーヴする。文治さんと村長は曲に合わせて揺れていた。いつのまにか他の村人たちも来て賑やかになっていた。
 見ていたはずのきよさんが俺たちに混じっていた。
「なかなかスジは良さそうだね」
 そう言って、きよさんがステップを踏み始めた。
 空気が変わった。不思議な音の取り方だった。地面を踏んでいるのに音が遅れて聞こえる。足が見えているはずなのに、一本にも三本にも見えた。
「やべえ……」
 バズが珍しく顔を綻ばせていた。
 曲が終わると、ブガルーゼムがきよさんに手を差し出す。きよさんが固い握手を交わした。
「無理しないでくださいよ」
 本田がきよさんに背中を貸す。
 きよさんは本田におぶられながら文句を言っていた。
「なにボサッとしてんだい! 早く社に入りな。明日の6時から練習だよ!」
 見送る俺たちにきよさんは言った。俺たちも後を追った。
 正直わくわくしていた。神楽とポッピングが何を起こすのか楽しみだった。 

 朝からきよさんのレッスンが始まった。
「足と手は同時に出すんじゃないよ!」
「また腰ごと動いてるね!」
 神楽の動きは難しかった。重心の置き方、力の入れ方が今までやったダンスとは違った。きよさんのレッスンは完璧になるまで続いた。
 気がつけば、武道館まで残り1日だった。俺たちは神楽を覚え、最終調整に入っていた。
「様にはなったね」
 本田に背負われ、きよさんは言った。
「たっ大変だっ!」
 突然、社の外が騒がしくなる。
 文治さんと村長が駆けてきた。朝はフェンスの点検に出ていたはずだ。村長の頭に包帯が巻かれている。
「大群が!」
 本田がきよさんをおぶり、俺たちは外に出た。風に乗って腐った臭いが鼻をつく。柵が見える場所まで行くと灰色の死者が海をつくっていた。
「どうして……」
「町長です」
 村長が話しはじめた。
「まだ隣町が湖に沈んでなかった頃、町長は「楽しいことがあったら教えてくれよ」と亡くなるまで言っていました。こんな場所だから、町おこしは死活問題だったのです」
「じゃあ、死者は町長が?」
 JJが言った。
「この3日間、村は過去になく盛況です。見逃すはずがありません」
 村長はブガルーゼムを見た。
「Soulectricsの皆さん、きよさん。お願いします。これは隣町の最後の死者の列です。町長たちを鎮めてはもらえませんか」
 ブガルーゼムが頷いた。やらない理由はなかった。きよさんがバズの背中で笑った。
「学校に行くよ!」
「村長は任せて。あとで会いましょう!」
 本田が村長の手当てに入った。
 きよさんは本田から素早く降り、ポッピン・バズの背中に乗った。

 校庭には一段高くしたステージが出来ていた。それを囲むようにスピーカーが並ぶ。形は様々で各家からかき集めてきたようだ。
「要塞って感じだ」
 ステージの向く正面には一本道が続いている。給水塔の向こう側、突き当たりには、死者を隔てる門がある。文治さん曰く、住民が村を改造し、死者たちが迷わず学校に来れるようにしたようだ。
「あれは?」
 JJが指さす。住民がステージの四隅に柱を立てている。
「松の木さ。囲んで結界を作るんだよ」
「きよさん! もうOKよ!」
 ステージ上で老婆がスピーカーをたたく。
「やるよあんた達!」
「足はいいのか」
「フランクや。心配してくれるのかい? アタシはバズの上で指揮取りさ! さぁさ上がった上がった!」
 きよさんはバズの筋肉で盛り上がった肩をバシバシ叩く。
「いいのか、バズ?」
「年寄りは労わらないと」
 いくつもの死線を越えた元ギャングスタは、そう言ってステージに上がった。
「俺は含まれないのか」
 ブガルーゼムが上がり、JJと俺もステージについた。
 門の周りが騒がしくなる。死者の唸り声が耳を聾する。
「スピーカーはBluetoothだからね! 頑張りなさいよ!」
 老婆が合図を送ると門が開きはじめた。死者が雪崩れ込む。
 きよさんが大きく息を吸う。神楽の祭文を詠んだ。澱んだ空気が洗われる。
「やるぞ」
 ブガルーゼムの言葉とともに、爆音のファンクが鼓膜を打つ。ザップ&ロジャーの「In the Mix」だ。
 野外の爆音で踊るのはいつだって気持ちいい。
 ステージに死者が接近する。白い眼で、乱杭歯を見せつけてきた。映画で慣れっこだと思ったら大間違いだった。
 ボーカルのロジャー・トラウトマンが高らかに歌い上げる中、16ビートで神楽のステップを刻んだ。5人で考えた振り付けだ。小刻みに両足を踏み出す。
 噛みつかれる瞬間、花火を水につけたみたいな音がした。死者は青い炎に変わっていた。
 またきよさんがバズの肩を叩く。「どんどんやれ」の合図だ。
 横一列に並んだまま、右に腰のロール。遠心力で音楽を振りまく。死者たちが来るたび炎をあげる。歓声と讃嘆の代わりに死者の灰が風に渦巻いた。
 ダンスに生き死には関係ない。山のような死者は、今ではライブハウスで見る観客と大差なかった。客が沸けば、俺たちもそれに応える。夜になっても、身体に力が漲っていた。
 死者はまだまだ詰めかけてきていた。
 突然、音楽が途切れた。振り返ると、スピーカーが煙をあげていた。音楽の陶酔が消え、身体が急に重たくなる。合間に老婆が差し入れてくれた麦茶を飲んでも変わらない。
 校庭の水銀灯に灰色の大群が照らされる。
 ステージの脇で発砲音がした。ライフルを文治が構えていた。一本道に聳える給水塔が軋む。轟音とともに傾き、水がぶちまけられた。死者たちが一斉に押し流された。
「時間は稼いだぞ!」
 文治が叫ぶ。今度はマイクにスイッチが入る音がした。音響が村を包んでいる。
「防災無線か!」
 きよさんが声を上げる。
「聞こえますか! スピーカーの代わりに使ってください! 選曲は私が務めます!」
 本田の代わりにダフト・パンクの「Harder Better Faster Stronger」が流れ始めた。
「悪くない選曲だ」
「ありだ。最高にありだ」
「前夜祭といくよ!」
 結局、俺たちは次の朝まで踊り続けた。防災無線の割れた音で筋肉が痺れるくらいに踊った。
 太陽が上りきった時、向こうが見えないほどいた死者たちは消え去っていた。うめき声はいつしか、風でざわめく木々の音に変わっていた。
 ブガルーゼムのスマホが鳴る。主催者は狙い澄ましたようなタイミングで電話をかけてきた。
「10時に間に合わなければ日本では踊らせないらしい」
 俺たちは笑った。今日だけで一年分踊ったのだから尚更おかしかった。
「何時だ?」
 JJが尋ねる。
「8時です」
 駆けつけた本田が答えた。
 ブガルーゼムが懐から200万円を出す。俺たちもそれに倣って本田に渡した。
「頼みがある」

……………………

 俺は鏡を見る。顔に汗は浮いていない。衣装のズートスーツも完璧だ。俺たちは互いを見て頷く。
 楽屋を出て、舞台袖に近づく。MCの声がはっきり聞こえた。オープニングの「In the Mix」がかかると、歓声が轟く。興奮と熱狂が粒になって肌にぶつかる。
 袖から出ると、さらに歓声は大きくなる。今日の俺たちは違う。それを客が感じ取ったのだろう。
「Soulectrics!Soulectrics!Soulectrics!」
 そう。俺たちはSoulectrics。これから歴史に名を刻むダンスチームだ。
 ステージに立つ。俺たちは身体を弾いた。
【了】


以前こちらに出したお話をnoteにも置きました🎍

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