見出し画像

相留戸村の伝承「某ヶ龍」の謎

ブガルーとは、一般的に1970年代にカリフォルニアで確立されたダンススタイルを指す。しかし、ここ相留戸村〈そうるとむら〉でブガルーと言えば守護者を指す言葉に他ならない。

村のはずれに小さな墓石がある。玄武岩が長年の歳月により風化が進んでいるが、目を凝らせば文字が刻まれているのが分かる。

「某ヶ龍ネムル 建暦元年」

あなたは見間違いと思うかもしれない。墓ヶ龍、人の名前と認識するには些か難がある。しかし、最新の研究では鎌倉時代のある期間、相留戸村に、某ヶ龍が実在していたことが証明されつつあるのだ。

相留戸村の郷土資料館の学芸員、嶋田さんは墓ヶ龍についてこう語る。

「某ヶ龍は生前名前では呼ばれていませんでした。これは文献で「某」とだけ書かれていることからも読み取れます。某ヶ龍は死後、村人たちが刻銘したのが始まりとされています。
また、彼は残存する衣服片のDNAからアフリカ系男性だったと推測されています。当時は強訴や、悪党の襲撃など争いの絶えない時代でした。勿論、村にも火種は舞い込んできたのですが、争いと見るや否や墓ヶ龍が成敗しており無事だったようです。この龍のような強さが名前の由来かもしれませんね。」

鎌倉時代の黒人男性、ブガルースタイルもまた黒人発祥だ。この奇妙な符合は何だろうか。
荒唐無稽な話に聞こえるが、村唯一の寺「座府寺」の住職は独自の見解を述べる。

「私が思うにね、某ヶ龍はね、タイムトラベラーなのよ。ダンサーが鎌倉時代にビャッと渡っちゃったの。ブガルーと音似てるでしょ、あと剣の強さ、あれは重心移動や関節の柔軟な動きがあったから。他にもあるけど動かぬ証拠はうちの踊念仏よ。」

住職に踊念仏を見せてもらうと、すぐに疑問は確信に変わった。鉦のリズム、太鼓の拍の強調、どれをとってもファンクの血が流れており、誤解を恐れず言えば完全にキャメオの『I Just Want To Be』なのだ。

歌詞も時たま被っているが、経をあげる住職の顔に謀っている様子はない。今絶対アイジャストって言った。

念仏が終わると、汗まみれの住職は言葉を続けた。

水飲んでいい?
他にもね、某ヶ龍が消える前後に井戸が光ったって記述、空を村の端まである鳥が横切ったなんてのがあってね。あながち嘘じゃないと思うのよ。

某ヶ龍黒人説には議論の余地があるとしても、我々は浪漫を追わずにはいられない。いずれ真実は時代が明らかにする時が来るだろう。

ここに送られたお金は全て電楽のビスコ代として利用させていただきます。