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鉄仮面探偵とドラ焼き屋敷

 帰りの総武線の席に座ると、しばらくして杏子先輩は魅々子の鉄仮面をこんこん、と叩いた。
「なんかさ、最近流行ってるんだって。」
 先輩がスマホを魅々子に傾けると、小さなピラミッドと大学生が映し出された。
「ピラミッどらって言ってさ、今人気なの。」
「どら……。コレどら焼きなんですか。」
 魅々子は鉄仮面がぶつかりそうなほど画面に顔を寄せる。
「なんでも、店主がエジプト帰りのトレジャーハンターらしいの。異色だよね。しかも形がかなり映えるから、サークルの子もみんな行ってるんだって。」
「なるほど。これをご所望なんですね。」
「まあ、そうなんだけど今度一緒にどうかなって……。」
「分かりました、作りましょう。」
「そうはならんでしょ」
 杏子先輩からの申し出。魅々子に断る理由はなかった。杏仁豆腐……焼きマシュマロ……、これまで数多の菓子を彼女へ作り続けてきた。彼女にとってお菓子作りが先輩への最大の愛情表現なのだ。
「出来ます。3日後の午後を空けておいて下さい。ギザのやばいやつをお目にかけます。」
 そう言い残すと魅々子は、夕陽まどろむ荻窪駅に消えていった……。

 冬の日の出は遅い。濃紺に指先ほどの紫を混ぜたような空。武家屋敷のような佇まいの和菓子屋〈井四井屋〉の一日は早朝から始まる。
 生菓子と並行して、ピラミッどらの仕込みのため、主人がボイラーに火をつけるはずが、姿を現さない。
「アァーーッ!!!」
 突然、エミ子の絶叫が未明の空を引き裂いた!
「奥さま!しっかりッ!」「お袋ッ!」仕込み途中のタカシと弟子のオーイケが駆けつける。彼らをみとめるとエミ子は廊下にへたり込んでしまった。
「ジャファル……ジャファルが……。」
 エミ子が指差す書斎の扉は半開きになっている。タカシがおそるおそる開くと、床にはトルソーが倒れていた。
「親父……アッ!!」
 タカシは思わずあとずさった。トルソーに脚が生えているはずがなかった。ジャファル氏の頭が切り取られている。そして頭を庇おうとした腕も袖から先が取り去られ、黒々としたシミがカーペットに残っているだけだった。
 首なしの和菓子屋主人の死骸にオーイケも言葉を失った。
「け、警察!!」エミ子は裏返った声で叫ぶと、オーイケは汗で滑らせながら携帯を取り出した。
 こうして老舗和菓子屋〈井四井屋〉の1日は、15代目社長──井四井ジャファルの死をもって幕を開けた。

 ほどなくしてスーツ姿の男が井四井屋を訪ねた。
「警視庁のクロキです。」
「お待ちしておりました。既に集まっております。」
 オーイケは汗を拭いつつ、クロキ警部を先導した。拭うたびに腹肉が揺れている。今にも作務衣を破りそうな横腹から目を逸らしつつ、クロキは庭園に目を移した。庭は外廊下に囲まれており、縁側から一陣の風が吹き付けた。池の周りには雀が飛び跳ね、白砂がその度しゃりしゃり合いの手を返す。松の木は黒々と葉を伸ばし、青紫の空にアクセントをつけていた。見事な庭園だ。
「これは素晴らしい。」
「はは……。井四井屋の創業時からあるんです。」
「ほお。オーイケさんはもう長いんですか。」
「私は先代が亡くなるまで井四井屋に師事していました。だからもう20年くらいになりますね。」オーイケが一呼吸置いて、大きく白い息を吐いた。
「シマキさんが手入れしてくださってるおかげなんですよ。」
「シマキさん?」
「うちに最近きた庭師ですよ。寡黙な人で腕はいいんですがね。」
 オーイケの目線を追うと、書斎に面した庭に作業着姿の男が佇んでいる。ワークキャップを深く被り、表情は窺えない。クロキに気づくと、男は軽く会釈した。
「シマキさんは絶対屋敷に入らないんです。今も書斎に集まれと言ったんですが。」
「私はただの庭師ですんで……。」
 低い声で呟き、シマキはまた軽く頭を下げた。
「捜査に協力して頂けるなら結構です。早速始めましょう。」
 そう言うと、クロキ警部は書斎のドアに手をかけた。

 ジャファル氏の書斎はガラスケースで囲まれている。中には石板や仮面などが収められており、博物館の様相を呈していた。
 集まったのはジャファルの妻エミ子と息子のタカシ、そして弟子のオーイケ、庭師のシマキの四人だった。
「では最初に見つけたのは奥さんですな?」
 クロキ警部の問いかけに、エミ子は力なく頷いた。
「ええ、『和菓子の仕込みは火が命』というのはジャファルの口癖でした。ですので、日課のボイラーの火入れに起きてこないのを不思議に思い、書斎に入ったら……。」
 彼女の言葉が嗚咽で詰まった。
「すみません……。」
「無理もありません。少しお休みになってください。」
「そうですそうです。健康第一」
 クロキの横にはいつの間にか鉄仮面の人物が立っていた。さも当然にクロキの言葉に頷いている。黒ライダーススーツ、ハイヒール、おまけに頭は鉄仮面。
「誰だッ」
「魅々子です。お菓子を作りに来ました。」
「お菓子?君も井四井屋の人か。」
 すかさずオーイケが首を振る。
「そんなわけないじゃないですか!警察の方では。」
「違う!ライダースーツの鉄仮面警官がうろつく日本は終わりだ!出て行きたまえ!」
「そうはいきません。ピラミッどらを作らないと。」
「君ね、状況をだいたいわかってるのか!」
「クロキさんの言うとおりだ!」
「黙りなさい」エミ子はクロキ達の言葉を遮った。先程まで薄弱だったエミ子の姿はなく、彼女の目には強い光が宿っていた。「大の男がガタガタ言う時間はとっくに過ぎてます。私は……、覚悟を決めました。使える牌は全て使わなければ勝てません。夫を殺した犯人を見つけて頂ければ、ピラミッどらの製法をお伝えしましょう。鉄仮面のお嬢さん。」
「オッケーです。和菓子屋の奥さん。」
 2人は硬い握手を交わした。ここにジャファル氏の死が紡いだ奇妙な捜査網が完成した。

 仕切り直すように咳払いをすると、クロキ警部は質問を続ける。
「遺体を発見される前は何を?」
「俺はオーイケさんと仕込みに使う道具の用意をしてました。15分後くらいでしょうか。親父がそろそろ来そうな時分になっても姿を現さないので、気にしてるとお袋の叫び声が聞こえたんです。」
「タカシくんと私にはアリバイがあるんです。ここで一番怪しいと言えば、シマキさんだ。駆けつけた時も、あなたを庭で見かけなかった。奥さまの声は聞こえたはずなのに!」
「私はその時、剪定に使うハシゴを裏の倉庫から出していました。それを証明する人間はいませんが……。」
「ほら!やっぱり」
「ですが」シマキは続ける。「私はオーイケさんほどジャファルさんとは仲が悪くなかったので……。」
「何を言うんだ!」
オーイケは掴みかかろうと床を蹴るが、体は動かない。魅々子が右手でオーイケの肩を掴んでいる。
「まあまあ落ち着いて。少し座りましょう。」
 魅々子の体重の2倍はあろうオーイケは、油粘土が潰れるように座らされた。魅々子はエミ子を促すように頷く。
「私は朝餉の準備をしていました。仕込みが一通り終われば、一度皆で食卓を囲むのが井四井家の習わしでしたから。」
「それを証明する人は?」
「いいえ、おりません。」
 クロキ警部が腕を組んだ。一通り聞いた限りでは、シマキが一番怪しい。凶器を揃え、死体の隠蔽の時間を稼ぐのも普段庭の手入れを一人で行っていれば容易なはずだ。しかし、動機が見当たらない。その点、オーイケはジャファル氏との不和がある。オーイケの伝統を重んじる考えからも、おそらくジャファル氏が井四井屋の跡取に決まったことにかなり反発したに違いない。しかし、オーイケのアリバイはタカシが証明している。そして、第一発見者のエミ子のアリバイも証明されていない。あまりに疑う要素が多すぎる。
──この事件は一筋縄でいかない。クロキが考えあぐねている時だった。
「犯人、分かりました。」
 魅々子がぽつりと呟いた。

「そもそも何故犯人は手と首を切り落とすなんてマネをしたのでしょうか。」
「そりゃあ……、腹いせだろう。憎くて残酷な目に合わせたかったんだ。」クロキ警部が答えた。
「そうかもしれません。でも、それならもっと滅多刺しするとか楽な方法があると思うんですよね。」
「何が言いたいのだね。」
「首や手を切断するには手間と時間がかかります。現場に留まれば見つかるリスクも高くなる。そんな危険を冒すには相当な見返りがないとできません。そう、例えば"死んだように見せかける"とか。」
 時間が凍った。
 庭に吹く風の音と家鳴りが大きく感じる。ピンと張り詰めた空気の中、全員の視線が一斉に魅々子へ注がれた。エミ子の目がギュッと細くなる。
「つまり……、この死体が夫ではないと?」
「ええ」魅々子は頷いた。「彼の以前の経歴がトレジャーハンターだったのはご存知でしょう。見てください。」
 そう言って魅々子は、死体のふくらはぎを見せた。
「日焼けをしています。エジプトの炎天下の日差しにさらされ危険な生物もいる中、ジャファル氏が、ふくらはぎを露わにするとは考えにくい。日焼けはあり得ません。」
「この死体はじゃあ一体誰なんです……?」
 呻くようにエミ子は声を絞った。
「その答えを握っているのは一人しかいません。そうでしょう?」
 魅々子が縁側を振り向くと、シマキへ視線は集中した。一瞬の間をおいて、激しい隙間風のような音がすると、それはシマキの笑い声だった。
「ひゅーっひゅーっ!おれ、おれがジャファルさんだとでも?ひゅー!違うよ違う、全然違うよ魅々子チャン。アンタはこの屋敷の"魔"に気がついてないのさ!ほらほら!逃げないと首と体がバイバイだ!」
 そう言い残すと、シマキは庭を一目散に走り出した。
 びゅん、びゅん。天井から突風が吹く。
 シマキの上半身が無くなった。
 オーイケの首が宙を舞った。

 ワンバウンドして首がクロキの足元に転がった。
 魅々子たちはゆっくりと見上げた。
 天井には日本家屋特有の大きな梁が渡されている。そして、薄暗い吹き抜けには不自然な光が二つぼんやりと浮かんでいた。
 照明ではない。
 複眼だ。
 巨大な、カマキリがいた。
 梁だと思っていたのは腹で、木目は翅の紋様だった。胴から上をぐるっとこちらに向け、頭をカキコキと動かしている。赤黒い前脚が妖しく光った。

「屋敷の"魔"」

 びゅんっ、突風が吹いた。ガラスケースが爆ぜた後に、泥を落としたような音がした。右を向くと壁にクロキがもたれかかっている。しかし、その体に下半身はない。クロキの下半分は変わらず魅々子の横に立っていた。巨大カマキリが鎌を舐める。
 前脚による斬撃。魅々子は始めて自分の呼吸が浅くなるのを感じた。カマキリから一秒も目を離していないのに、まるで見えないのだ。

 再び突風。窓際に立つタカシの左半身が切り飛ばされ、噴き出す血がエミ子の着物を朱に染めた。エミ子に逃げる気力など、とうに消えていた。勝てない。息子を殺された怒りよりも、無力感が心を支配してていくのを感じる。その間に屋根裏の殺戮者はエミ子の胸を貫いていた。

 それからは一瞬だった。
 魅々子と、カマキリ。剣闘士が獰猛な虎と相対するような絶望的な状況。魅々子はカマキリがエミ子に興味が向いている隙に腹にロケット頭突きをかました。急所に受ける渾身の一撃。カマキリは天井から剥がれ落ちる。続いて翅を掴むと、魅々子は一本背負いをした。音速の鎌も間断なき暴力の前では無力だった。
 ぶちぶちと繊維がちぎれるような音を立てて、瞬く間にカマキリは無様に腹を晒す羽目になった。魅々子は抜け落ちた翅を捨てると、腹に跨り背中を逸らした。限界まで縮められた背筋が縄のように盛り上がる。
「エミ子さんが、死んだら、お菓子、作れ、ないでしょ」
 食いしばった歯の隙間から言葉が漏れ出した時だった。鉄仮面は腹に食い込み、カマキリの青い体液が部屋じゅうに飛び散った。

 放心したように魅々子はカマキリの死骸にもたれかかっていると、呻き声に気づいた。
 声の主は、エミ子だった。赤い円はじわじわと大きくなり、終わりの近さが見てとれた。彼女の焦点は定まらず、譫言のようにぶつぶつと言葉を吐いていた。魅々子の足音が近づくと、首を傾けた。
「だぁれ」
「魅々子です。犯人、間違えちゃいました。」
「はは……落ち込むコトないわ。些細な考えの違い……ただそれだけ。悪いのは菓子作りをやめてもう一度浪漫を追いたいなんて言うあの人よ……。世間ではトレジャーハンターなんてもてはやされているけれど、蓋を開ければ借金塗れのただの男。私がせっかく第二の人生をあげてやったのに、あの男は自分がとっくに落ち目になってるのも知らずまだ飛べると信じてた愚にもつかない生き物よ。
 だから私ハッピーなの。あの人が殺せてせいせいしてるの。ちょっと深酒をさせたらイビキなんてかいちゃって。かわいかったわ。つい寝顔が紫になるまで絞めちゃった。あの人がお気に入りで首にかけてたスカラベもグシャグシャに壊してやったの。そしたら急にあいつの首と手が吹き飛んで……。
 あっ。どら焼きの作り方よね。うっかりしてたわ。あれはね……。」
 その時になるとほとんど囁き声で、魅々子は頭を貼り付けるようにしてレシピを聞き取っていた。
「私ったら話しすぎて疲れちゃった。少し休ませてね」
 それっきりエミ子は動かなくなった。
 いつのまにか風は止んでいた。
 日は上り、暖かな日差しがガラス片に反射しきらきら輝いている。雀は雲雀と戯れるように飛びまわり、澄み切った青空が広がる。
 新しい朝がはじまっていた。
(おわり)




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