平成八年生肉之年--06
承前
神立悟
峠を上る轟音が夕闇を切り裂く。坂道をヘッドライトがぎらぎらと照らした。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ……10台近くのバイクのヘッドライトが一つの光の塊となって廃リゾートを目指す。
先頭のバイクがエンジンを唸らせる。悟のゼファーだ。吹き付ける突風で白い特攻服がはためいた。峠を登り切るにはあまりにも速すぎる。自殺に似た走行の中、悟はやり場のない怒りをスピードに変換していた。
ひとつだけ考えられることがあった。
羅刹は陽を連れ去った。阿島の一件で俺たちに報復しようとしている。煙のように人を消すなど、羅刹のネットワークがあれば可能なはずだ。
連れて帰ったらぶん殴ってやるよ。
悟は一縷の望みをかけて加速させる。
赤紫の夕空を黒い塊が飛んでいた。烏の大群だ。形を変えながら騒がしく西へ向かう。
蹴散らしてやる。
悟はエンジンをさらに吹かせる。羽ばたく音は750ccの爆音にかき消された。
わざわざこの時間に羅刹の根城を訪ねる物好きはいない。木々の影を縫うように走り、急カーブを曲がる。黒い林の塊に飲み込まれる。アクセルを緩ませる腰抜けは三雷頭にはいない。
目的地にたどり着く。城を思わせる外観の建物が見えた。
以前は車止めだった場所には、羅刹のバイクがひしめいている。
悟がブレーキをかける。仲間たちも止まった。ヘッドライトに照らされ、羅刹たちは目を細める。
「なんだテメェら……」
ぞろぞろと羅刹の男たちが現れた。数は40は下らない。エンジンの音を聞きつけやってきたのだ。
「三雷頭だ。羅刹のカシラに会わせろ」
悟の言葉に男たちは殺気立つ。
「アギトさんが雑魚に会うわけねぇだろ」
そう言った男を悟は睨みつけた。窒息させるような威圧感に男がたじろぐ。
「有象無象に用はない」
悟の言葉が合図となった。
ゼファーのエンジンを起動する。仲間たちもエンジンを吹かせた。ばりばりと雷が落ちたような爆音があがる。光の束が急発進する。
羅刹は恐れずに突進する。男の一人が、悟の突進に合わせて鉄パイプを振り抜く。鈍い音がした。悟の額から血が流れる。鉄パイプを受け止めたままバイクで男をはね飛ばす。
「どきなどきなァ!」
悟たちは加速を止めない。羅刹の攻撃をものともせずに突っ込んでいく。
気が狂ったようなエンジン音とクラクションが廃リゾートを震わせた。
果敢に立ち向かう羅刹は例外なくタイヤを磨く雑巾になった。躊躇いのない三雷頭の戦は、多勢の余裕を打ち砕いた。
不意に陽の後ろ姿がちらついていた。先頭でぶちかましているのは悟自身のはずだ。
奴の何でも知ったような態度、天衣無縫な性格が幻覚を見せた。記憶に刻ませるだけ刻ませて消えていく陽に、悟の心は怒りと悲しみがないまぜになる。
「ふざけるんじゃねえ!」
悟の勢いに蜘蛛の子を散らすように羅刹が散り散りになる。悟はバイクに乗ったまま羅刹のひとりを掴む。靴が地面に擦れてじゃりじゃりと音を立てる。ブレーキとともに羅刹を地面に押しつけた。
「アギトはどこだ」
「アギトさんは前線には出ない……お前は会えないぜ……」
悟は男に体重をかけて締め上げる。万力のような腕が頚骨を折る寸前、男が音を上げた。
「5階の松の間だ……」
悟が頭突きを食らわせると、男は動かなくなった。
建物の奥からさらに足音が聞こえてくる。
騒ぎを聞きつけた羅刹の男たちがやってくる。入り口から飛び出した男に悟は前蹴りを食らわせる。
「羅刹舐めんなよ!」
「潰せ!」
いつの間にか羅刹は車止めを取り囲むようにして人数を増やしていた。悟がこれまで相手にしたことのない数だった。
「悟さん! 行ってくださいよ!」
三雷頭の一人、相澤が言った。陽を慕って入ってきた気骨のある男だった。
羅刹の群れに飛び込み、相澤は角刈りの頭で相手の鼻柱を折った。
三雷頭は逃げない。誰が決めたわけではない。三雷頭は陽の熱に当てられたのか、覚悟の決まった奴らばかり集まった。陽に憧れて多人数と殴り合うことを恐れなかった。
悟は建物に進む。背中に角材が叩きつけられた。悟は振り向き、角材を奪いとった。ふたつに叩き折ると、羅刹の男はたじろいだ。構わず顔面に拳を打ち込む。鼻の軟骨が潰れる音を叫び声が塗りつぶす。
玄関を抜けた。ガラスのひび割れた額縁が飾られた廊下を抜ける。階段にたどり着いても、羅刹は追いかけてくる。彼らの勢いは止まらない。何か異様な切迫感を羅刹たちから感じた。
ビビっていやがる。
悟は襲いかかる男たちに恐怖の色を見る。他でもない羅刹の頭領、アギトに恐怖を抱いているのだ。
悟には関係のない話だ。蹴散らしながら、3階にたどり着く。廊下の奥から男が現れた。バンダナで口元を隠している。手にはヌンチャクが握られていた。
「阿島が世話になったな」
「ああ……?」
「俺は丑凪ってんだ」
「……神立悟だ」
「カシラからお前は通すなって言われてんだ。じゃあな」
「あ──」
悟が言い終わらないうちに、丑凪の姿が消えた。次の瞬間、脇腹が撃ち抜かれた。ヌンチャクの持ち手が脇腹にめり込んでいる。打撃の予備動作すら見えない。金属製のヌンチャクとは思えない速度だった。刺された傷が開いたのか
、包帯にぬるい液体が滲む。息が出来なくなった。
「痛いだろ。座れよ」
「てめ……」
内臓に沈むような痛みが広がる。悟は丹田に力を込めて散らす。
「まだまだ……」
「足りないか」
ヌンチャクの鎖が二度鳴る。見えない打撃が襲う。悟の両膝が捻れた。想像を超える痛みだった。食いしばる歯の隙間から息が漏れる。崩れ落ちそうになるのを堪えた。丑凪の片眉が上がる。
「阿島をやっただけあるが……」
上の階が騒がしくなった。羅刹が列をなして迫ってくる。悟の背後に影が伸びた。羅刹は弱った相手を見逃さない。ひとりの男が木刀を振りおろす。もうひとりが横なぎにバットで頭をフルスイングする。頭が爆発した。赤や青色の星が視界に散った。
「本物の三雷頭のカシラじゃねえな」
丑凪は嘲った。
その通りだ、と悟は思う。自分に陽のカリスマはない。陽ほどうまく戦えない。なのに丑凪の言葉が、悟のガソリンに火をつける。
「あああああっ!」
悟は獣じみた叫び声をあげる。
耐えた。耐えられなくても耐えた。痛みを切り離して腕を振る。殴りとも言えない型で乱雑に相手をまとめて薙ぎ倒す。
「俺はカシラじゃねぇ……早く陽を返せ」
再び丑凪と対峙した。満身創痍の悟に丑凪は冷酷な眼差しを向ける。
「陽のいないところで三雷頭が負けるわけにはいかねぇ」
「その身体で、俺を本当に止められると」
「やってみなきゃワカンねぇ」
悟が踏み込んだ。壊れかけの膝が痛みで限界を迎えている。体重が乗ると、脚から血が滴った。
ヌンチャクの鎖が三度鳴った。悟はガードを上げ、頭を守った。
左腕、ふくらはぎ、脛に衝撃が走る。ヌンチャクが骨に当たり、反響で痺れる。ガードをさらに固める。退かずに悟はにじり寄る。
再びヌンチャクが鳴る。悟の身体を打擲した。さらにヌンチャクが鳴る。一度、二度、三度……悟のガードが下がった。その瞬間を丑凪は見逃さない。
「ここで終わりだ」
四度目が鳴った。丑凪の攻撃が顔面を撃ち抜いた。
丑凪の動きが止まった。バンダナに隠れていた双眸が驚きに見開かれる。
ヌンチャクは正確に悟の顔を打った。計算外なのは悟がヌンチャクを噛んで受け止めたことだ。
「ガードを上げていたのはフェイントだったか……!」
悟はヌンチャクを噛んだまま、口角を上げた。上半身を後ろに傾ける。
重機のような緩慢な動きから、頭突きをぶちかます。悟の頭が丑凪の顔面を捉えた。
白眼を剥いて丑凪が膝をつき、崩れ落ちた。悟がヌンチャクを吐き出す。冷たい金属音がコンクリートの壁に反響した。
「借りは返すぜ……」
羅刹の実力者である丑凪を倒した今、廃墟は水を打ったように静まっていた。
身動きの取れない羅刹たちをよそに、悟は階段を上がる。
5階の一番奥。扉が外された大部屋に、男たちが整列していた。軍隊めいた縦列で膝をつき、奥で座る人影に忠義を示している。
「入りな」
奥の人影が声を発した。低音の甘い響き。女の声だった。
悟は大部屋に足を踏み入れる。男たちの作った人間廊下を進み、女の前で止まった。
女は椅子に座っている。歳はさほど変わらない。小柄で華奢な身体を詰襟の制服が包んでいる。海外の俳優を思わせる顔立ちをしていた。眉上で切りそろえたボブカットから覗く眼に息を呑む。羅刹どもを相手にしていた時とは違う。肋をかち割って心臓を見られてるような底知れぬ気持ち悪さがあった。
「あんたがアギトだな」
「三雷頭の、二番目だね」
二番目、悟は無意識に頭の中で繰り返す。
「陽をどこにやった」
「三雷頭のカシラを攫ったのはうちじゃない。そうだよね?」
「ええ……」
アギトが椅子に拳骨した。椅子だと思っていたのは四つん這いになった阿島だった。
「これはアンタに負けたからね。刑期満了まで椅子になってもらってるんだ、ねぇ?」
「へへ……」
アギトはまた拳骨をした。
「椅子が喋るんじゃないよ」
阿島は包帯でぐるぐる巻きになった頭を垂れた。
「……あんたたちの仕業じゃないのか」
「違うね。うちにも行方知れずの奴が出ている。本当ならこうして殴り合わせる暇もないくらいだ」
「羅刹も人が?」
「身寄りのない奴らばっかりだからね。警察は相手にしてくれないから、あちこち探してんだ。だから、あんまし時間を取られちゃ困るね」
「探す目星はついてるのか」
「ああ」アギトは阿島の懐からタバコを取り出す。
「肉仮面だ」
「なんだそりゃ」
「ニュースは見たほうがいい」
アギトは屋上遊園地に現れた怪人の話をした。
「あんた、本当に信じてるのか?」
「そうとも。探してる感じだと、子どもを攫って殺すサイコ野郎らしい。実際に顔面を剥がされて死んだ人間はこの街にあふれている」
悟は自分の顔が強張るのを感じた。陽に限って殺されることはあり得ない。それでも最悪の想像がつきまとった。
「余裕がなさそうじゃないか」
「あんたは仲間がやられてるのに余裕そうだな……」
「羅刹は私の命令が全てだ。もちろん死ぬことも。だから、問題ない」
「そうかい」
羅刹は妙な信頼関係を構築しているようだ。コマを回せば回るのと同じくらいに、アギトは羅刹の男たちが従うことを信じていた。
「探し出せるのか」
「人手が多いのがうちの長所だからね……。あんたも仲間に頼むといい。それとも二番目だから気が引けるかい?」
「走り回るのは俺だけでいい。もう行くぞ」
「見上げた根性だね。あてはあるのかい?」
立ち去ろうとする悟の背中に、アギトは言った。
「松本図書館のすぐ近く。開智公園へ夜行ってみるといい。運が良ければスフィンクスがいる」
「ああ……?」
スフィンクスは市内にいる人間なら一度は聞いたことのある御伽噺だった。公園に現れるそれはみすぼらしい男の姿を模している。スフィンクスは謎解きをすれば、どんな質問でも答えるという。
「あの男から聞き出そうとしたら、みんなぶちのめされて帰ってきた。向こう見ずなアンタならできるかもしれないね」
「なぜ俺にその情報を?」
「丑凪と阿島の相手になってくれた礼だよ。スフィンクスはいつまでいるか分からない。急ぎな」
悟は部屋を後にした。世間を騒がせている怪人が陽を攫ったなんて信じられる話じゃない。それでも、当たってみるしかなかった。
夜の風に乗って呻き声が聞こえる。
外では男たちが倒れていた。三雷頭も羅刹も見分けがつかないほどボロボロだった。
「悟さん! お疲れさまです!」
相澤も顔を腫らしている。右目はほとんど見えないようだ。
悟は直視できなかった。自分の感情に付き合わせた申し訳なさがあった。
アギトほど冷徹になれればいい。陽ほど笑い飛ばせればいい。悟にはどちらもできなかった。
「悟さん……?」
「……あとは頼む」
悟のゼファーは一人峠を降りていく。バイクの風を切る音だけが聞こえた。陽。陽。会ったら思いっきりぶん殴ってやる。俺ひとりじゃどうしようもない。迷う気持ちとともに、バイクはさらに加速する。
すっかり夜が更けていた。夜風は山道を上って来た時以上に冷たくなっていた。
家の近くまで着いた時、悟は異変を感じていた。普段よりも車通りが多かった。家の近くの空が明るい。サイレンを鳴らしながら消防車が悟を追い越す。焦げ臭さが悟に不安を募らせた。
黒い車が猛スピードで悟とすれ違う。
風が熱気を含んでおり、口が乾いた。悟はバイクを降りて走る。悟の顔が火で照らされる。パキパキと木がはじける音がする。
悟の家が燃えていた。赤い炎が屋根を包んで激しく燃えさかる。この時間は工房で父親が制作に勤しんでいるはずだった。外に父の姿はない。
考えるより先に身体は炎に突っ込んでいった。煙が玄関に立ちこめている。蒸し焼きにされてしまいそうな熱気だ。特攻服を脱いで、口元を覆った。
父親はすぐに見つかった。
工房の扉の前で、悟の父は倒れていた。がくりと首が落ちている。
「親父!」
悟が顔を見て、目を見開いた。
顔の皮膚が剥がされていた。黒い眼が悟を捉えると、父の身体が震えた。
「さとる……」
父は握りしめていた右手を開く。
手の中には一本の鑿が握られていた。
「にげろ……だれにも……わたすな」
掠れた声でそれだけ言うと父は事切れた。
梁が落ち、火の粉が降り注いだ。消防隊のサイレンがすぐそこまできていた。
父を運び出すには時間がない。だが、関係なかった。悟はめらめらと燃え上がる廊下を引きずり、玄関まで父親を連れ出す。
銀色の防火服を着た消防士たちが悟を押さえた。
「怪我がひどい。病院に」
悟は思い切り消防士の顔面を殴った。これ以上、時間をかける訳にはいかなかった。
「遅いんだよ。馬鹿野郎」
「待て。どこに行くんだ」
「肉野郎の居場所を吐かせるんだよ」
血走った目が消防士に向いた。
悟のゼファーは真夜中を駆け抜ける。遠くで肉仮面の笑い声が聞こえるようだった。
図書館でもなんでもいい。全員ぶちのめせるならなんでもやってやる。
懐に入れた鑿が熱い。火事の激しい熱を保ったままのそれは、悟のガソリンに引火するのを今か今かと待ち侘びていた。
(続く)
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