「うわき国広」は実話だった?!
昨日私のお気に入りの日本刀短編小説を紹介させて頂いた所、フォロワーさんからどこかで見た事がある…という事で教えて頂いたのですが、なんとなんと実話でした!!
いやぁ…まさか実際にあったとは。
もしかすると「うわき国広」はこの実話をベースに書かれているのかもしれません。分かりませんが。
昨日紹介した「うわき国広」については以下をご覧ください。
①うわき国広の実話について
国広コレクターの伊勢寅彦氏と、虎徹コレクターの高橋経美氏が山姥切国広を巡って起きた騒動である。
これは「堀川國廣とその弟子」に記載されている内容からまとめたものです。
・伊勢寅彦氏について
伊勢プロダクション社長であり、相撲協会の映画部の主任でもあった伊勢氏。愛刀には錆はもちろんヒケ疵1本すらも付けないという扱いをされていたようである。
そして伊勢氏は徳川家家康以来の譜代の旗本との事でどこか「うわき国広」に通じる所がある。あの話も旗本同士の揉め事を描いていた。
そして伊勢氏は徳川家の家臣たる家柄であった為、「村正だけは買わない」と決めていたようである。
刀剣界でも非常に有名なコレクターであり、終戦後には堀川一門の作を45振集め研究書を発刊(それが「堀川國廣とその弟子」)。
他にも多くの国指定品の刀を蒐集し名を今に残している。
・高橋経美氏について
東海テレビ事業会長、高橋組会長、東通会長など10を超える企業の役員を兼ね、一時は名古屋一の高額所得者になったこともある人物で昭和前期の中部財界の大物。
伊勢氏とは古い知り合いであった様子。
・山姥切入手時の揉めごと
話は虎徹コレクターの高橋経美氏が山姥切国広を手に入れるところから始まる。
伊勢氏は大の国広好きという事で、行方不明であった山姥切国広の存在の噂を聞いてから本間薫山氏に、もしそれが出るような事があれば是非なんとか回してほしい…と話をしていたようである。
その後、昭和36年にどうやら高橋経美氏が山姥切国広の名刀を手に入れ大変自慢しているという話を伝え聞いた伊勢寅彦氏。
サッと顔色を変える。
なぜかと言えば、伊勢氏と高橋氏は昔からの知り合いで、高橋氏は虎徹一門の刀を熱心に集めており、何とか一生のうちに何十本かの虎徹を集めたいとの事で伊勢氏に虎徹を手に入れる事があれば何とか割愛してほしいと依頼していたらしいのだ。
その代わりに國廣の刀が手に入る事があれば伊勢氏に回すという条件であった。
そして実際に伊勢氏はハネ虎銘の虎徹を高橋氏に回した事もあったようだ。
そんな取り交わしがあったにも関わらず、その折に起こったので伊勢氏は顔色を変えたのだろう。
余程の見幕であったらしい。
結局、その見幕に押されたのかは分からないが、高橋氏も男の約束という事で山姥切国広を伊勢氏に進呈する事になり、その際に伊勢氏はお礼として立派な拵の付いた寛文5年の国藤虎徹と号の付いた脇差と、興正の傑作脇差、そして重要文化財の雲生の太刀を高橋氏に贈ったようである。
そのあまりの豪華さに薫山氏はじめ皆驚いたようである。
これが「堀川國廣とその弟子」に記載されている内容である。
詳細は以下を見て頂ければ。
②終わりに
「うわき国広」は小説という事もあり面白可笑しく書いてはいるが、実際に伊勢氏と高橋氏の両者に起こった事はまさに「小説よりも奇なり」だったのかもしれませんね。
とても面白い情報を下さったフォロワーさん、ありがとうございました!
今回も読んで下さりありがとうございました!
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それでは皆様良き御刀ライフを~!
↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑
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