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室町時代の腰刀拵(山銅魚子地桐目結紋腰刀)

恐らく名前が流すぎて多くの人は「山銅」あたりで読むのを辞めたと思うが、拵の名前はただ見た目を順々に単語で表しているだけなので区切って読むと意外と分かりやすい。

「山銅魚子地桐目結紋腰刀」

「山銅 魚子地 桐(紋) 目結紋 腰刀」 

さて今日仕事の一環(何かは後日書きます)で久々にトーハクへ行ってきました。

何度見てもこの階段は美しいです

その中になんと室町時代の貴重な腰刀拵が!!
桃山時代より古い拵は本当に残っていないんです。
鞘は木に漆を塗った物なので300年は持っても400-500年という歳月はなかなか持たないのでしょう。
故にこれだけの状態で残っている物は非常に希少であり、当時の拵の情報を読み取る手掛かりにもなる貴重な資料です。

山銅魚子地桐目結紋腰刀(東京国立博物館蔵)

この拵は名前にある通り、山銅の金具を使用。
室町時代など古い物は精錬された素銅などが使われているケースは聞いた事が無く、大体が不純物を多く含んだ山銅です。
そして鐔が無い合口造のものは古い形式で良く見ます。

縁頭には桐紋と目結紋が高彫。
柄には網で魚を捉えている様子を透彫と高彫で表現されている。
この網の断崖のような彫は美濃彫にも見られるような気もする。
網には破けた部分があり、これが意図した物なのか、それとも経年で摩耗してなくなったものなのか分からないが、この状態が何とも詫びていて良い。
意図的な意匠であるなら、破けた所から魚が出れるという部分に何か意味が込められているのだろう。
「自由を目指して戦う」というような意味だろうか。分からないが。

笄は逆耳ではないが、薄造りの物である。
古金工の作で厚さ2㎜という物も存在しているが、古い鐔は櫃孔が小さく作られているので、笄や小柄も薄い物が流行だったのだろう。
そしてこの拵にも顕著であったが、良く触る部分は擦れて魚子地が無くなっているのが見て取れる。
やはり時代のものは擦れていて然るべきなのだろう。
いくら山銅製で古そうに見えてもこうした擦れが見られない物は用途を考えてもかえって怪しい(近代作られた物)のではないだろうか。

鞘に目をやると、ここにも目結紋と赤い丸のような紋があしらわれている。
造り込みからして高貴な武将が所持していた物なのだろう。

鞘部を拡大してみるとなんと鞘に魚子地が見られる。
紋を目立たせる為の工夫だろうか。
手の込み具合が常軌を逸している。

鐺(こじり)にも同様に山銅の金具に桐紋と目結紋が高彫されている。

この腰刀拵、造り込みや健全度からいって重文などに指定されているのかと思いきや…何もなく。
いずれにしてもこうした室町期の拵はどこか実戦味を感じられる渋い風貌が良いですね。

そういえばこの拵の隣にあった蛭巻太刀拵がそれはもう見事で。
国宝だったでしょうか。ちょっと記憶が曖昧です。(写真不可でした)
こういう物が重文や国宝にしていされているのを見ると、確かに上には上の拵があると感じてしまいますが、今回のこの腰刀拵もとても見事な逸品でした。
興味ある方はトーハクへ行かれてみてはいかがでしょうか!

安親や金家の有名な鐔も展示されていました。

文字図大小鐔(安親)
野晒図鐔(金家)


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↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑

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