名工達の大成期
刀工達には人生の中でこれは素晴らしい一振が出来た!という傑作を生み出すタイミングがあります。
今回は名工達4人(虎徹、国広、助広、井上真改)が傑作を生みだした大成期について調べてみました。
名工は何歳で傑作を生み出しているのでしょうか。
(古刀は古いこともあり年代が確かでない場合が多い為、今回調べる対象は
新刀の位列で「最上位」の評価を受けている刀工、かつ初心者の方でも比較的名前を聞きやすいと思われる有名所に絞りました)
①長曽祢興里(虎徹) 66歳ごろ
大成期は寛文年間(1661~1673年)以降と言われています。
その中で「虎徹の中の虎徹」とも称される刀があります。
それが重文指定の「住東叡山忍岡辺長曽祢虎入道 寛文拾一年二月吉祥日」でこれは1671年に虎徹が不忍池のあたりに住んでいた時代の刀。
乕徹の大成期に用いられた「虎入道」銘の作品。
虎徹の誕生年は色々説があります(1596年、1599年、1600年、1605年)が
1605年生まれとして計算すると、この刀を打ったのは66歳になります。
(ただ虎徹はもとは甲冑師であり刀工に転換したのは51歳ごろ。そう考えると刀工歴15年で傑作が生まれた事になります)
(画像転載元:https://kougetsudo.info/nagasoneokimasa-kotetsu/)
②堀川国広 70~73歳
1531年誕生。1614年没。
1601~1604年(慶長6~9年)頃が国広の大成期とされています。
国広が他の刀工に比べて異色なのは、自身も武士であったということ。
そして教養もかなりあったようです。
年期のある作は「天正4年2月~慶長18年11月」の38年間に及びます。
堀川定住前(末関風)と後(相州伝風)で作風ががらりと変わるのは時流(文化的背景)に合わせての変化だとは思いますが、もしかすると武士としての考え方が影響しているのかもしれません。
代表作は重文の号:加藤国広で、こちらは年期がないものの、銘振りから慶長6~7年(1601年頃)の作と言われています。
また、重文の号:堀部国広もそのころの作と考えられています。
因みに有名な山姥切国広などは堀川移住前の作で「古屋打ち」と呼ばれますが、末関風で加藤国広や堀部国広などの作と比べると地刃ともに冴えが足らず、美術的観点で言えば実はあまり評価が高くないそうです。
(画像転載元:https://kougetsudo.info/katokunihiro/)
③井上真改 46~47歳
1630年に誕生。53歳で急死(酒に酔い井戸に落ちたとされている)。
津田助広とともに大坂新刀の双璧と称される刀工で、俗に「大坂正宗」などとも呼ばれています。
重美の作が延宝4年(1676)、重文の作が延宝4年と5年に1振りづつある事から、1676~1677(延宝4~5年)頃が大成期にあたると見る事が出来ます。
(画像転載元:https://kougetsudo.info/inoeshinkai/)
④津田助広 38~46歳
1637年誕生、1657年に越前守を受領、46歳で急死という早すぎる生涯。
ですがその短い生涯の中で、実に1670振近くを作成したと言われています。
寛文7年(1667)には大波が打ち寄せるような刃文「濤瀾刃」を完成させます。
そして濤瀾刃の中でも傑作とされているのが、重文の「津田越前守助広 延宝七年二月日」の作。
38歳~46歳にかけて丸津田銘を用いるようになってからが大成期と言われます。(丸津田というのは銘が丸みを帯びているという事です。その前は角津田と言って銘が角ばっていました)
(画像転載元:https://twitter.com/kougetsudo/status/1010798999509467136/photo/1)
⑤終わりに
実は南紀重国、野田繁慶、越前康継、肥前国忠吉、一竿子忠綱についても書こうと思ったのですが調べる時間が足らず、眠さが限界に来たので断念しました。申し訳ありません。
という事で、新刀を代表する4人(虎徹、国広、助広、真改)の大成期について調べました。
今回は「重要文化財などの国指定品=良い刀」という前提で選んでいますが、プロ(刀剣商)の方達の間では意見が異なる事もあるかもしれません。
ただそういった裏情報は私には分かりませんので、この基準でご容赦ください。
ところで虎徹や国広は傑作とされる刀はかなり高齢になってから登場したように見えますが、これはなかなか傑作が出来なかったという事でしょうか?
個人的な考えですが、傑作刀がなかなか出来なかったのではなく、
長生きしていたので「傑作刀が塗り替えられた」が正しい気がします。
つまり年を取ってからも若い時代の作を上回る作を作り続けた結果、今傑作と評価されている作が「高齢になってからの作」という事かと。
例えばもし国広が堀川定住前に亡くなっていれば「慶長打ち」は存在せず、山姥切国広が傑作とされていたかもしれません。
つまり何が言いたいかと言うと、真改や助広は早く亡くなっている為40代で傑作が出来ているように見えますが、長生きしていれば更に70歳ごろに凄い傑作刀が出来ていたと考えられるのではないかと思う次第です。
若い頃から傑作と呼ばれる作を作るのも名工の凄さかもしれませんが、
作を追求し続けた結果、過去の傑作よりも凄い物を作り続けるからこそ名工なのかもしれませんね。
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それでは皆様良き御刀ライフを~!
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