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刀についての雑談

世の中にはとてつもない名品があるのだなあと実感する。
刃の覇気、地鉄の清涼さ、健全さはとても同じ刀とは思えず神々しくすらある。
余程のインパクトがあるからか、鑑定刀などは数日、早ければ数時間後には忘れてしまう私であっても、このような刀は例え短時間の鑑賞時間であっても脳裏に焼きついて日が経ってもなかなか忘れない。
もちろん自身の好みも多分に影響しているとは思う。

その後に手持ちの刀に目を向けてみると、どれも相当気に入って買った物であるだけにやはり良く見える。
とはいえ、それらの超の付くほどの名品は別次元の物のように感じる。
これが格の違いという物なのだろうか。

ところで疵のある刀、研ぎ減っている刀の方が実戦味があり良いのだという人もいる。これは本心なのだろうか?
もし仮にどんな刀でも好きに買えるほどの財力がある場合、それでも同じ考えなのだろうか。
例えば健全で図録にも載っていて伝来も確かな古来より有名な長光の作と、研ぎ減ってやせ細った伝来不明の長光どちらを選びたいか。

一周集め終わりどちらの良さも充分理解した上で研ぎ減った刀が良いと感じる人もいるだろうが、基本的に大半の人は前者の長光を選びたいと感じるのが人情なのではないか。
人により○○の刀が良い、○○の刃文が良いなどど話題に出る事は多いが、
私含めて詰まるところ多くの人は「自身が買える範囲の物で欲しい物を発言している」と考えると妙に腑に落ちて聞こえる所である。

「出来の悪い一流刀工作よりもマイナー刀工の傑作を選ぶべき」

これも良く言われる事であり実に的を射ていると感じるが、無限の財力があればそもそも一流刀工の傑作を買いたくなりそうなものである。
それが普通は出来ないから予算内で少しでも出来の良い物を買う為に、先のような事が言われているのだろう。
実際に周りにいる一流工作をポンと何振も買えるような人を見ていると、マイナー刀工に行かず、有名刀工作で出来の良い物を皆探している印象がある。(郷土刀など地元の刀工だから好きといったように好みの軸が別軸にある刀は別として)

似たような話で無限にお金があるなら、仮に同じような出来で無銘と在銘なら私は在銘の方を選ぶ。
という事で美化せず本心を嘘偽りなく書けば、私自身願う事なら一流刀工の傑作、代表作はとても欲しいと思う。
今は無理でも長い刀剣趣味の目標に据えている。

はてさて、このような超の付く名刀を得る方法は主に2つありそうだ。
1つは膨大なお金を作りその上で、いわゆる有名な刀をコレクターやお店と仲良くなり直談判して譲ってもらう方法、もう1つはまだ世間であまり知られていない名刀を自分で掘り出してくる方法(海外から発掘したり、日刀保の鑑定で一度不合格となった物を再評価したりなど)
いずれにしても知識も人付き合いもとても大事になり、そこがお金だけ持ってても超の付く名刀は買えないという所以なのではないかと感じる。
勉強不足だと「超名刀よ」と言われて妄信していつか足元をすくわれる。
特に自分で掘り出してくるなどはプロかそれ以上の勉強が必要なのは言うまでもなく、良い刀を所持するにも相当な労力が必要なのだと端から見ていて感じる。
美術館で見ているだけだと楽なのであるが…。


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それでは皆様良き御刀ライフを~!

↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑)

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