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哲学カフェで考えた、人と会うことの価値

先日、哲学カフェに参加してきました。

そこで議題に上ったのが「現代のコミュニケーションの難しさ」についてです。昔のやり方が通用しなくなっているよね、と。

例えば、仕事終わりに上司に連れられて酒場へ行き、交流を深める。昔はよくあったそうですが、今は飲みにケーションって嫌がられますよね。しかし、その方法で仕事仲間との信頼関係を積み重ねてきた人にとっては、「その時間の給料が出ないなら帰ります」という新人部下の姿が、つれない態度に見えるようです。

それから、昔は誰かが悩んでいると、周りの人が協力して解決にあたったものだったと。今は自分は自分、他人は他人、と割り切っていて、なんだか戸惑ってしまう…という意見もありました。

それが寂しいと思う方と、合理的で良いじゃないと思う方と、いろいろなタイプがいるのでしょうね。

そこで話に出たのが、現代人は忙しいということ。YoutubeやSNS、サブスクなど娯楽が山ほどあるじゃないですか。友人との交流方法だって、対面で会うだけでなく電話やビデオ通話も気軽にできるから、隙間時間を簡単に埋められる。その限られた時間を、さまざまな業界が取り合っている状態です。

だからその人の時間をいただくなら、それなりの対価が必要なのでしょうね。

この記事だって、冒頭にメリットを提示しないとたぶん誰も読んでくれません。マンガやドラマも内容のわかりやすいタイトルが付けられ、読む前から「これ、自分が好きそう」と読み手に選んでもらう工夫をしているはずです。

そういえば、昔は店員さんとの距離が近かったように思います。特にコロナの影響もあって、交流の機会が減りましたね。以前はスーパーで買い物中に「そのお財布、かわいいですね」と声をかけてもらうこともよくありました。

さらにさかのぼると、子どもの頃、近所の個人商店へ卵を買いに行ったら「お使い?えらいね。飴おまけね」というあたたかな交流があったものです。

今は個人商店は減少しており、効率化が進んでスーパーも本来の目的「買い物をする場所」として特化されつつあります。セルフレジの導入により、お客さんのスムーズな会計が実現し、お店側も人手不足を解消できるというわけです。

一方で、お店の人とお客さんの交流は目的ではないため、効率化によってどんどん省かれていくでしょう。

哲学カフェの参加者さんは、そんな現代の、人との距離感に不安を感じているようでした。若いうちは付いていけるかもしれないけど、年を取ると、現代風のコミュニケーションには寂しくて耐えられなくなるのかもしれない、と。

私は、IT化に助けられた者の一人です。今のWebライターとオンラインメインの占い師という生業は、コンピューターなしでは成立しません。コロナ過ではオフライン交流を謳歌し、画面越しでも友情は築けると思いました。

一方で、ネットを介すと何か月もかけて信頼関係を築くスピード感だったのが、対面だと一瞬で距離が縮まる、みたいなことがあるのも事実です。この辺の感覚は、ホロスコープの対人関係を表す部分に表れます。言語コミュニケーションが取れるならネット越しでもOKな人もいれば、実際に会ってからがスタートだ、という人もいるのです。

私は今回、対面で話すことの楽しさを実感しました。哲学カフェで参加者の皆さんの顔を見ながら話すのは「今、人と会っているんだな」という満足感があったんです。目が合うことや会釈をすることって、対面ならではのコミュニケーションなのでしょうね。

そして、この場を楽しめたのは、「哲学カフェは話し合うところ」という共通認識があったからだと思います。みんなが話すために集まっているから、遠慮なくそれに集中できたのです。

今後の時代の流れとしては、もし交流したいなら「交流が目的の場」へ自ら赴くことが求められるように思います。哲学カフェ以外には、地域の交流イベントや自助グループの会などが該当しますね。

現代人は忙しいからこそ、時間と労力をかけて人と会うことは、より特別になっていくのかもしれません。

今回の哲学カフェの議題は「コミュニケーションについて」でしたが、実際にそれを話し合うこと自体がコミュニケーションになっている、というのが面白かったです。

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