見出し画像

言葉に出すじゃなくて言葉にしたくない。

自分にはよくあることだけど、自分の心や脳で考えていることほど実際に言葉にしたくないと思うことがある。

もっと身長が高ければとか、もっと格好が良ければとか…

なんかこれらのことって考えている内はいいけど、誰も聞いていないにしても、口にしてしまったらどこかしら負けてしまった自分がいるような感覚になって嫌になってしまう。

でも、たぶんこれを考えている時点で一緒な気もしてしまう。
むしろポジティブすぎる人はそんなことすらも考えないのかもしれない。

そんな素直な言葉を表に発信している人たちを見ると、とてつもなく羨ましく感じるし、言葉にはしないけれど自分もそうだったらと思ってしまう。

なんていうか頭の中にいる自分ともう一つの頭の中にいる自分が頭の中で矛盾を引き起こしてずっと戦っているような感覚になる。
自分でも何を言ってるのか分からないけれど。

何かを考えているようで何も考えていないのかもしれないし、考え過ぎて訳のわからない方向にいってしまっているのかもしれない。

「言葉に出すこと」というのは脳が「今言った方がいい」と思った時に信号を送って実際に声になって言葉を発するわけだけど、実際悩み事や悲しいこと辛かったこととかは、言葉に出すまでに考える余裕がある。

というよりこれを言葉にしていいのかを考えているのだと思う。
脳は言葉にしたいと思っても体がいう事を聞かないことは身近にたくさんある。

今この言葉を口に出してしまうとこの気持ちや考えに対して自分はこう思っているのだと僕の心の中ではそう感じてしまうからだ。実際に脳内ではそのことを考えているのに。

こんな矛盾じみたことなければいいのにと否定に走ってしまう癖がある。

たくさんのテキストを頭の中で打っては、Enterを押さずにDeleteを繰り返しているこの時間は多分自分を前向きにしていくことができる時間なのかもしれない。と思たら楽なんだろうなぁ。

このほんの一瞬のこの考えている時間ですらも正確に自分が今感じている事を伝えれていないのかもしれないではなくて多分そうなのだ。

ありのままの自分をありのままに出すということの難しさを大人になってからすごく難しく感じてしまう。

要するに素直になれていないということだ。

結局何が言いたいかって今自分が何を思って何を考えているのかを理解しきれていないのだと思う。

言葉に出すということは声のトーンも、響き方も大きさも全てを脳が認識することができる。

そんな自分では叶いそうにもない事を発すること自体が断定や決定という勝手な自分の解釈によって決められてしまうことの恐怖を自分で感じているからこそ、言葉にしたくない。

そんな胸の内をテキストで整理しようとしてみたけど難しいや。

少しはすっきりした気もするから今日はこの辺で終わり。

明日もいい日になるといいな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?