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『お前は何者?』

時折考える。

「残された時間の短さ」より現状の怠惰。

淡々と過ごす毎日がまるで永遠かと思うほどにやってくる行動。

それの正体はたぶん怠惰だ。
現実問題、何においても永遠は存在し得ないはずなのに。
全てのものにいつか終わりはやってくるというのに。

いつも忘れてしまう。
人だけでなく生命に残されている時間は『無限』ではなく『有限』ということに。

日は昇り、日が沈み、月は昇り月が沈むことが何より時間が過ぎている証拠なのにだ。

そこからの派生で考える。

『お前は人生の終着点において何かを残せたのか?』と。

もし街中で君は何者ですか?と聞かれたらどう答えるんだろう?
一向に答えは出てこない。

そう。
まだ何者にも成れていない。
大器晩成型?いや違う。なろうとしていない自分がいるのだ。
これこそ世の中的に怠惰。

楽しければ人生は幸福かもしれない。
楽しくなければ人生は幸福ではないかもしれない。

でも、何者かに成れた時、多分その何者かに誇れる自分がいるようにも思う。

僕は何者になるんだろうか。
たくさんの時間があって、たくさんの経験を時間が過ぎれば過ぎるほど積み重ねているはずなのに、根本の人としての何かが欠けている気がする。

自転しない月が永遠に三日月のような気分だ。
月は地球の周りを公転するし、自転しているからそんなことはあり得ないはずなのに。

こんなことを考えてしまうのは絶賛就職活動中だからかもしれない。
まるで何者かであることを強要されている気持ちになってしまう。

でも、そんな世の中で何者かになっている人はたくさんいる。
成れていない理由は明白。行動と努力をしていないから。

努力した先、行動を起こした先何が待ち受けているか分からないという不安に駆られているうちは、お前は何者にも成れない。

その行動と勇気はどこからやってくるのかを考える。
それは自分ではなく多分他の影響だろう。

自分を突き詰めた時本当にやりたいことはあるのかもしれない。
勇気を持って行動することの大切さを脳は知っているはず。

だってテレビがあってネットがあって実際に行動を起こしている人はたくさんいるのだから。

こんな僕が何者かに成れた時、その行動をその勇気をその努力をしたお前をお前はたくさん褒めてあげていいかもしれない。

何者かに成れた時、やっと時間の有限さ。
自分がこの世に居たことを証明できるのかもしれない。

ふう。頑張ろう。という言葉以上に頑張らなきゃ。
死ぬ間際、楽しい人生だったって言えるように。

何者かにならなきゃではない何者かになるために。

今日も1日が終わる。


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