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noteで出会ったお星様(noteでの出会いと感謝)

私は他人に自分のことを曝け出すことになんの抵抗もなく、光も闇も見たければどうぞ、という気持ちで生きてきています。

その光や闇を見て、だれかにとって何かしらのヒントや、共感や、勇気を得る手助けができたら嬉しいな、と思いながら、私は日々、noteというプラットフォームに言葉を綴ります。

けれどそれは、半分本当で、半分嘘です。

半分の嘘には、私に巣食う「さみしさ」という感情が関わってきます。

誰かにわかってもらえたらいいな。知ってもらえたらいいな。ありがとうって言われたらいいな。私が存在していることが許されるような、そんな言葉をかけてもらえたら、いいな。

自分では解消できないさみしさを、私はスキやコメント、他の方の綴る心を動かされる投稿で、優しく埋めてもらっています。

この世界で生きることを許されるために、私は他人からの思いを、利用している。

その自覚はありますし、みんなそういうところ、あるでしょ、と開き直っている部分もあります。
けれど、私はnoteで、それだけじゃない出会いをしました。その人のことをもっと知りたくて、楽しくて、お話したくて、たまらない出会いを、得ました。ほしまるさん、という方です。

きっと私の片思いで、いつかちゃんとお礼を伝えられる勇気を持ちたいな、とずっと思っていたのに、先日、ほしまるさんは私の名前を出してくださり、感謝の気持ちを綴ってくださいました。

感謝は私がするほうだと思っていたのに、それすら先にしてくださって、私はもう、どうすればいいかわからない。


1. ほしまるさんとの出会い

私もほしまるさんも、noteをはじめたのは昨年の終わり頃。

まだまだ不慣れな文章を垂れ流していた時に、コメントをくださったのがほしまるさんでした。

それから、ほしまるさんの記事も読ませていただくようになりました。不思議なことに、年齢や育った環境も違うのに、どこか似たものを感じることが多かったです。「あなたはわたしですか?」と思わず思ってしまうようなことが、本当に頻繁にありました。

いつも、綴った内容に寄り添ってくださるようなコメントを残してくださる。ほしまるさんがいるコメント欄は、なんだか暖かく感じました。

そして、ほしまるさんの綴られる記事は、文字なのに、声が聞こえてくるような感覚なのです。よく、私はほしまるさんにもお伝えしているのですが、「日の当たる窓辺のソファで、となりに腰掛けて、私はほしまるさんの言葉を聞いている」ような感覚になるのです。

実際には、ほしまるさんにお会いしたことがないから、お顔はわからないけれど、私はいつもほしまるさんの存在をとなりに感じながら、目を閉じて、静かに聞き入ってばかり。

↓私が大好きなほしまるさんの記事たち(もっといっぱいあります…)

会ったことがないのに、記事を読むたび、私はほしまるさんと会っていました。隣にいてくださって、お話をして、話を聞いてくださった。

プライベートでものすごく辛いことがあったときに、誰よりもさきに、ほしまるさんに会いたいなぁ、と泣いたことがありました。物理的に会いに行きたい、ということではなくて、ほしまるさんの優しい言葉に満ちたnoteを読み漁り、くださったコメントを読み返して泣きました。

私より年上のお姉さん、だけど似たところがたくさんあって、優しさと哀しみ両方を心に宿したほしまるさん。辛いことも悲しいことも全部知った上で、カタカナさんなら大丈夫ですよ、と背中を押すような言葉をくださる。

何度も救われていました。木漏れ日のような優しさを、ほしまるさんから私はいただいていたから、ここまでnoteを続けられました。noteが、私が生きる上で大切なものを得る場所になったのも、ほしまるさんがいたからでした。


2. みんなの、ほしまるさん

ほしまるさんは素敵だから、きっとみんなその素敵さに魅了されるだろうな。「みんなのほしまるさん」になっているんだろうな。私はほしまるさんと二人でおしゃべりしているような気になっているけれど、違うんだろうなぁ。

ある時、そんなこどもっぽいことを考えました。ほしまるさんの優しさが色々な人の心に届くことが、嬉しいけどちょっとさみしいな、なんて。私は大好きなものほど、大事に抱え込んでしまおうとする、なんとも器の狭いやつなのです。

だから、今回ほしまるさんが書いてくださった記事を見て、えっ、これは夢?と、本気で思いました。びっくりしすぎて、リロード、を何度もしました。そして、私の器の狭さを恥じました。

好きだ、大切だと思うなら、伝えなきゃだめだ、言わなきゃだめだ、と人には言っているくせに、自分のことになると私は臆病になってしまって、ほしまるさんに本当に伝えたいこと、何にも伝えられてなかった、と気づきました。なんて情けないんだろう。

人生の一歩先を歩くあなたは、私の小さな自己嫌悪なんて暖かい風で吹き飛ばしてしまう。私なんかに、優しさに満ちた真っ直ぐなメッセージをくださった。

嬉しかったです。自分の大切な人の力に、少しでもなれていたなら、こんなに嬉しいことはありません。私は何度も何度も、ほしまるさんの言葉に救われてきたから。

他人の言葉を利用して寂しさを埋めると、私は冒頭で言いましたが、ほしまるさんの言葉は、寂しさを埋めてくださるどころか、一歩踏み出す勇気、自分を愛するきっかけ、自分を許すという選択……。
生きていく上で、とてつもなく大切なものを、与えてくれました。


3. あなたはお星様

ほしまるさんは、お名前に「星」が入っています。かつてダンスの先生からいただいた呼び名がきっかけだそうです。

先生がほしまるさんに語った内容は、まさに、ほしまるさんを表した、素敵な言葉だと思います。

「貴女はこの国での生活でも、スタジオでも
とても輝いていたね。
そんな貴女の優しい輝きは皆を癒し、笑顔にしてくれるものでした。
星は夜にしか見えないように思えるけど
貴女の国(日本)が朝でも昼でも、
他の国では夜だから、必ずどこかで絶えず輝いているの。」
(ほしまるさんの記事より引用)

私にとっても、ほしまるさんは、お星様です。価値観が似ていて、人生の一方先を行くお姉さん。優しさも哀しさも知っているほしまるさんから紡がれる言葉は、切ないほどに思いやりに満ちている。辛い、悲しい、と思った時に、静かに隣に座ってお話をしてくださるお星様。

いつもありがとうございます。大好きなお星様。ほしまるさん。私も、誰かにとってのお星様になれたらいいなって、あなたとお話しするたびに、思っているんです。

私たちの苦手な春が、少しずつ過ぎて行きますね。

もう桜は葉桜になりました。きっとそのうち、紫陽花の映える、雨の季節がやってきます。哀しみも寂しさもすべて洗い流して、夏が来ます。

そういえば、ほしまるさんは、夏はお好きかしら。アイスは、クリーム派?シャーベット派?私は、レモンサクレが大好き。その理由も、実はあって……。そんな他愛のないことを、お話ししたい。

ほしまるさん。これまで隣にいてくださって、ありがとうございました。これからも、ちっぽけで未熟でこどもな私ですが、仲良くしてやってもらえたら、これ以上嬉しいことはありません。

noteと言う場所はとても不思議な場所です。偶然と言うにはあまりにも素敵な出会いが溢れています。

これからもこの場所で、いろんな方々とお話するのを楽しみに、これからも文字を綴りたいと思います。

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