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「くまとフランスパン」について

 専業主婦様のお書きになった作品に心を奪われてしまった
くまがフランスパンを抱えているイラスト
その横には、「パン。」の文字
私はこのイラストのおかげで、無益な争いを回避することが出来た

 その時、仕事関連で「けッ!」と思うようなメールを受け取っていた
内容はともかくとしてその言い回しはどうなのよ、と
 感情の赴くままに「今、私は『けッ!』と感じております」という
内容の返信をするつもりでいたのだ
 そこに、このくまのイラストである
もう、メールどころじゃないよね
『くまとフランスパン問題』という
おそらく人類史上初の難題に直面した今、
しょーもないお気持ち表明メールしとる場合じゃないでしょ、と

 私はこれまでずっと、
『絵を描ける人=その技術がある人』だと信じていた
それは間違いだった
仮にだ、私にその技術があるとしよう
それでも私には「フランスパンを抱えたくま」を世に送り出す事は出来はしない
くまとフランスパンを組み合わせるという発想がない
専業主婦様の中にある「何か」が、私にはないのだ

 考えてみれば、技術とは習得するものだ
義務教育の過程を思い返すと、私にもその技術を習得する機会は与えられていた
しかし私はその技術を身につけることは出来なかった
何故だろうか?
それは私の中に「何か」がなかったからではなかろうか?
技術が先なのではない、「何か」が先なのだ
「何か」があればこそ、
人は技術習得へと至る長い道のりを一歩一歩進むことが出来るのだ

 ではその「何か」とはなんだろう
情熱・好奇心・対象への愛情、
それに加えて極々微量の狂気(好ましい種類の)もあるのかも知れない
そういったものが混ざり合って出来た「何か」
それを人は「才能」と呼ぶのではないだろうか

 そこで再び「くまとフランスパン問題」である
おそらくきっと、“熊“はフランスパンを食べない
仮に食べたとしても、「フランスパン大好きっ子」ではないはずだ
しかし“くま“は違う
パンが好きなのだ、フランスパンが大好きなのだ
まるで寝起きの幼児のように
大切な「パン。」を抱えてよちよちとこちらへ近づいてくる“くま“
いいね、ゆるいね、かわいいね、
これこそ優しい世界だね


熊 参考画像 ゴールデンカムイ展福岡にて

 しかし、よくよく考えてみると
実際の“熊“は決してゆるくない
むしろ真逆の存在
 網走旅行で朝の散歩に行こうとエントランスを出たところで
ホテルスタッフの方から
「熊の目撃情報があったので、山の方の道へは行かないで下さい」
と言われた経験がある
あの時感じた恐怖こそが、“熊“に対する人間本来の感情だと思う

 やはり、“熊“と“くま“は別物なのだろう
そこで、くまの問題から一旦離れて、
もう一つの問題、フランスパンについて考えてみる事にした
アンパン・食パン・カレーパン
数あるパンのうち、何故フランスパンが選ばれたのか?
謎は深まるばかり……

 私が脳内で難題に取り組んでいる間にも、
現実世界の時間は進んでいた
 例のメールの送り主から
「あのメールの件、どうなった?」と口頭で問い合わせがあった
いかん、すっかり忘れとったわ メンゴ!
と本当の事を言うわけにもいかず、
「あ、あの内容でいいと思います」と
社会人として正しい返事をしておいた

 今のところ、この難題の答えを見つけられてはいないけど
「くまとフランスパン」には、物事を丸く収める力がある
これが今回の最大の収穫であろう
「才無き者」である私が辿り着いたのは、
イラストの横に添えられた「パン。」の文字と同じくらい
柔らかくふんわりとした結論であった

おしまい


 




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