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出産とアイデンティティ

暗黒期がある。30歳、はじめて妊娠と出産を経験し、キャリアが止まったときだ。

妊娠する前の私は、何者かでありたかった。
”人と違う自分”が、その当時にほしかったアイデンティティであり、自尊心の出どころである。自尊心とは、辞書によると、自分を優秀な者だと思う気持ち。プライド。
人と違う自分でありたい。代えのきく存在になりたくない。と、魂が叫んでいる。私にとって、その自尊心の出どころは、仕事だった。

その頃、激務の広告デザイン会社で働いていた。人と違う特殊な環境に自分を置き、人と違うことをすることで、自尊心を高めようとしていたのだ。広告デザイン会社のアシスタントプロデューサーは、忙しい。個性的なクリエイターたちとともに、発注者からの要望にこたえ、アイデアの奴隷となって働く。平日は電車で帰れず、土日に休めるかは金曜日まで分からない。

そのような、心身ともに厳しい労働環境で働きつづける20代の女性は、めずらしい。なかなかのタフネスが要求されるため、男女ともに、心身の危険を感じてやめる人が多い。真っ当な判断だと思う。同期も後輩も、どんどんいなくなる。心身の健康と野心に恵まれた私は、この激務を5年間つづけた。たぶん、人より丈夫なんだと思う。

そこから妊娠し、仕事を休むこととなった。

2013年、出産のために入院した病院で「相良ママ」と書かれ、呼ばれた。自分の人生で、一番痛くてつらい日に、自分じゃない名前で呼ばれつづけるのは、衝撃的だった。え、私はどこにいった?
私は結婚相手の名前と、ママという属性で構成されているのか?と錯覚した。

あんなに自分を特別だと思いたかった私。だから、仕事も頑張っていた。だけど、出産のときは無力で、命懸けで、痛みに耐えるのに必死で、血が出てこわかった。普通に、めちゃこわい。終わったあとは、怪我人のようになった。
私にとっては、人生の一大イベントだった。この日がくるまで、毎日、恐怖におびえて、ドキドキしていた。はじめて会う赤ちゃんの顔をたのしみにしていた。それだけをたのしみに、毎日、日記をつけていた。私以上に、この出来事に入れ込んでいる人物が世の中にいないのは、明らかである。

一方で、病院からしたら、別になんてことない普通の出産である。

なんなら、私がいきむのが下手だったせいで、鉗子分娩になってしまった。変な器具で頭を引っ張られながら、息子は生まれてきた。出産する母として、私はたぶん優秀じゃない。産むのが下手だった。息子に、申し訳ない気持ちになった。
産後のおっぱいの出はよかった。それはよかった。息子もよく飲むので、最初はどんどん大きくなった。でも別に、おっぱいの出がいいだの悪いだの、今までそんな評価項目で自分を評価したことはない。何だこの、ポッと出の母親文脈の評価項目。
出産を機に、急に、自分が人間ではなく、動物的に評価されるようになった。自分のアイデンティティが、どこかに吹っ飛んでいった記憶がある。

出産でボロボロになってしまい、体型は崩れる。背が高くスタイルがよいのは、10代からの小さな自尊心の出どころの一つだったのだが、いちど妊娠でふっくらしたお腹はなぜか出産後に元通りにはならなかった。抜け毛もひどい。出産でいきんだせいか、目元に小ジワが出現したように見える。客観的にみて、自分の肉体は、男性が性的魅力を感じる対象になるとは見えない。”性的に魅力的な女性”も、もう一つのアイデンティティだったのだが、こちらも出産でガラガラくずれた。

仕事でも、女性としても、アイデンティティがゆらぐ。とにかく自分は、息子から必要とされるがままに母乳を与えつづける。息子とのつながりがほしい。すがるような思い。息子からは、乳の供給元として必要とされているが分かる。息子は私から乳がほしいのではなく、乳そのものがほしいのだ。母乳はコモディティ化している。ある意味、誰でもいいのだ。ここにも独自性はない。

仕事も、私が育休に入ってもまわっているようである。あれだけ心血を注いだ仕事。「片平さんがいなくてもまわっているから、安心してください」と言われれば言われるほど、複雑な気持ちだった。意外と、自分じゃなきゃダメなことなんてないんだなと。

せっかく激務に耐えて築いてきたキャリアは、育休により分断されてしまった。職場復帰しても、子育てがあるので激務で価値発揮するのは難しい。夜型のクリエイターの労働スタイルに合わせられないプロデューサーなんて、どうやって価値発揮するんだろうか。自分に自信がなくなった私は、大好きだった仕事の未来も、考えづらくなっていた。

なんだか暗いな…。つづきは、また。

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