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【読書録】山田ルイ53世『ヒキコモリ漂流記 完全版』(角川文庫 2018年)
「ルネッサ~ンス!」で有名なお笑いコンビ「髭男爵」のツッコミ、山田ルイ53世による自伝。
行きつけの古本屋で何となく購入してみた。
幼いころから勉強もスポーツもできて、クラスでも中心人物だった著者が、中学2年生の夏のある出来事をきっかけにヒキコモリとなり、東京での極貧生活など紆余曲折を経てお笑い芸人となるまでの経緯が描かれている。
著者は、ヒキコモリになるまでは、典型的な「良い子」として振る舞い、周囲の評価も高く「神童感」を抱いていた。ところが、あることをきっかけに登校をしなくなった途端、父や母からは冷遇され、「家族」は徐々に崩壊していく。
少し「盛っている」のではと感じる箇所もあるが、ヒキコモリの期間に著者が抱いた劣等感・自己嫌悪の描写や、家族との関係性の描写が生々しい。
家族の方も、暗黙の了解で、僕が台所にいる時は、家族はいないという風に、互いに絶妙の距離感、間合いで暮らしていた。(p.122)
著者が「良い子」をやめ、登校を拒否した初日、彼の父は怒り、暴力を振るう。母も、家にいる著者に嫌味を言う毎日。家族という「呪い」が著者を苦しめる。山田ルイ53世として売れた後も、両親や兄弟とはほとんど会っていないらしい。(本当はご両親も、彼らなりに息子を気遣い努力をしたのかもしれないが。)
また、著者はあとがきで面白いことを書いている。
ヒキコモリに関する取材の折に「その6年間があったから、今の山田さんがあるんですよね?」という「よくある質問」を受けた場合、著者は「(自分に限っては)あの6年は完全に無駄でした」と答えているらしい。
どうも、世間の大部分にとって人生に”無駄”があっては拙いらしい。何しろ、本人が、無駄だった、失敗だったと断じていることでさえ。「そんなことはない!」「それを糧に成長すればいい!」と、なにがなんでも意味を与えようとするのだ。(P.250)
私の子どもが、著者と同じように「親の期待している子ども像」と違う状態になったとき、私はどのように振舞うことができるのだろうか。
いずれ、著者の別の作品も読みたい。
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