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4月17日御開帳🙏町田の虚無僧寺☆南松寺観音堂へ

昨年に引き続き今年も、東京都町田市にある南大谷天神社内にある、虚無僧寺南松寺の観音堂御開帳に合わせ、献奏とお参りに行って参りました。


こちらは昨年2023年の様子。


今年は尺八研究家の神田可遊師もご一緒に!小金井の古典尺八楽愛好会のメンバー私含めて3名でのお参りです。


南松寺の歴史、歴代の詳しくはこちらにあります↓


この天神社は1645年、名主五十嵐伝兵衛が、京都に上り仏師法春に天神像を刻ませ、村民伊左衛門が土地を寄進して村民一同によって社殿が建造され、その神像を奉祀したと言われています。


こちらはその半世紀後、元禄十二年(1699)九月二十五日に寄進された石燈籠と、手洗石です。

大沢牛之助らの寄進した石燈籠と、五十嵐権兵衛等の寄進した手洗石。(町田市史より)


五十嵐権兵衛の名前が分かります。


神田可遊師のご説明によると、以前は神社の参道は東側にありましたが、小田急小田原線の線路造設のため、現在の南側になったそうです。

本殿の東北側に虚無僧寺の南松寺があったとのこと。


今の木々のある辺りでしょうか。
墓地があったのはその奥の住宅地でしょう。


ご本尊の観音座像は昭和37年(1962)に天神社改築の際、社殿の中から発見されたました。
そして、翌年、宅地造成のため建設会社が埋めようとした虚無僧の墓群を、部落の人々が現在地に移したとのこと。


 

虚無僧墓前にて献奏。


午前10時より御開帳です。

地元の方々が集まっています。
撮影T.M氏

お線香を頂き、一人一人虚無僧のお墓にお線香を立てます。
なんと有難いこと。



今回は宮司である五十嵐氏に色々お話を伺う事が出来ました。(前の写真の右側)

上杉謙信遠征の時に、越後国の五十嵐庄からやってきて、綿々と受け継がれている五十嵐姓。

ここにも五十嵐姓。
大沢姓も多いそう。



そして、観音堂前でも献奏。

観音癒しパワー全開。

地元の皆さんはとてもあたたかく迎えてくれ、また来年も来てくださいとおっしゃってくれました。嬉しい限り。
五十嵐氏いわく、何年か前、虚無僧の格好をした人たちが30人くらい駅方面からやってきたことがあったそうです。
来年はそんな感じで大勢集まると良いですね。

この地区ではたまたま地元の方々が親切で、こうして毎年ご開帳してくださるおかげで、虚無僧寺の御本尊の観音さまを拝めます。
ありがたやありがたや🙏

名残の桜が咲いてます。


何故17日かというと、17日は観音菩薩さまのご縁日。何故4月なんでしょうね、なんて神田師や五十嵐氏と話していましたが、きっと桜が咲いて良い季節だからでしょう、なんて結論に。
今年は、桜が少し遅めであったおかげで、名残の桜を愛でることができました🌸



では、また来年!



と、いうことで、

せっかくですので、徒歩20分ばかりの、もう一つの虚無僧寺があったところ、菅原神社にも献奏に参ります!



次回に続きます☆


参考文献
神田可遊著「町田三天神と虚無僧寺 上」
小川春夫著「虚無僧寺(町田)南松寺」

古典本曲普及の為に、日々尺八史探究と地道な虚無僧活動をしております。サポートしていただけたら嬉しいです🙇